24.”葵の花”の花言葉
クリスマスを終え。
年末を終え。
迎えた、新たな一年の始まりは元旦。
新年始まりの日と言えば初詣というところで、場所は葵たっての希望で、少し足を延ばして近所にある宇部神社へと赴いていた。
鳥取市内。
大化四年は西暦六四八年の創建以降、度々再建されて来た本殿は、それでも直近は明治三十一年の再建という、歴史ある二十二社註式だ。
現在に至るその最新の本殿は、明治三十二年発行の五円紙幣に印刷されている。
「綺麗なところ…前にここに来て帰った後、この辺りについてちょっとだけ調べたんだ。そうしたら、有名な神社が一つ見つかって」
「ここだった、という訳だね」
僕の相槌に、葵が深く頷いた。
一度興味を持ったことには真剣で深く。
葵はそういう性分だ。
境内に入るとまず見えて来るのが、本殿は手前の七宝水。
七宝とは、仏教に於いて貴重とされる、金・銀・瑠璃・水晶・珊瑚・赤真珠・深緑色の玉、その七種類の宝石を指している。
有名な焼き物”七宝焼き”の語源もこれだ。
日本一の長寿、三百年を超えて生きたとされる武内宿禰に所縁があり、延命や健康に良いとされている。
女性なら姿勢を正して飲めば美人になれる、七宝に準えて七つの効能がある、等とも言われているものだ。
「物知りだね」
「地元も地元、これだけ近所の場所だと、どうやっても詳しくはなるよ」
祖父母に母、友人、知人から何度も聞かされれば、否が応でも覚えるというもの。
それとは別に、僕が単純にそういった経緯や歴史に少なからず興味があるというだけの話でもあるのだが。
さて。
昨夜に続き知識を披露したところで、そろそろと頃合いだろう。
七宝で手を洗った僕らの背にかけられるのは、聞き覚えのある低くよく通る声。
振り返る葵は、瞬間で目を見開き固まった。
「お招き感謝。綺麗なところじゃないか」
爽やかに片手を挙げて近寄る一人は、分厚いダウンジャケットとマフラーに身を包んだ遥さんだ。
年始に少しでも時間が取れれば来てくれと、先日メールを出しておいたのだ。
葵が固まってしまっているのは、僕が遥さんに頼んで内緒にしてもらっていたから。
サプライズ、とまではいかないつもりだったけれど、存外、ともすればそれ以上の驚きを、葵にはどうやら与えてしまったらしい。
「――どうして、こんな遠くに…?」
「どうしてとはまた挨拶だなぁ葵。せっかく唯一の家族が遥々やって来たって言うのに」
やれやれ、といったジェスチャーで以って残念がる遥さん。
対して葵は、言葉こそ出て来ようとも、固まったままなのは変わらない。
そんな葵にも一言発し終えると、遥さんは僕を一瞥し、そのまま更に隣にいた僕の母と姉へと目を向け、頭を下げて礼を言う。
「八月、あと年末年始にかけて、妹がお世話になっております。兄の高宮遥と申します。この度は――と言いますかこの度も急な話を受け入れていただきまして――」
律儀、且つ正しくも言いかけた遥さんを、
「あぁお兄さん、硬い話は無しよ、無し」
姉が片手をひらと振って躱した。
「こんな可愛い子のお願い、聴いてあげない方が可笑しいでしょ。宿も食事もお風呂も、全部まとめて面倒見てあげるわよ」
「ちょ、姉さん…!?」
「と、まぁ冗談は一割にして――」
ほぼ本音なんですね。
呆れる僕を流して、しかし姉は、今度こそ真面目な表情へと変わった。
まずは遥さんに顔を上げさせ、その瞳を正面に据えて言葉を放つ。
「簡単ではありますけれど、葵ちゃん――いえ、妹さんの、そしてあなた自身の境遇は、前回来ていただいた折に拝聴いたしました。同情、と言ってしまっては聞こえは悪いのですけれど、私たち神前家の者は皆、それを以って彼女を受け入れることを正しく決めました」
「お姉さん…」
「それとは別に、彼女自身の優しさ、心持ち、思いやり、そして弟への愛情――全て含めて、私たちは彼女を受け入れた次第でございます。けじめこそあれ、過剰に恐縮する必要は露ともございません。どうぞ、存分に甘えてくださって結構です」
――初めて聞いた。
実の姉の、正当で真っ当な、それでいて心の通った丁寧な言葉。
口では、そして表面上の態度ではいつもあぁなのに――否、弟という立場でありながら、そういった面しか見たことがないといっても過言ではない。
心の中では、底の方では、しかと情報を噛み砕いた上で、確かな愛情で以って葵を受け入れてくれていたのだと、今ようやく分かった。
「ありがとうございます…!」
「あ、ありがとう、香織…」
片や、律儀に再び頭を下げ礼を言う兄。
片や、同じく律儀でありながらも、砕けた言葉で礼を言う妹。
一見異なるようでバランスは取れている兄妹である。
と、姉さんは小さく微笑んだかと思うと、元の普段通りな表情へと戻り、
「そう畏まらないでよお二人さん。葵ちゃんが可愛いのは事実、それにこれだけ優しいお兄さんなんだもの。二人まとめてだって面倒見られるわよ」
「それは言い過ぎだよ、姉さん」
流石に無茶が過ぎるというもの。
「年始まではここに居るって予定を組み、それを善しと決定付けたのは僕ですから。そこに無理を言って駆けつけて頂いただけでも、寧ろ礼を言うのは僕の方だ。ありがとうございます」
「あぁいや、別にお前は礼を言うことでは――年始に家族離れ離れっていうのも、なんてメールが来た時には、そりゃあ飛んで喜んだものだ。葵だけにゾッコンご執心かと思いきや、俺のことも忘れてなかったのな」
「当たり前でしょう、そりゃあ。無理言って気を遣わせてしまったんじゃないかとか、色々ぐるぐると気が気じゃなかったし」
「意外と繊細なのか、お前」
「優しいと褒めて頂きたいところですね。ともあれ――」
役者は揃った。
葵の大一番を支える初詣なんだ。
そりゃあ、誰より大好きで頼りになる実の兄がいてくれた方がいいだろう。
上手く合流、纏まったところで、ふと袖を控えめに二度引かれる感覚があった。
見やった傍らには葵の姿。
「ありがとう、まこと。ちょっとビックリだけど、嬉しい…」
「遥さんにも来てもらおうか、なんて相談したら、葵はきっと遠慮恐縮しちゃうだろうからって黙ってた。ごめんね」
「ううん、それは良いんだけどね。何て言うか…」
ふと仄かに赤くなる頬。
何か、と追随する僕に、葵はついぞ「何でもない…!」と遥さんの方へ。
しかしそちらにも質問のネタは落ちていたようで、葵の首元にある件のネックレスを目聡く見つけるや、葵には何も聞かず、代わりに僕の方をにやりと嫌な笑みで向いて来た。
「クリスマスか?」
「えぇ、まぁ。アクセサリー類、ダメでした?」
「んにゃ、そんなことはないぞ。葵が密かに憧れ持ってるのは知ってたから、有難いことこの上ない」
「それはどうも」
「おう。しかし――」
じっと妹のそれを見やる。
そうして数秒、すぐに遥さんは再び僕へと向き直り、しかし先よりかは幾分優しい笑みを浮かべた。
「葵の花、か。粋なことするじゃないか」
「デザインも落ち着いて可愛いし、丁度良かったんです」
「こんなもんプレゼントされたら、もう初詣の必要もなさそうだな」
ふと零れたそんな一言には、葵が「どうして?」と食って掛かった。
「どうしてってお前、葵の花言葉って受験にぴったりじゃないか」
当然のようにそう語る遥さんに、葵は益々と首を傾げる。
先日は敢えて言わなかったそれら。
本来は別段隠す必要性もないのだけれど、思い付きとは言えあからさまなのもどうかと思って、個人的な恥ずかしさから隠していたというのに。
葵の花言葉。
気高く威厳に満ちた美。他には――
「大望、野心、豊かな実りってな。葵、お前は絶対うちに受かれるぞ。良かったな」
「兄貴――まこと…!」
まったく。
よして欲しいものだな、こういった意図しない辱めは。
受験まで、あと二ヶ月と少し。
きっと受かっていることを願うばかりだ。