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桐島記憶堂 〜お代はあなたの記憶から〜  作者: ぽた
第3章 秋の夜長
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12.装い新たに、おはようございます

 桐島藍子という女性を語る上で外せないのは、その麗しい装いだ。

 あれやこれやと飾らないシンプルな着こなしではあるが、彼女がそれをすると一層女性らしいものとなる。

 ワンピースタイプのスカートに薄い羽織物、ロングスカートにカットソー、等々。自分では「派手過ぎでしょうか?」と周りの目を気にしていて、それはこの人だからという自覚がない。

 無自覚の内に他人を刺激しては立ち止まらせ、振り向かせ、頬を染めさせる。その隣を歩く恋人と思しき人でさえ、怒るでもなく、男と一緒になって見惚れる程だ。

 どんなにあっさりとした、あるいはダサいと言われるような装いでも、この人が纏えばそれは一つのファッションだ。場違いとも思える物であろうと、下手をすれば認められそうな――それは言い過ぎか。

 

 ともあれ。

 そんな桐島さんが、いつにもまして煌びやかな装いをしていれば、自然目が行ってしまうものだ。

 普段は少ない重ねをしている人が、ここまでしっかりとしたものを着込んでいたとあれば。


「珍しいですね、和装なんて」


「そうでしょうか?」


 僕の言葉に、くるりと身体を反転させて帯元を見せて来る。

 どちらかと言えばうなじに吸い寄せられてしまうのだけれど。この人、それを狙っていないから怖い。

 振り返り「どうですか?」と言わんばかりの微笑みが眩しい。


 言わずもがな、綺麗である。もはや、それを言葉にするのも失礼なくらいに。

 黒の着物にポニーテールといった綺麗系かつ可愛らしい風貌は、見た目は大人っぽいのに中身は存外と幼いところもあるこの人そのものだ。


「打ち合わせですっけ、編集者さんとの?」


「ええ。別にお洋服でも良いのですけれど、何といましょうか……見栄?」


「貴女の口から、まさかそんな言葉が出てこようとは」


「あらあら。そういう神前さんも、お口が上手くなりましたね」


 そんなつもりはないのだけれど。


 ちゃんとした予定を組んでの打ち合わせは、相手側の方がいつも場所のセッティングをしてくれるそうなのだけれど、今日はのそれはゲストを招いてのものらしく、少し気合を入れた服装での参加なのだそうだ。

 ニットやらスカートやらといった物が、やはり桐島さんには似合う。しかし――うん、和服も悪くない。寧ろ、大いに有りだ。

 

 何でも、お高い日本食の料亭に予約を入れているみたいで、見栄というのも、つまりはそういうことだ。

 日本料理店に洋服って、別にこのご時世普通のような気もするけれど、持っているからには着て行かなければ、というのが桐島さんの言い分だった。


「それでは行ってまいりますが……ご自分の家が窮屈に感じましたら、この記憶堂、いつでも使っていただいて構いませんからね。合鍵を渡しておきます。ご使用の際には、内側から鍵をかけておけば良いので」

 

 そうして手渡されたのは、可愛らしい猫のキーホルダーが二つついた、見た目には随分と古ぼけている鍵だった。年季が入っている、と言った方が正しかろう。

 唯一人のバイトとは言え、こんなに好き勝手というか、優遇されてばかりでいいのだろうか。

 今更ながら疑問に思う。


「お店の側面にあります勝手口の鍵です。不審に思われぬよう、堂々とお使いくださいな」


「また無茶な注文を。それより、またいつにもまして丁寧な口調ですね。外れていたら申し訳ありませんが、そのゲストさんを思ってのことですか?」


「あらあら、そうでしょうか。神前さん、最近鋭くなってきましたね」


 それは、行ってみれば自然な事ではある。

 自分より何もかも優れている人の傍にこれだけずっと居れば、良くも悪くも影響は受けよう。僕が鋭くなったと言うのなら、それは貴女が僕に対し、同じように披露しているからだ。

 進歩ではなく、これはただの”慣れ”だ。


 鍵を受け取ると、無くしてしまわないように、小物入れに仕舞った。


「女の子みたいにきちっとしてますね。ちゃんとしている男の子は素敵です」


「お褒めにあずかり光栄ですが、しかしこれも長年の習慣ですよ、ただの」


「も?」


「いえ、失言です」


 危ない。これではまた何かを引き出されてしまうところだった。

 コホン。

 わざとらしい咳払いを一つ挟んで、


「まぁ使うかどうかも分かりませんから。鍵、桐島さんが帰ってからお返しすれば良いですか?」


 とう聞くと。


「持っていて構いません。貴方が何か取るような人とは思えませんし、記憶堂の方意外には使えませんから。いつでも、ご自由に」


 それはつまり、二階自宅の方は問題ないから、下の店は使っても良い、と。

 どうしてまたこの人は。


「それ、わざと言ってます?」


「あらあら。ふふ、私は別に、何も?」


 そう言う顔は見事ににやついている。

 どの口が淫猥だなんて言うんだ、まったく。


 溜息を吐いて仕切りなおすと、今度こそ「行ってきますね」と店を出た桐島さん。

 下駄は履き慣れていないと言っていたが、ゆっくりと歩いていく後ろ姿も、それは画になる人だった。


 冷静になって考えると、これはとても好都合な状況ではある。

 どれ程かかるかは分からないけれど、その間はあの膨大な書物を独り占めできるという事――つまり、好き勝手に読み漁って、依頼の尻尾が掴むことができる唯一のチャンスというわけだ。

 今日は家庭教師もないし、本業たるこちらも臨時休業。課題もないし、忙しいことは何もない。


 そうと決まれば。


 記憶堂に向かい合い、その側面にあると言っていた勝手口を探そうと回り込む。

 すると、


「あんたたしか、神前さん言うたかな?」


 ふと背後から声がかけられ、僕は緊張に固まってしまった。 

 怪しまれたか。変な動きをしてしまったろうか。


 嫌な汗を額に滲ませながら振り返る。


「えっと、僕はここでバイトしてる――って、谷村さんでしたか」


 反転した視界の先数メートルの所に立っていたのは、最近になって挨拶を交わすようになった谷村剛志(たにむらつよし)さんという近所に住むおじいさんだ。身の丈は葵よりも小さく、腰も曲がっており、杖をついて散歩をしている姿をよく見かける。


 僕が気付くと、静かにゆっくりとこちらに近寄って来る。

 緩やかではあるけれど坂道なので、こけてしまってはいけないとこちらからも歩み寄っていった。


「おはようございます、谷村さん。こっち方面に来るのは珍しいですね」


 聞いた話によると、家の位置関係的には記憶堂、僕の住むアパート、谷村さんの家となっていて、いつもはここまで来ない。

 最近は体力も無くなってきてな。そんな話をしていた。

 ざわざわ遠出をして、こちらに長ったのであれば――目的は店主か。


「桐し――藍子さんならつい先ほど、仕事の為に出かけて行きましたけれど」


「おや、そうかい。ちょっとばかし用事があったんだけども」


 当たりか。


「ご依頼でしたら、僕から藍子さんに伝えておきましょうか?」


「あぁいや、違うんだ。ちょっとばかし様子を見にね」


「様子を?」


「あぁ。たまーに、お茶しながらお喋りをね。ほら、彼女ってずっと一人だろう? 近所付き合いって訳じゃないんだけども、彼女が越してきた時のことをたまたま知っているものでね」


 引っ越してきた時――家族と思いを違えた頃か。

 なるほど。前から知っているというのなら、谷村さんがここに来ているのは、さしずめ様子見いったところだろう。


「元気にしてるかい?」


「えぇ、まあ。最近ちょっとしたことがあったのですけれど、特に変わりはなく」


「そうかい、それは良かった。真面目で真っ直ぐで気の利くお嬢さんだから、考え過ぎちゃうこともあるみたいなんだ。あんた、バイトだったか?」


「はい、四月から」


「なら、あんたが支えてやってくれ。うちは今、婆さんが入院してしまってよ、しばらくここには来られないかもしれないんだ。だから、その挨拶にと思ってな。僕自身も、そう長くはないだろうから」


 そんなこと言わないでくれ。なんて、僕が言えた義理ではなかった。

 桐島さんと知り合いなら、僕は比べてそれほど面識があるわけでもない。


「――任せてください、と強く出られないのが情けない話ですけれど……毎日通っていますので、変化にはいち早く気付ける筈です。ですので、奥様のお見舞いにも安心して行かれてください」


「ありがとうよ。今時珍しい、しっかりした若者だね」


「全部、藍子さんのおかげです」


「そうか。悪いね、時間取らせて。そろそろ行くよ」


 身体を反転させ、来た道を帰って行く谷村さん。

 お気をつけて。

 そんな僕の言葉に、手を振ってくれた。


 ここに来たばかりの桐島さん、か。

 どのくらい尖っていたら、あそこまで心配されるのだろう。

 気にはなるな。


「……今度会えたら、聞いてみようかな」


 谷村さんが、変化していく桐島さんをどのように見てきたのか。

 それはきっと、此度の依頼にも無関係ではない筈だ。


「さてと」


 興味深い話も聞けたところで、作業を再開。

 先んじては、怪しまれないように入るところから。


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