36日目
※注意!
このエピソードはちょっと死体描写などがありますのでご注意ください。
―――昏い
満天の星に照らされながらも、そこは無の空間であった。
太陽の恵みはもはや届かない。
ここには何もない。
物質も光すらもない。
「行きましょ、弓張月」
『ああ、行こう』
スラスター噴射。
目当ての船まではおよそ10万キロ。
加減速を0.8Gで行えば、おおよそ2時間で到着する距離だ。
1時間の加速で到達する速度は秒速30kmである。
そこを折り返し地点とし、今度は減速する事で、目標地点の直前でほぼ停止する事ができる。
万一に備え、余裕は相当にある。
宇宙戦艦は最大1000Gまで加減速をかけられるので、その気になればもっと手前で停止する事も可能だ。
そして、2人が近づいても、件の船は何ら反応を示さない。
戦闘態勢で臨んだアテナたちにとっては拍子抜けだ。
機能が完全に死んでいるのだろうか?
近くで見ると、それは随分と大きくて、そして古い船だった。
100年近く前の恒星間移民船に見える。
国際手順に基づき、アテナが船へ通信。
へんじがない。ただのしかばねのようだ。
やがて、船の直前で2人は停止。
あらためて、アテナと弓張月は船を観察した。
全長はおおよそ1kmほど。遠心力による人工重力は採用してないタイプだ。
『古い移民船だね……』
「ええ」
動力は核融合だろう。スペースラムジェットのリングが船体の前に取りつけられ、機関部は後ろ半分近くを占めている。現在の船なら船体の2割で済むところだ。貨物もそれほど積めないに違いない。
しかし、よく見れば武装だけは豪勢だ。
ミサイルランチャー1基にレーザー砲が4門。火力は侮れない。
こんな船で恒星間航行をしていたのだから昔は命がけである。気休めに武装だけでも充実させたのかもしれない。
二人は手分けして、船体を外部から事細かに観察した。
宇宙塵で汚れてはいたが、全体としては綺麗で損傷も少ない。
なにがこの船の命運を断ったのか、表からは分かりそうになかった。
収穫と言えば。
『外宇宙船、マルコ・ポーロ、か……』
側面に描かれた船名を発見。
東方見聞録の著者のように帰還する事はかなわなかったわけだ。
「思ったほどはダメージないわね。何か所か気密が破れてるけど」
『ぞっとしないね』
乗員は即死でなかった可能性が高い。
つまりは彼らはおそらく、絶望の中、苦しんで死んだ。
今の自分たちの運命を暗示するかのようで気分が重苦しい。
「ま、うだうだ考えてても仕方ないわ。調べましょ」
『どこから入るんだい?アテナ』
「前の方にエアロックがあったわよね?」
『分かった』
2隻の美少女型宇宙戦艦が取りついても、マルコ・ポーロは一切の反応を示さなかった。
ただ救難信号を発信し続けるのみだ。
弓張月は軽くノック。
音の反響をレーザーで読み取るが―――
『空気はないね。開けよう』
エアロックは、非常用に必ず手動開閉装置がついている。
カバーを外し、レバーを捻ってから、2人は内開きの扉―――気圧差で閉まるようになっている―――を押し込んだ。
不気味なほどあっさりと開く。
その後ろには更なる扉。もう一度慎重に調べ、やはりその向う側には空気がない事を確認してから扉を解放。
中は暗かった。
先に踏み込んだ弓張月は、不意に漂って来た物体と顔面から衝突。
『ひゃっ』
手で押しやり、右目の眼帯部分からライトを点灯する。
「どうしたの?」
『大丈夫、ぶつかっただけ―――』
弓張月の声が途切れた。
その肩越しから何にぶつかったのかを視認したアテナも絶句。
苦悶の表情を浮かべた死体だ。
腐敗もせずに生々しい表情を浮かべ、宇宙服を着る暇もなかったのか軽装である。
『あ―――あ』
弓張月の言葉が、言葉になっていない。
無理もない。成熟したように見えても、まだ3歳なのだ。
宇宙戦艦が人間の死体を見る事はまずない。
そもそも生身の人間と直接交戦する事がめったにないし、交戦したとしても死体など残らない。
この辺りは、まだ有人艦艇と直接交戦する機会の多かった時期から活動しているアテナの方が経験を積んでいる。
「大丈夫?」
アテナは弓張月の肩に手をのせた。
『う―――うん』
「ついてきて」
有無を言わせず隊列変更。アテナが弓張月の前に出ると、死体を丁重に横にどけた。
顔が見えないように壁の方へ向けて。
「大丈夫。後で荼毘に付しましょう」
『……ありがとう、アテナ』
船内の探索が始まった。
結論から言えば、地獄絵図であった。
死体の山だ。
予想通りとはいえ、これは少々きつい。
ある部屋などは、箱という箱、容器という容器が開けられた中、数人の男女がこと切れていた。彼らが死んだときは気密が保たれていたのだろうが、空気清浄器が停止すれば待っている運命は窒息死しかない。
少しでも新鮮な空気がありそうに思えて、片っ端から箱を開けたのだろう。
ある部屋では、工具で自らの頭を撃ち抜いた男の死体があった。
緊急用のレスキューボール―――宇宙服を着る暇もない時に入る、気密を保てる金属繊維製の袋―――の中でこと切れていた赤ん坊を見た時は、2人で抱き合ってしばらく泣いていた。
涙こそ流せない体だが、アテナも弓張月も、心の中で泣いていた。
船体のほとんどの部分では気密は失われていたが、少なくとも乗員が死んだときには大多数の区画で、大気は残っていた。
彼らを殺したのは動力の喪失だ。
船のエンジンは破壊されていた。
隕石が貫通したのか、常温核融合炉はかなりのダメージを受けていたのである。
ある者はエアコンが止まって凍死し、ある者は空気清浄器が停止して窒息死した。
エンジンは修理はできるかもしれない程度の損傷ではあったが、少なくとも彼らが生きていられる時間での修理は不可能だっただろう。
何百という人が亡くなっていた。
『……ボクらもこうなるのかな?』
船体の上に腰を下ろした弓張月は、ボソりとつぶやいた。
「……どーだろうねえ……いずれはこうなっちゃうかも、だけど」
その隣に腰かけ、随分と遠くになった恒星を眺めるアテナ。
「とりえず、窒息死も凍死もしない体に作ってくれた人間には、感謝ね……」
ぺた。
弓張月の体に、アテナはもたれ掛る。
『そうだね……』
太陽の恵みは、あまりにも遠い。
「これから、どうしよっか」
『船を―――うん。船を、直そう。この船は宝の山だよ』
「そうね。きっと、この船の人たちも許してくれるよね」
直せば使えそうな機械類は非常に多かった。そしてこの船は元来が移民船である。想定寿命は相当に長く、そして生き延びるのに必要な機材は多数積まれていた。
超光速航行に必要なチップも残っている。近距離なら問題なく運べるだろう。
「あの衛星まで持っていこう。―――ここは寒すぎる」
『そうだね。埋葬しなくちゃ』
「でも―――今日は疲れちゃった。明日からでいいよね?ね、弓張月?」
『うん。今日くらいはサボっちゃおう、アテナ……愛してる』
どちらからともなく、2人のシルエットが重なり―――
36日目終了。




