14.団欒と挑戦状
「あらあら、賑やかですこと」
ガチャ、という聞き慣れた音と共に扉が開き、入って来たのは和装に身を包んだ桐島さんだ。
入口まで迎えに行った僕らに、手に持った小さな包みを顔の高さまで上げ、これでもかというくらいの笑みを浮かべている。
おかえりなさい、と言うが早いか、桐島さんに飛びついたのは琴葉さんだ。
「おかえりなさい藍子さん! どこに行ってたんですか?」
勢いよい抱き着きに、ふと落としそうになった包みを何とか堪えて持ち、あらあらと空いている方の手を頬に添えた。
「それがですね、聞いてくださいよ神前さん」
「え…? あ、いや、琴葉さん――いえ。はい、何でしょう?」
「ゲストというのがですね、拙作の表紙絵等を専属で手掛けてくださっている絵描きさんだったのですけれど、その方に急な予定が入りまして、また日を改めてという話になったのです」
「あぁ、そういう……って、あれ? 新刊会議も無しですか?」
「絵描きさんとの仲介も、私の担当者さんのお仕事なのです。だから、とりあえず今はただ原稿を挙げるだけしか仕事がない私ではなく、そちらの方に行ってしまわれて」
「手空きになった、と。なるほど」
道理で、早いわけだ。
ゲスト有り、且つ新刊会議ともなれば、仮に着々と進んだとしても、自作のイラストを担当している相手とあっては積もる話がない訳はないだろう。
素敵な画をありがとうとか、いつもお疲れ様ですとか――桐島さんに限ってはないと思うけれど、あの絵はちょっと違うでしょ、とか。
話しのネタなら、幾らでもある。
「実は、その絵描きさんとは一度も顔を合わせたことがなくて、本当はとても楽しみにしていたのですよ」
「それは残念でしたね――っと、そういえばこの前、桐島さんの処女作”二十一”を読みましたよ。何と言いますか、ただただ衝撃でしたね。年齢かと思いましたよ」
という僕に、首を傾げたのは琴葉さん。
年齢じゃないなら何なの、と問う隣では、乙葉さんも頷いている。
「ある重さの話です。昔、ちょっと変わった実験が行われまして」
「「実験?」」
二人が声を合わせて聞き返した。
今を遡ること百と幾年前、アメリカはマサチューセッツ州。
医師マクドゥーガル博士が行っていたものである。
マクドゥーガル博士は当時の技術で最高精度の秤を使い、死の直前にある結核患者が横たわるベッドの重さを計測し、死の直後にその値がどのくらい変化するのかを調べた。
記録では六人の患者を被検体とし、その全員の死に立ち会ったとされている。
死後、時間が経てば、乾燥に伴い水分量が減っていくので体重の減少も当然ではあるけれど、体液に体内ガスといったものの消費量も綿密に計算した上で、博士は他にも僅かに失われている重さがあることに気が付いた。
それが、四分の三オンス――二十一グラムだったというわけだ。
「二十一グラム……何の重さなんですか?」
死、というキーワードも出てくると、少し緊張感が走る記憶堂。
二人は少し顔を強張らせて、恐る恐る桐島さんに尋ねた。
すると、桐島さんは深く深く息を吸って吐き、真っ直ぐ表情を浮かべて、一言、
「”魂”の重さです」
そう口にした。
「魂……?」
琴葉さんが益々首を傾げると、すぐに桐島さんの表情は柔らかくなった。
笑顔で以って、琴葉さんの言葉に応える。
「ええ。当時、それが学会や紙面で発表された時は、それは世間を騒がせたそうなのだけれど、実は否定する声も大きくて。それを強く行ったのが、外科医のクラーク博士。その人曰くは、死の直後には血液の冷却が一時止まる為に体温が上昇し、発汗が促進される。その量が、二十一グラムだとしたのね」
「へぇ…」
「でもマクドゥーガル博士は、それすらも更に否定したの。死の直後には血液循環も止まっているから、体温は上がらず発汗は促されてないって。多くの疑問や謎を残した実験だったけれど、結論としては――って、そこまでは私の小説には出てこない話ね」
と、途中で切られてしまっては、たとえ自分の好みの話ではないのせよ気になるのは当然で、双子姉妹は食らいついて「気になる!」と押し掛けた。
「あらあら、そこまで興味を示してくれるとは思わなかったわ」
わざとだろうに。
「結論、実験環境や器具の不具合性も疑われて、一時は世間から消えたお話だったのだけれど、ある時期再び浮上したことがあったの」
「同じ理論で?」
「いいえ。二度目のそれは、またちょっと違った実験で、死の直後にある人間の頭上には”星間エーテル”が発生していると提唱したのです」
「それは知ってます。中世の物理学のエーテル理論ですよね?」
答えたのは琴葉さんだ。隣ではまたも乙葉さんが頷いて同意を示している。
乙羽さんはまだ分からなくもないけれど――琴葉さんには、何だかずっと驚かされっぱなしだ。どれも、僕の勝手なイメージ図との乖離が問題なのだけれど。
琴葉さんの言葉に、桐島さんは「ええ」と頷いた。
合っているんですね。
「今の科学では否定されている、天界を構成しているをされていた物質の話ですね」
「ふむふむ。それで?」
興味津々の琴葉さん。
乙葉さんも、言葉を呑んで聞き入っている。
「結論としましては、当時から怪しい話ではあったものですから、オカルトとかそっち方面の人だったのかというのが、世間の見方だったようですね」
「へぇ…」
それは知らなかった。
桐島さんの作品の中でも、それらを最低限理解できるだけの解説は成されていたけれど、それだけにここまで詳しくは知ることが出来なかったのだ。
筋は通るし理解は出来るからと、自分で調べなかった僕も悪いけれど。
新しい、自分の知らないことを知っていけるのは、面白いものだ。
「へぇ……そんな話があるんだ。今度、読んでみようかな。買いにいこっか、乙葉」
「気になる――というか、藍子さんの著書は全部読みたいわね」
「そんな。もう、褒めても何も出ませんからね。マフィンのおかわり、作ってきます」
あっさりと出すんですね。
褒められることにはめっぽう弱い桐島さん。
言葉通り奥部屋へと赴くと、持っていた包みを机の上に置いて、早速とキッチンへ移動した。
すると、ふと零れた”マフィン”の一言に、少し遅れて二人が反応した。
「マフィン、すっごく美味しかったです! お世辞じゃなくて!」
「クッキーも、とても美味でした。お世辞ではなくて」
今の話の流れを受けて誤解されぬように、としているのは分かる。分かるけれどお二人さん、それでは逆効果もいいところですよ。
そんなことをぶつけられた桐島さんは、しかし益々照れて、両の手を頬に添えて喜んでいた。
「本当に素直で良い子たちですね、岸姉妹は。クッキーのおかわりも作りましょう」
「弱すぎですよ、流石に。僕が和装を褒めようとも、お道化るようにしか喜ばなかったのに」
「それはあれです、一種の愛情表現です」
「悪い大人の言い訳ですね」
僕の一言に、桐島さんは頬を膨らませて抗議した。
僕に続いて奥部屋に足を踏み入れた二人は、初めてな場所にも関わらず、自然と椅子に向かい合って腰掛け、桐島さんの作業を見つめていた。
物怖じしないある意味でのハートの強さは、葵に並ぶものがある。
寝かせていたらしい生地の余りを取り出した桐島さんは、慣れた手つきでそれを形成していく。
型抜きにオーブン、流れるように進んでいく様をうっとりと眺める二人は、やがて何かに我慢できず、口を開けた。
「ねぇ乙葉、藍子さんが和服で髪を上げてるとさ」
「私も同じことを思っていたわ。藍子さんがこの服装をすると――」
二人揃って、
「「何だか、夜の大人感がしてドキドキする」」
と。
もう、何がなにやら。
「もう、お二人とも……紅茶のおかわりはいりますか…?」
貴女も照れるんじゃありません。
途中から僕らも作業を手伝い、紅茶入れに配膳とスムーズに終わらせ、気が付けばティータイムも一時間を過ぎていた。
追加のマフィンもクッキーも無くなり、十二分に羽を伸ばした僕らは、しかし桐島さん本人が居ては再開も出来まいと、アイコンタクトにて会議終了を決定した。
すると桐島さんの方から、先のスクラップは何だと質問があった。
どうしようか、と目を合わせる僕と琴葉さんを他所に、乙葉さんが口を開き、さらっと何でもないように「今度の家族旅行について、話し合いを」と大嘘をでっち上げた。
あの眼を持つこの人に、嘘など全くの無意味だというのに。
しかし、何を思ったのか、桐島さんは目を伏せ、
「そうですか。それは楽しみでしょう」
と返した。
「少し、中身を見せていただいても?」
「勿論です! 私の自信作なんですよ」
琴葉さん、それは自殺行為では。
と思うもまたまた既に遅く。奥部屋から出た二人は、店先に戻ってそれを広げ始めていた。
「随分と丁寧に纏めたものですね。琴葉さんの”好き”を感じます」
「でしょ! 細かいところは乙葉も手伝ってくれたから、二人の合作だけど」
そこは認め合って共有出来るのか。
いいものだな、姉妹って。
「姉妹愛ですか。良いものですね」
ふと、同じことを考えていたのかと思ってしまったけれど、その横顔はどこか遠くを眺めている様子。
恐らくは、今は懐かしい昔のことを思い出して。
その当時、そしても今も、恨み等は確かに抱いてはいるのだろうけれど、本当は何か気付いているのではないだろうか。
でなければ、こんなに切なそうな目は――
「どうかなさいましたか、神前さん?」
「え……? あ、っと…」
可愛らしく首を傾げ、真っ直ぐ僕の目を見つめている。
気のせいか?
「な、何でも」
「そうですか。そういえば、葵さんは元気しておられますか? 受験勉強の疲れで、参ってしまってなければよろしいのですけれど」
つい最近、風邪をひいていたばかりなのだけれど。
今更言っても仕方のないことだ。しかし、この人には目が――と考えた結果、僕は正直に近況を報告しておいた。
すると、初めは心配そうにしていたが、今はなんともなさそうだと聞くと、すぐに安心した様子で奥部屋へと戻っていく。
程なくして戻って来た手には、小さな包みが持たれていた。
「ご迷惑でなければ、これを葵さんに。日持ちはしますから、すぐでなくとも食べて頂ければと」
「そういうことでしたら」
頷き、受け取った。
次の家庭教師の予定、早いところ入れないと。
それから、桐島さんが一通りスクラップに目を通し終えた頃、そういえば予定があったのだと、岸姉妹は慌ただしくもしっかりと礼をして帰って行った。
「さて神前さん」
柏手一つとともに空気を換え、僕の注意を引く桐島さん。
大方の予想はつくけれど。
「はい?」
「ウニのページだけ、ページの開き具合が違いました。それも、新しい」
「また変なところに気が付く人だ。あの姉妹が、好きだ好きだと眺めていたんですよ」
「灰色でも?」
「色は反則――あっ」
しまった。
見えていようが関係はない、簡単な引っかけだった。
「私の勝ち、です。とは言え、無理に聞くつもりもありませんけれど。どうせ、兄に厄介事でも頼まれてしまったのでしょう?」
咄嗟には繕うことも出来ず、僕は頷いた。
しかし、中身までは話さない。聞かれなかった以上、ここで話しては全てが無駄になってしまうからだ。
桐島さんには悪いけれど、ちゃんと確信を得て、纏まって、それを良しと出来る状況でなければダメなのだ。
ただ、そうだな。やはり、僕もやられっぱなしというのも苦いものだ。
報いれるかどうかは分からないけれど、何でもいいから一つ、この人には勝ちたい。
「僕もそろそろお暇します。お菓子に紅茶、ご馳走様でした」
「お粗末様です」
荷物を纏めて立ち上がり、ドア付近まで来たところで立ち止まった。
「お兄さんから受けた依頼は、僕個人へのものです。内容は言えませんけれど」
「そうでしょうね」
「凄く難しいです。どうなるかも分かりません。それでも、まぁ成し遂げてみせますよ。どうしても一つ、貴女には勝ちたい」
「あら、ライバル視されてしまいました。ふふ」
余裕のある表情は崩れない。
それでも、何かかまさずにはいられない。
だから、ここは桐島藍子という人物の舞台にのっとった方法で。
勝ちにいくなら、それくらいのことではないと。
「ライバル、と言いますか、何というか――やられっぱなしというのも味が悪い」
「そうですか? 私は別に、何かしたつもりはありませんけれど」
「えぇ、当然そうですね。貴女は優しい」
桐島さんは小さく首を傾げていた。
(よし)
条件は整ったとばかりに、僕は言い放つ。
「何もしていない。何も、悪いことなど考えてはいない。ここは、気さくな店ですから」
瞬間、桐島さんの表情が微々たる変化を見せ様子を、僕は目の端で捉え、しかし触れないようにして、記憶堂を後にした。
さて、勝てるかどうか。