4日目
強い回転を感じて、弓張月は目を覚ました。
―――急ごしらえだからなあ。中心軸がずれてたかな?
もそもそ。
『ひゃっ!?』
髪の毛の中で何やら動いている。
そういえばアテナが潜り込んでいたっけ。
ぼーっとそんなことを考えながら。
それにしてもむずがゆい。弓張月の髪の毛は複合センサーになっており、中で動かれるたびに敏感な部分が刺激されてしまう。
と。そこに。
ひゅぅぅぅぅ
『隙間風まで……隙間風?真空の宇宙空間で!?』
そんなバカな。軌道が外れて大気圏に落下するにしても数か月はかかるはずだぞ!?
『起きてアテナ!』
「ほえ……?どーしたの、隕石でも当たった?」
『とにかく大変なんだ、出るよ!』
慌てて武装。
小屋の外に飛び出した2人の眼前に広がっていたのは、自然の織りなす一大スペクタクルであった。
「大気圏が……」
『繋がってる……』
ガスジャイアントと水の惑星と。
この2つが楕円軌道を描いていたのは分かっていたが、まさか最接近に伴って大気圏がくっついてしまうとは。
気流の流れが生じ、大気の交換が始まっていた。
今はまだ気流は弱いが、次第に強まって行くだろう。
複雑な気流が織りなす雲海の中、恒星の光が差し込む光景は神秘的ですらあった。
観光資源にすれば大変儲かるだろう。売り込みに行けないのが残念である。
「……って大変!?家が!」
『あ……そうか、ここから動かさないと』
などと言っている間にも、風に流されてどんどん回転が強まっていく小屋。
まずは回転を止めなければ動かす事も出来そうにない。
とはいえ無理に止めようとするとバリバリッ、と壊れる事は容易に想像できた。
はめ込んだ石同士の摩擦力で止まっているだけなのだ。
『挟むよ』
「おっけー」
小屋を挟み、その周りを同速度で回転し出す2人。
「準備はいい?」
「ボクの方はいいよ」
小屋を挟むとレーザーが届かないため、弓張月は電波通信に切り替え。
ハスキーボイスが耳に心地よい。
「さんにーいち」
「えいやっ」
同時に取りつくと、スラスターを噴射。
ゆっくりと回転を抑えて行く。
数分の間、回転速度が徐々に落ちて、これならだいじょうぶか、というその時。
ごりっ
「ひゃっ!?」
真横から飛んできた、一抱え程もある氷の塊が小屋に激突。
運悪く、アテナの掴んでいる柱が外れてすっぽ抜ける。
「わあ!?」
突然崩れたバランスに対応しきれず、弓張月のがつんのめる。
そこへ、さらにいくつもの氷塊が。
もうどうしようもなかった。
明後日の方向へ、バラバラになりながら飛んでいく小屋。
「こりゃ…駄目だね」
彼女たち自身は何にぶつかろうとも平気だが、この氷塊の雨の中でバラバラになった石材をかき集め、壊さないように別の場所へ運ぶのは無理に違いない。
人類の叡智と珪素生命の不死を兼ね備えた最強の兵器も、大自然を前にしてはこんなにも無力なのか。
「あ~……なんか笑えてくるわね……」
「同感」
「宇宙って広いなあ……」
「ホントだね……ボクらがいかに矮小か思い知らされるよ」
人類がいまだ遭遇したことのない天体現象が、目の前で広がっている。
この光景を見られただけでも遭難した価値はあったかもしれない。
そんな不思議だ。
「まさにSFだね」
「ええ」
「ほら、『すごくふしぎ』(ここだけ日本語です)」
「ぷっ…!駄洒落か!」
手を伸ばしたアテナは握りこぶしほどの氷を掴むと、握り潰し、ヒビを入れてからぽいっ。
「ひゃっ!?」
飛んで言った氷は弓張月に命中。雪玉のようにコナゴナバラバラに。
「やったなぁ……っ」
即座に反撃が飛ぶ。
「油断してるほうぷぎゃ!?」
何か言おうとしたアテナの顔面にヒット。
こぶし大の氷を握りつぶして雪玉並みの安全性にしてから投げるという、人間には微妙に不可能な雪合戦であった。
「えーい!」「とりゃ!!」「くーらーえー」「ぷはっ!?」
だんだんエスカレートして雪玉もとい氷の速度が秒速数キロとかなってるけどたぶん大丈夫。たぶん。
「……やるじゃない。今日の所はこのくらいにしてやるわ」
「だねえ……ちょっと疲れて来た」
氷を投げ合っている間に、すっかりあたりは陽光も雲と蒸気と吹雪で遮られつつある。
本格的に嵐が来たのだ。
「……凄い風」
「だね」
「寝床作らなきゃ」
「うん」
幸か不幸か、氷はたくさんある。
あれでかまくらを造れはしないだろうか?
2人は氷をかき集め始めた。
集め、押し付け合い、微小なレーザーの熱で溶融させてくっつけることの繰り返し。
岩で小屋を作るよりは随分と早く、作業は実を結んだ。
無重量の宇宙空間を吹きすさぶ嵐の中、浮かぶかまくら。
いや、氷でできているのでかまくらというよりは、イグルーかもしれない。イヌイットの氷の住居。
「今度は先にどうぞ」
「いいの…?じゃあ遠慮なく」
中は寒かった。
弓張月は、無言で武装を解除すると、その髪でアテナを包み込む。
『―――昔、1度だけスキーに連れて行ってもらったのを思い出したよ』
「スキー?」
寝床の外に氷の粒が激突する音が響き渡る中、二人は語らう。
『また、家族みんなで過ごしたいな…』
「……」
『家を作った時、なんだかほっとしたんだ。でも、あんなに簡単に壊れちゃって……不安で不安でしょうがないんだ』
2人ともわかっていた。
もう帰れないのだと。
ただ、どうやって残された命を繋いで行くかだけの問題なのだと。
今のところ老衰で死んだ人造人間はいないが、人間の手を離れた自分たちはどれだけ生きられるのか。
この星系であと数年は確実に生きられるだろう。
だが十年後は?二十年後は?
分からない。不調は起きないかもしれないし、けれど一度自己修復能力を超えた不調が起きればそれでおしまい。
細胞が癌になるかもしれないし、あるいはいまだ発見されていない未知の病気になる可能性もある。
彼女らは結局のところ、生物なのだから。
アテナは、無言のまま弓張月を抱きしめる。
弓張月も、それを抱きしめ返した。
嵐はますます強まり―――
四日目終了