花あらしの音
私が彼への密やかな恋を始めて、もう何年になるだろう。
それは静止した独楽のように、深い静寂の中に澄んでいる。
誰もが通り過ぎる少年や少女の季節の中で、彼は何処にでもいそうな純朴な男の子だった。頭が良くて人当たりの良い、大人びた優しさを持った少年。
彼の優しさは、彼の生涯を貫いていた。その優しさは用意されたもので、小学生のある時、両親は既になく、祖父母と暮らしているという話を人づてに耳にした。
運動会などの際には、品の良さそうな白髪のお爺さんと、常に遠くを眺めているような眼差しの、控え目なお婆さんが彼の傍にいた。笑顔が穏やかで物静か、しかし芯の強さを感じさせる人たち。二人の前で、彼は子供らしい子供を作っていた。
私はそんな彼と彼に纏わる人を、遠くから眺めていた。息を吸うように他人に気を遣う彼が、不思議で、不気味で、子供じゃないみたいで、気になっていた。
だが、小学生の頃は殆ど話をしなかった。時折、何の偶然かふと目が合うと、彼は均一に整った笑顔を私に見せた。それは常に同じ貌だった。私は視線を切り、その場を後にした。教室からは、彼を中心に置いた笑い声が放射状に放たれていた。
中学も一緒だった。クラスも三年を通じて同じで、委員会の選択も重なる時があった。部活も男女に分かれていたが、同じ競技種目を選択していた。
学校は共同生活だ。何かの際、苗字で呼び止められることが多くなる。作業を分担することや、問題に対して一緒に当たることが度々あった。彼を間近で眺める。申し分のない成績や評判の中で、自分を何処までも低く見ている彼がいた。
彼は優しかった。
優しかったが、それは、自分に何の価値もないからこそ、人に対してせめて優しくしようという、世界に対する彼なりの位置付けのように感じることがあった。
彼は何処までも、自分を自分以上に見せなかった。彼はこの世界に馴染まず、異邦人のようだった。申し訳なく、世界を間借りしている。そんな印象だった。
そのような視線で私が彼を見ていると、また、いつかのようにふと目が合う。その距離は、小学生の頃に比べると随分近かった。彼は笑った。また、あの貌で。
「いつまでも、良い子でいる必要はないと思うんだけど」
どうしてそんな言葉が私の口からこぼれたのか、今でもよく分からない。自分自身に驚いていたが、その動揺は彼には伝わっていなかったと思う。
そして、彼はその時も、少しの驚きの間を開けると、均一に整った笑顔を私に向けた。笑みに使われた筋肉の動きが、情念のきしみのように見えた。彼は何も言わなかったし、問わなかった。私は彼をじっと見ていた。彼が、困ったように笑う。
人を好きになることは、悲しいことなのかもしれない。
私がそんな考えを持つようになったのは、多分、その頃からだ。
中学生にもなると、学校の行事や委員会で必要になるからと、お互いの連絡先を交換していた。何が切掛けか、用事以外のことを時々、どちらからともなくやり取りするようになった。短い文章の中、心の深い所をそっと見せるようにもなった。
中学も三年に上がる。瞼に、四月の眩しい輝きが溜まる。校門脇に連なる桜の下には、薄桜色の影がゆらゆらと揺れていた。怠惰に似た、午後の緩やかな時間。
委員会の広報を作る為に、桜の写真を数人で撮りに来ていた。風が強く、花びらが舞う。耳元でごうごうと音がした。それは、過ぎ去っていく時間の音のようでもあった。
私たちは、誰も知らない場所で、その日に至るまで様々な話をしていた。番いの小鳥がついばみ合うような口付けは、吐息混じりに、清潔に甘いことを知っていた。
彼の他に二人いた男の委員が、遊び始めて走り出す。それを私の他にいた、女の委員が追う。風が吹く。ふっと、苦笑するように息を抜く音。彼の足音が近づく。
「こんな、花あらしの日には」
可笑しな言い方だが、彼の微笑が、何かの切れ端みたいに聞こえた。
構えていたカメラを下して、彼に視線を転じる。桜がまた、ごうと鳴った。躊躇うように口元に笑みをたたえると、彼が静かに言い直す。
「こんな花あらしの日には、全てを捨てて、二人で何所か遠くに行きたくなる」
彼が養子である、ということの重みは、そこには感じられなかった。誰に強要されるでもなく、全て彼が選択して、彼は彼としてあった。境遇に酔ってもいない。
ただ、彼には一切の道が決められ、そこを辿り、死ぬまでそうやって、彼は人生を演じ続けるということの悲しさが、一筋の透明な光となって、花あらしの午後に注がれているのを感じた。
全ては、花あらしの中の出来事だった。
それ以降、彼が弱音や、それに類したものを吐いた姿を見たことはない。高校も同じだったが、同じクラスで授業を受けることはなかった。それでも、短いやり取りは続いた。何度か一緒に出かけた。大学は彼は地元に、私は東京に進んだ。
それが二人の選択で、やり取りは途絶えた。大学卒業後、私は総合商社に勤務し、数年後には辞めて一般文藝の作家になった。作家として安定した収入を得られるようになったのは、三十を目前にした頃だ。
彼は大学卒業後、公務員となったと噂で聞いた。地元で結婚をし、子供もいるという話だ。数年前に、出版社経由で送られて来た手紙で、久しぶりに彼の文体に触れた。そこには近況が綴られていた。全て、前以て分かっていた彼の今だった。
数か月に一度や半年に一度、私たちはあの頃の自分に戻って、文章を打った。短い文章のやり取りが再開した。私はその間、小説で、人間の人生の色々について書いた。何もすることがないと、何かと戦っているような気がしてならなかった。
体調を崩して、半年間、書くのを止めた。気付けば外は桜の季節となっていた。窓を打ちつける、風の音たち。あおられる、薄桃色の花弁。いつかの、花あらし。
文章を、彼にふと打った。
「こんな花あらしの日には、全てを捨てて、あなたと何所か遠くに行きたくなる」
鼻から息を抜くように、自嘲した。私は、弱っているのだろう。だから、彼から直ぐに返事があった時には、思わず瞼を下げてしまった。
こんな時でも、彼は優しかった。
過去が、とても美しい時間の塊が、ゆっくりと解れ、頭の中で渦を巻く。
でも、これは、夢。それ以外の、何ものでもない。
或いは遊戯。それ以外の、何かである必要はない。
窓の外を見る。こんなふうにして私は彼と、永遠の夢まぼろしを分かち合っていけると良い。あり得ないことを、あり得ない儘に。それで充分。
山裾を埋める桜が、風にあおられ、吹雪のように花を舞い上がらせていく。次第に、窓を打つ風は弱まる。それでも不思議と、私の耳はある音を捉えていた。
過ぎ去っていく時間の音に似た何かが、あの日の二人の背丈を越え、遠い空まで響いていく。耳を澄ます。また、ごうごうと鳴った。
花あらしの音、だろうか。