22.葵の決意
ご馳走様でした。
揃う五つと一つ客の、計六つの声。
パン、と小気味いい柏手とともに響くと、大変美味な夕食だった為か、部屋な余韻を残して消えた。
祖父母と母は後片付け、姉さんはデザートとして果物を切っている。ならばと僕は風呂掃除を済ませて手持ち無沙汰、居間で寛いでいる葵の隣へ腰を下ろした。
炬燵の上に広がるみかんの皮は、葵の消費した分だ。
手にした最後の一掴みを口へと放って、傍にあったティッシュを一枚取って落ち着いた。
「ねぇ、葵」
ふと、気になったこと一つ。
「何?」
「いや、今更なんだけどね。どうしてうちに来たがったのかなって」
「あぁ、そのこと」
いつか聞かれることだと予想していたことだったのか、葵は「何だ」と言わんばかりに嘆息を吐いて目を伏せた。
「前は偉そうなこと言ったけど、私は私で受験が不安。だから、ちょっと勇気と言うか、年最後にまことと過ごして、元気になりたかった」
「結果は?」
「貰いすぎた、かな。本当はまことと居られればって程度だったんだけど、やっぱりここの人たちは温かくて。ちょっと贅沢し過ぎたくらい」
「いいじゃん、贅沢。自ずからじゃなくて他人から善意で与えられるものなら、甘えたってバチは当たらないよ」
「ふふ、そうだね」
甘やかしたい訳ではないが、そういう理由なら、ここにいる間はとことん甘えさせてやろう。
真面目が過ぎる葵は、そう語りながらも参考書をチラと見やっているし……勉学の方も、取り立てて問題とする程でもないだろう。
薄く笑うと、葵はもう一つとみかんの皮を剥き始めた。
半分、また半分と割り、一つずつ手にとって口に運ぶ。
「まことは、優しいね」
二つ目を喉へ送った後で、葵がそんなことを呟いた。
ある種聞き慣れた言葉ではあるが、またどうして改まってそんなことを。
聞き返す僕に、葵は食べかけのみかんを置いた。
「合格発表の日、ちゃんと番号があったら――私は、神前真に告白します」
くすりとも笑わぬ、真剣な眼差し。
まだ一年とも満たない付き合いではあるが、その中でこういった類の目は見たことがない気がする。
心臓が跳ねる。
鼓動が速くて五月蝿い。
けれどもそれは不快な感覚ではなく、確かな熱を身体中に巡らせた。
「――ま、また突然だね。どうしたの?」
「改めて覚悟と、宣言。言った通り、私も流石にちょっと緊張があるから。それを乗り越えるための、それよりおっきな目標の表明」
「受験よりそっちのが大きいんだ。まぁ、嬉しくはあるけどさ」
受験を乗り越えた先に待つ僕への告白がそれだと言うのなら、悪い話ではないどころか、寧ろ光栄なことである。
「なら僕は、葵が合格発表の日に告白をして来たら、全力で応えるよ。ちゃんと目を見て一緒になって喜んで、その上で応える」
「うん――やる気、出て来た」
「その意気だ。楽しみにしてるよ」
「勿論」
自信満々。
静かながら確かな闘士のあるその瞳は、宣言を十二分に叶えてくれそうな程、頼りになるものである。
不安こそ確かにあろうが、多分大丈夫だ。
少なくとも、そう思えるくらいには。
「さて。なら、家庭教師出張版といこうか。明日はささやかだけれどクリスマスパーティーもあるからね」
「うん。お願い、まこと先生」
「そんなガラじゃないんだけどね。まぁ良いけど」
応じると、早速参考書を開き臨戦態勢の葵。
すぐに僕も加わって、プチ勉強会と相成った。
再び聞こえる、眠り姫の吐息。
続けで二時間と半分もやれば、それは疲れよう。
小休止にと姉さんが持って来たお茶も、勉強をしながらで飲んでいたし、事実上ノンストップであった。
などと思っていた折、ふと控えめなノックの音が耳を打った。
「入っても大丈夫かしら?」
ちらと顔を覗かせたのは姉さん。ひたすらに参考書と睨めっこする葵のことが、少し気にかかっていたらしい。
「ガス欠?」
「かな。あれだけ頑張れば、流石にね」
「受験生だから頑張り屋さんなのは大いに結構なんだけど、無理して倒れてしまわないか心配だわ」
「最悪そうなっても、僕か遥さんが診るから大丈夫だよ」
「言い切るのね。大好きじゃない、この子のこと」
揶揄するような言葉には返さないでおいた。
葵も葵で、炬燵で寝ると言うのもそれを促進しているようなもの。
せっかく寝付いたところで悪くは思ったが、体調の良さには代え難いものだと、肩を軽く揺すって起こしてやった。
むにゃむにゃとゆっくり起き上がる姿は、やはり愛らしい。
「隣の和室に布団敷いてあるから、そっちで寝な。風呂は遅くなっても構わないから」
「うん……ごめんね、また」
「炬燵だとあまり疲れも取れないし、どころか風邪もひきやすいからね」
「分かった…おやすみ」
それだけ短く言ってふらと立ち上がると、葵は支持した和室の扉を開けて、倒れこむようにして眠りについた。
「まったく」
布団をかぶっていないのでは、炬燵とさして変わらない。
溜め息混じりにそちらへ歩み寄り、肩までしっかりかぶせてやる。
「恋人と言うよりかは、兄と妹よね」
「そうかな? まぁでも葵には、葵のことが大切過ぎて無茶をし過ぎる実の兄がいるからね。あの人には負けるよ」
「あら、あんたも相当なものよ?」
「うるさい。それより、姉さんはもう風呂に入ったの?」
「ううん、これから。疲れ切った葵ちゃんと一緒にって思ったんだけどーーこれじゃあね」
「一人で入りなさい」
また葵が怯えてしまうではないか。
バッサリ言い捨てると、姉さんはややしょんぼりしながらも炬燵に潜り込んだ。
ふぅと癒しの声を上げ、それを機にぴたと動きを止める。
まったく気楽な人だ。
「なら先に僕入るよ?」
「どうぞどうぞ。私はちょっとゆっくりしてるよ」
振り返りもせずにひらと手を振ると、姉さんは再び動かなくなる。
これは満足いくまでテコでも動かないな。