28."鏡"
「写真の中——この、雪化粧した自然の中に佇む金閣の写真に、藍子は鏡があると言うのですか?」
紗江さんの問いかけに、藍子さんは無言で頷いた。
聞き返しは、至極真っ当なものであった。
写真に写っているものは、言わずもがな手に鏡など持っていない人間数名に、空、金閣寺、池、木々にみで、他には何も映っていない。
拡大すれば虫や取りなんかも映ってはいそうなところだが、こと”鏡”だと強調して言われているものに於いてそれは写っていようが関係はないことである。
鏡。
物や姿を映し出す鏡面のこと。
鑑と記せば、”人の鏡だ”などと、所謂手本のこと。
その形が古鏡に似ていることから、酒樽の蓋のことを”鏡”と言ったりもするし、高麗茶碗によく見られる丸く窪んだ部分のことをそう呼んだりもする。
あとは、書類の一番頭に添えられる、標題、日付、その作成者名を明記した紙面のことも”鏡”と呼ぶけれど——万一可能性があるとすれば二つ目だろうが、篤郎さん目線で鑑だなんて、一体誰のことを言っているのだという話になる。
「見つかりません、藍子。ここに鏡なんて、本当に写っているのですか?」
「あります。それも、見落とすなんてあり得ないくらいに大きな、大きなものですよ」
「大きな——被写体は人間、手には持たれておらず、金閣に木々、空、その中間に池があるだけで——」
言いかけた折。
紗江さんの言葉を制して、藍子さんが「そう——」と口を挟んだ。
そう。
たった今、紗江さんが口にしたものの中に、それは確かにあった。あったのだ。
鏡は、確かにそこにあった。
人間、違う。
金閣、違う。
木々、違う。
空、これも違う。
藍子さんが一つずつ潰していく選択肢。
残るは唯一つ——そう、池だ。
美しい金閣の前に広がる大きな池。
名を”鏡湖池”と言い、それは浄土世界にある七つの宝石の眠る池を模して造られたと言われている池で、七つの宝石とは、金・銀・瑠璃・水晶・珊瑚・赤真珠・深緑色の玉であり、池底には金の砂が敷かれているといわれている。
池面には蓮の花が浮かび、その周囲には金銀と宝石で造られた回廊、そして同じく金銀と宝石で造られた殿堂まで建っているという話だ。
ただ——そんな言い伝え話ありきでも、一切の説明はつかない。
高宮篤郎という一人の人間が優しさで残した言葉の意味に関しては、ただそこに鏡があるということが分かっただけで、何一つ解せないのだ。
しかし藍子さんは、話を聞いた限りでそれが何だか予想が付いたと言った。
この人の言う予想とは、すなわち”確認をしていない”というだけのこと。事実上、真相が解明されたと同意なのだ。
「鏡を破壊、重い円と書いて、破鏡重円という四字熟語があります。意味はご存知でしょうか?」
藍子さんを除く一同は首を横に振った。
「出展は太平記。戦乱の最中、二つに割った鏡を一つずつ持って別れた夫婦が、後に再会出来たという故事から、一度別れたものが元に戻るという旨を表している言葉です」
「戻る——割れた鏡…!」
思わず少しばかり大きな声でリアクションを取った僕に、藍子さんは無言で頷いた。
次に紗江さんが目を見開き、遅れて遥さんは複雑な顔をした。
「”割れた鏡は元に戻る”。ここにおける鑑とは、この鏡湖池とをかけられた言葉遊びですね。ただ——えぇ、皆さんの仰りたいことはよく分かります。どうしてそのような言葉を残す必要があったのか、ですよね」
「無論です。ただ親切心で持っていてくれと頼む程度のことであれば、わざわざメッセージを残しておく必要性はありません」
紗江さんの言い分は最もだった。
知り合いとは言え他人に渡すのであれば、硬く口止めなどでもしておけば良いだけのことだ。
それを、わざわざ難しい暗号じみたものまで準備する必要はない。
その難しさ故に、首を捻り、月日を経たせ——と言った旨ならまぁ分からなくもない話ではあるけれど、仮にそうであるならば、写真中にあるものをヒントにする意味もない。
紗江さんの指摘を受けた藍子さんは、瞬間だけ目を閉じた。
しかしそれもすぐに開かれると、一呼吸置いて、紗江さんに一つだけと断って質問を返した。
「仮説の裏付けをしたく。その当時——そうですね。内容までは覚えていなくても構いません。篤郎さんが、何か特徴的な話をしていたということは有りませんでしたか?」
「特別な……そう言えば今思い出しましたが、藍子が先ほど披露した知識は、篤郎さんも似たようなことを口にされていた気がします。篤郎さんと葵ちゃんが会話しているのを遠くから聞いていただけなので、はっきりとはせず申し訳ないのですけれど——えぇ、確かに篤郎さんは”鏡”、あと”蓮の花”と口にしていました」
「なるほど」
藍子さんは頷き、一言だけ。
——仮説は成りました——
神妙そうな表情を解し、いつもの柔らかい笑みを浮かべると、
「やっぱりこれは、篤郎さんの優しさですね」
そんなことを言い放った。