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桐島記憶堂 〜お代はあなたの記憶から〜  作者: ぽた
第4章 一人だけの演奏会
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26.紗江のことと藍子の恋路

「ありがとうございます、紗江さん」


 以前と同じように、遥さんの呼び出しによりやって来たのは第一音楽室。

 遥さんの演奏を聴き、前回同様にズレの幅を指摘し終えたところで、丁寧にも可愛らしいデザインの封筒に入れられた礼の写真を受け取っていた。


 何だそれ、と尋ねる遥さんには、まだ話せないのか、紗江さんはいつもの穏やかな表情を崩さぬままで「何でもありません」と瞳を伏せた。

 そのまま追随を許さず、さぁもう少し練習ですと空気を変えると、遥さんをさっさとセットポジションに持っていかせた。


 そんな二人に軽く挨拶だけ残して、僕はすぐに音楽室を後に。

 目指すは記憶堂だ。




「預かってきました」


 いつもの奥部屋。

 渡したのは、紗江さんから借り受けた写真の入った封筒だ。


「お手間をおかけしました、ありがとうございます」


 頼まれごとではなく、僕が勝手に紗江さんに頼んだことなのだけれど。

 義理と言うか、こちらも僕が勝手に紗江さんをここに連れて来たのだから、一度は藍子さんを通すのが自然であろう。


 パタンと小気味いい音を立てて文庫を閉じ、机上端に置くと、藍子さんは早速と僕から受け取ったそれの封を開け、中身を取り出し視線を送る。

 向かいに腰かけた僕からは、そこに映るものは一切見えない。

 と、何も言わず藍子さんの行動を見守っていると、一通り目を通したそれを、上向きは僕の方を向けて置いた。

 

 中身は二つ。

 まず一つは、話にもあった集合写真だ。

 まだ幼い葵と遥さんの背後には、そのご両親と思しき、目元や口元なんかが少し似ている大人の男女が二人、その横には紗江さんと岳さん、背後にはこちらもそのご両親と思しき男女二人。

 一面雪化粧の中心にある金閣寺を背景に、皆が一様に笑顔で映っている。


 そしてもう一つ。

 話には具体的になかったけれども、そうであると断言出来る、管理物。


 葵、篤郎さん、そして――紗江さんの、三人だけが映った写真だ。


「こんな写真が……これだと、その当初は葵と紗江さんがとっても仲良しな感じがしますね。二人とも、そして篤郎さんも、凄くいい笑顔だ」


 真っ白な真冬の景観であっても、それを思わせない程に温かな笑みを、三人ともが浮かべていた。


「合格が分かった時分という話ですから、藍子さんはこの頃の紗江さんを知りませんよね?」


「はい。私たちは高校からの付き合いですから。面影は今も昔も変わらず、優しくふわりとしたものですね、紗江」


「いやいや、それは藍子さんもですよ? 前回の依頼にて、修二さんから幼少の頃の写真を見させていただきましたが、何と言いましょう、幼い少女の筈なのに、今とそう変わりないような気がしました」


 何とも無しにそんなことを言ってみれば。

 ふと、藍子さんは「ふふ」と口元に手を添え、いつものように笑ってみせた。


「随分と自然に、名前で呼んでくださるようになりましたね」


 さらりとした良い方で思い起こすのは、初めてここを訪れた折の心地。


 新天地にて緊張しきっていた僕をもてなし、少しばかり揶揄い、ふわりと包み込んでくれた声音。

 幾度となく支えられてきた包容力は、はっきりと僕の中に残っている。


 だからこそ、気になってしまう。

 紗江さんの依頼をそっちのけにしてしまうのはアレだが、先日実家に帰った折のこともあってかどうにも気になって、僕はついぞ耐え切れずに切り出してみた。


「そうやって笑う藍子さんは、本当、とても優しくて魅力的な女性ですよね」


 言ってみると、いつものようではなく、珍しくも少しばかり狼狽えた表情を見せた。


「な、何を仰るのですか、神前さん…?」


「いえ。ふと、気になってしまったんですよ。僕の、というか僕らの恋路は応援してくださるのに、藍子さんはどうなのかな、と。先日実家で、姉に恋人が出来ない理由について話したりしていたのですが、貴女にはそれがどうも思い当たらない。作っていないのか作れないのか詮索するつもりはありませんが、気になる方の一人くらいはいないものかと」


 実際、初めてここを訪れた折には、人妻だとさえ思ってしまった程だ。

 僕の母並みかそれ以上包容力に物腰の柔らかさ、見た目の麗しさ、口調の丁寧さ――と、どれを取っても非の打ちどころはない。

 たまな揶揄いや弄りだって、慣れてしまった今としては、彼女の持つ魅力の一つだとも思える。


 だから、というのも変な話ではあるが、彼女が指輪をしていないのが不思議でならなかった。

 これでまだ独り身なのかと、勝手ながら驚いてしまったのだ。


「うーん…何と申しましょうか。他人の、今で言えば真さんの恋路には、大変興味はあります。大切な部下と大好きな依頼人の女の子が、なんて、とっても素敵なお話ですから」


「他人は、ですか」


「はい。正直なことを申しますと――自分がそうなっている姿が、全く想像できないのです。どのようなタイプの殿方が隣にいるのか何度想像してみても、そこに私の姿がくっつかないと言いましょうか」


「どういうことでしょう…?」


「だからこそ、と言いましょうか。私が作家をしているのは」


 そんな言い分に、僕は益々の疑問が募る。


 それに応えた藍子さんの言いたいことはこうだ。

 今まで、あらゆるジャンルの小説を出してきた藍子さんの作品は、そのどれも、主人公とメインサブキャラの個性がバラバラだ。

 それは、藍子さんがあらゆる”想像”を持っていて、それを文字に起こしているから。

 中には恋愛小説もあって、僕が読んだデビュー作である”二十一”も恋物語だった。

 

 藍子さんは、自身の想像する理想を文字に起こす度、それらは文字だからこそ価値あるものと得心し、決して自身には重ねない。いや、重ねたところで、それに共感が持てないのだ。

 だからこそ多くの作風を描き、また想像し、創造していく。

 そのどれもが例外なくとても尖った、特徴的なものである作品が出来上がっていくのだ。


「つまり、こういうことですか。自身で思い描く”想像”は、自分の理想ではない、と」


「簡単言うと、そういうことです。私が”想像”するそれらは、私が理想とするものではない。言い換えれば、私でない人々の理想――私を主人公とするものではないのです」


 勝手な想像ではあるが、物書きの原点は、自身の”好き”や”理想”から始まるものではないのだろうか。

 人が、自身が、嫌うような作品は、普通は生み出さないものではないのだろうか。


 藍子さんの言い分だと、それがどうして成功しているのかは疑問となってしまうが――


「ふふ。私、ちょっと人とは感性が違うみたいなんです」


 少しばかりの困り顔だが、こちらは普段のように柔らかいふわりとした笑み。


「そうやって笑みを浮かべて言える辺り、藍子さんのそれは、やっぱり僕から言わせれば美点だ」


「嬉しいことを言ってくださいますね。私からすれば、そういう切り返しが出来る真さんは、やっぱりとても素敵な殿方です」


 何を言うのやら。

 肩を竦めてそう返してみると。


「次回作の主人公は、真さんのような男の子にしましょうか。ともすれば、私の理想は……」


「僕は主役なんて柄じゃありませんよ、よしてくださいね。それに、僕はもう葵一人に決めてますから」


「あら、フラれてしまいました。告白した気もありませんのに」


「相も変わらず意地が悪い人だ。本当、楽しそうに僕を弄りますよね」


 それで悪い気がしない僕も僕だが。


 笑いも一段落つくと、再び話題は写真の件へ。

 紗江さんの話を思い出し、再び心はざわりとする。

 

 同時に、思い出したこと一つ。

 それによれば、この写真の裏には――


「ありました。”割れた鏡は元に戻る”とありますね」


 そこには、達筆でしたためられたそんな文字の羅列が。

 覗き込んで来たかと思えば笑みを浮かべる藍子さんに、僕はまた、首を捻る。


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