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315日目

「ぶーぶー」

『おー。すごいねー』

アテナが立ち歩き始めた。

緩衝材で覆われた部屋の中。どうも元は訓練用のスペースらしいが今は保育室である。

弓張月の目の前で危なげなく立ち上がると、アテナはそのまま歩き出した。

かわいげのなさが逆にほほえましい。

歩行用の動作ソフトはとっくの昔に頭に入っているのだからアテナが歩いたこと、それ自体は驚くには値しないのだが、やっぱり初めて赤ん坊が歩くと嬉しい。

ただ、やはり情報処理能力が足りていないのか。

ごてっ

こけた。

『あっ……』

心配する弓張月の見守る前で、赤ん坊は泣きそうな顔……をこらえると立ち上がる。

見栄っ張りなのはアテナらしい。

彼女からはこの世界がどう見えているのだろうか。

この赤ん坊、危険な行為は一切しないし全然泣かないしで手がまったく掛からない。ただし思考が遅いので考え始めると長い。

思考能力の低下を時間で補っているのだろうか。

念の為に彼女の体にはリミッターをかけてあるのだが、杞憂かもしれない。

「あー…まんま、まんま……」

お腹がすいたのか、ミルクをねだる赤ちゃん。

『ちょっと待ってね』

弓張月が答えるとピタッと止まる赤ん坊。やはり賢い。

全裸(例によって要所は装甲がはりついているが)の上からエプロンを着込んだ弓張月は乳房を出すと、赤ん坊に乳首をくわえさせる。なお乳首はちょうど光を反射したのかこちらの視界が謎の光に包まれて見えない。全年齢だから仕方ないね。目が、目がぁ!?

母乳を嚥下する音だけが、与圧された室内に響いた。


『いいかいアテナ。ボクはしばらく船外作業をしているけど、いい子にしてるんだよ?』「だー」

アテナにしっかりと言い含めると、弓張月は保育室を出た。

念の為にアテナとの間の回線は多重に確保。強化現実で常に彼女のそばへ寄りそう。

更に、念には念を入れてアテナの体の遠隔コントロールコマンドも準備―――あまりやりたくないが赤ん坊は信用してはならない―――しておく。

本来なら赤ん坊を一人にしておくわけにはいかないのだが、船の点検を長い間行っていない。

船齢何百年というお婆さんの外宇宙船マルコ・ポーロは本来、毎日でも点検し修理し続けなければならないボロ船だ。何十日も放置していた以上、すぐにでも確認をする必要がある。

さもなくば、貴重な機械類をすべて失う事にもなりかねない。下手をすればこの先何十年も使い続けなければならない機器類を。

というわけで真顔のまま船内から母親―――弓張月が出て行くのを見ていた赤ちゃんアテナは、いきなりすっくと立ちあがるとうーんと伸び。

「ばーぶー(あー疲れた)」

次いで、首をコキコキと鳴らす。

「ぶーぶー(いい子にしてるのも疲れるわー)」

ふとぴたっ、と止まると座り込むアテナ。

作業中の弓張月が強化現実のこちらの窓を覗いている。

『大人しくしてるかな……』

ちらりとこっちを見ると作業に戻る弓張月。

「ふぁ~(ふぅ、あぶないあぶない)」

赤ん坊が、アテナとしての自意識を取り戻したのはほんの数日前。

今までぼんやりしていたものが、急にピントがあったかのようにすっきりとしてきた。

思えば、それまでは体と心がマッチングしていなかったのだろう。

勿論最初は混乱した。

気が付いたら赤ん坊の体になっていたのだからそりゃあ混乱する。

だが、今ではすっかり元通り―――とは言い切れないものの、意識を体に最適化させて明快かつ論理的な思考ができるまでになってきている。

その事実を弓張月に話してもよかったのだが、せっかく弓張月の乳房に堂々とむしゃぶりつけるこの機会を逃していいものだろうか?いやよくない。

離乳食の時期が来るのをできるだけ引き延ばさなければ!!

死にかけたのだからそれくらいの役得はいいよね?

『どうかなぁ~』

ドキッ!?

慌てて見返すと独り言のようで、弓張月は作業に没頭中。

それにこのドキドキ感。いつばれるかという、サプライズ感ある。

素晴らしい。

でもそれはそれで暇だしどうしようか。

肉体にはリミッターがかけられている。アテナ的には無用の長物なのだが、弓張月の意図は分かるしわざわざ低下した処理能力を割いて手間暇かけてまで解除するほどのことはない。

「ば~ぶ~(アニメでも見るか……)」

ゴロンとおっさんのように横になると、強化現実でムービーを起動。

弓張月の監視はアテナの肉体の方に行ってるから、意識に直接投影すればバレはしまい。

そのまま映像へと没頭する赤ん坊。

肩にリベットのようなネジ関節のついた小型戦闘用美少女アンドロイドが、調理中触手に襲われているシーンという誰得なところで不意に眠気が襲ってくる。

そのままこてん。ちゃんと倒れるときはあおむけ。いやうつ伏せでも宇宙戦艦なので窒息しないのだが。


数時間後。

『あ、アテナはお休み中だね』

帰ってきた弓張月は、アテナをそっと抱き上げるとそのまま寝室へ向かった。

「すー…ぴー……」

平和な一日は過ぎ去っていく。



315日目終了。

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