表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

触れたノートの熱は冷めずに

作者: 小梅





「裕太のばか!」



その場にいる全員の視線を一身に集めるほどの大声が教室に響き渡る。私の声だ。でも仕方ない。全部こいつが悪いんだから。


「悪かったって…ついうっかり…」

「うっかりで済む問題じゃないでしょ!」

彼の弁解を遮るように、私の声がまた響き渡る。


その頃には、教室にいる人々はそれぞれの世界へと戻っていた。特に珍しい事ではない。もはやこの光景は日常茶飯事になりつつある。




「いや…朝やってたらさ…そのまま机の上にオレのと一緒に置きっぱにしちまったみたいなんだよ…」

「言い訳無用!もう、今日の3時間目に提出なのに!」


この一連の騒動の始まりは、私の友人である裕太が、私───舞に貸してもらっていたノートを家に忘れてきたことからだ。




焦りと多少の怒りを抱えた私に、焦りを浮かべる裕太が告げた。


「───まぁ、なんとかするから」



その言葉の告げられた直後、タイミングを見計らったかのように授業開始のチャイムが響いた。








机に頬杖をついてぼうっと外を眺める。幸い、私の席は窓側のため、外の様子がよく伺えた。

しかし外も穏やかな天候ではなく、ごうごうと雨が降り続いている。まるで私の心を表しているかのように。



もうノートのことは諦めた。授業前に先生に提出できない事を伝えよう。なるべく早く裕太から取り返してすぐに提出すれば、大幅の減点は免れるかもしれない。




淡々と授業は進む。このうるさいほどの窓に打ち付ける雨音は皆には聞こえていないようだ。板書を取る気にもなれず、私はただその雨粒たちを眺め続けた。



授業も中盤に入った頃、雨脚はさらに強くなっていた。そういえば、登校するときにはもう少し穏やかだった気がする。きっとこれからもっと強くなっていくだろう。そんなことを考えていると、私の瞼はどんどん重くなっていく。ついに私は意識をまどろみの中へと手放した。




その時、瞼の裏に裕太が雨に打ち付けられる中、懸命に駆ける姿が映った。









私が次に瞼を開いたのは授業終了のチャイムが鳴り終わった頃だった。すっかり寝てしまったと悔やみつつ、ひとつ伸びをする。

欠伸を噛み殺すと後ろから声をかけられた。


「また寝てたでしょ。もう、舞ったら」


苦笑しながら近寄ってきたのは私の親友。髪を肩まで伸ばし、頭には臙脂色のピンをひとつつけている。ブレザーの胸元から覗く茶色のカーディガンには、ワンポイントの刺繍が施されており、まさに女の子の中の女の子。私とは雲泥の差。


またやっちゃった、と舌を出すと、親友は私の頭を小突いた。



「次、音楽だっけ。移動しなきゃね」

そう言ってそれぞれの支度を始める。教科書、ワーク、リコーダー、ファイル。それらがあることを確認し、音楽室に向かおうとした時、私はハッと気付いた。


裕太の姿が、見当たらなない。


「あれ…裕太は…?」

「裕太?」

2人してキョロキョロと辺りを見回すが、あいつの姿は見つからなかった。

「先に音楽室に行ってるんじゃない?」

何でもないように親友は言う。口では「そうだね」と告げたが、私は先ほどの映像が頭に引っかかって仕方がなかった。



音楽室に着いてもやはり裕太の姿は無い。もしかしたらただの杞憂に過ぎないかもしれないと思い、授業開始まで待ってみることにした。

しかし、チャイムが鳴り終わってもあいつは姿を見せなかった。先生もその事に気がつき、生徒に尋ねると1人の男子生徒が答えた。


「あいつ、1時間目に抜け出したよ。先生が見てないうちに」


私はあまりの衝撃に目を見開いた。



抜け出した?

誰が?

裕太が?

何のために……?



確かに、勉強もさほど出来ない馬鹿だったけれど、授業に抜け出すほどの馬鹿だとは思わなかった。私の頭の上にクエスチョンマークが幾つも浮かぶ。思わず、口からため息が溢れた。




授業が終わると親友が私のもとに駆け寄ってきた。


「ねぇ、裕太の話…」

「ほんとにあいつ、馬鹿だ。なに抜け出しちゃってんのよ」


文句を零すとまた彼女は苦笑した。

裕太の話はそれで終わり、私たちの会話の話題は他のものに移る。




教室に着き、自分の席に座って次の授業の準備をする。次の授業は、数学だ。手元に無い数学のノートのことを思い、またため息が溢れた。

窓の外を見れば、案の定、先ほどよりも天候は悪くなっていた。風雨の音が先ほどよりもうるさく感じる。



ふいに、とんとんと肩を叩かれた。誰かと思い、振り返ってみれば───


「よう、舞」


片手をあげ、そこに立っていたのは、裕太。

全身がびしょ濡れで、髪の毛から雫が滴り落ち、床を濡らした。肩で息を繰り返している。走ったのだろうか。


思わず立ち上がり「何やってたの⁉︎」と尋ねると、彼はバツが悪そうに言った。


「ノート、取りに行ってたんだよ…」


ぶっきらぼうに突き出された右手には、もう諦めていた私の数学のノート。表紙に私の名前が書かれている。間違いない。

不自然にノートを受け取りペラペラと中を見る。見慣れた数式の並ぶそれは、確実に私の数学のノート。



「あ、悪ィ…濡れちまったか…?一応ブレザーの内側に入れといたんだけど…」

よくよく見るとノートの隅にシミができている。触れるとまだ水分を含んでおり、雨に濡れたことがわかった。


「べ…別にそれはいいんだけど…あ、あんた何で傘持って行かなかったのよ⁉︎」

動揺で少し声が震えた。それに気づかれぬようにと声を張り上げたが、勘の良い奴だ。きっと見透かされているだろう。


しかし、裕太はそれには触れず、淡々と答えた。

「傘、忘れた。てか先生にバレずに持ってくのとか超難関」

口調と容姿はチャラいが、中身はとても誠実で思いやりがある。無理してノートを取ってきたのも彼のこの性格故のことだろう。


そう思うと笑みが零れる。それを見て裕太も安堵の表情を見せた。

「てか、裕太のノートは?」

私が思い出したように切り出すと、彼はしまったという表情をした。


「やべ、忘れてきた」

「もうバカじゃないの。一緒に持って来れば良かったのに」


私は、今度は腹を抱えて笑った。

人もことばかり考えて自分を二の次にしちゃうのは、裕太の良いとこだよ───その言葉を伝える代わりに、私は盛大に笑った。



「こりゃ、先生にしばかれるな」と、裕太はぼやきながら頭を掻く。そのマヌケな表情もより笑えてくる。




授業開始のチャイムがなった。きっと先生は授業の最初にノートを回収するだろう。先生がノート回収を告げた後、きっとあいつは立ち上がって「先生、ノート忘れました」って言うんだ。誇れる事じゃないのに堂々と、胸を張って。そのびしょ濡れの体とその行動に皆は爆笑するだろう。頭の中で考えるだけで吹き出しそうになった。



少し視線を落とせば、あいつの持ってきてくれた数学のノート。ノートの隅のシミをそっと撫でる。触れる手が少し熱く感じた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ