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当てはありませんでしたが、車は老人形師の館に向かいました。
すると、門前に人がいます。
この家に客人なんて、珍しいことです。
車から降り、その人物を横目にチャイムを鳴らそうとしたら、話しかけられてしまいました。
「お嬢さん、この家の人と知り合い?」
馴れ馴れしくて嫌な感じがします。
「そうですけど、何か御用ですか?」
「ここのご主人って、健在なの? 連絡取りたいんだけど」
これで決まりです。この者は、人形師の知り合いではありません。押しかけ客です。
何の用事かしりませんが、関わり合う必要はなさそうです。
無視して、チャイムを鳴らします。
男はその行動に不満は述べませんでしたが、こちらを観察して隙あらば、入り込もうとしています。
残念ながら、私のチャイムも不発で終わったので、男の思い通りにはなりませんでした。
良かったような、悪かったような。
途中で買ってきたアイスケーキが冷たくって重いです。
もうすっかり寒くなったのだから、ドライアイスなんて要らなかったかも。
勝手に失望した男に、舌打ちされました。
腹が立ちますわね! するなら、せめて、心の中でしなさいよ!
さて、このまま帰るのも納得出来ないでいましたら、向こうから、なんと千草が歩いてきました。
「千草!」
相手はギョッとして立ち止まりました。
そう言えば、前回会った時は、敵として別れたのでしたわ。
それが、こんな気軽に声を掛けられたら、ビックリして当然です。
私、なんだか愛ナイズされてしまっています。気を付けないと!
「チーちゃん!!!」
―――ああ、すでに行動が似てきている。
愛までも、千草に屈託の無い笑顔で駆け寄ってきます。
アイスケーキを持っているのも一緒です。
仲良し三人組がクリスマス会に集まっているみたいです。
おかしいでしょう? と戸惑っているのは千草だけです。
こうして見ると、千草はとても人形には見えません。感情は抑えられがちですが、人間のそれと変わりありません。
「あ! 君、この間も見た! 娘さん? いや、お孫さん、かな?」
先ほどの男がまだいました。
「あの人形の権利、今は誰が持ってるの?
再商品化したいんだけど、おじいさんに聞いてみてくれない?」
『あの人形』というのは『ミス・バタフライ』のことでしょう。
千草の顔が俄かに険しくなります。
『今更、ミス・バタフライに注目が集まったなんて、どういうこと?』
モモカさまの疑惑はもっともです。
しかし、聞き出す前に、男がタブレットを取り出し、それを指示しながら、ペラペラ話しだします。
画面に映っているのは、どこから流出したのでしょう。あの梅花谷邸で行われた人形劇です。
おまけにトキムネさんが関わっているのも知れ渡っていました。
「この動画がえらく面白いって評判でね。
噂じゃ、あのSENGOKUのトキムネの新境地の音楽も聞けるということで、閲覧者数がうなぎ上りですよ。
それで、この人形が可愛いって話題になって、みんな探しているんでね……なかなか数がなくって。
売れなかったんでしょう? この人形?
もしあったら譲ってくれないかなぁ?」
媚びるように千草に笑みを向けた男に、どこまでも冷たい視線が降り注ぎます。
ついでに私にもそれが向けられます。
ええ、余計なことをしましたわよ!
ヨウくんのトラウマに、人形師の古傷までえぐってしまいました。
この男の口ぶりでは、人気があるのはミス・ブス・バタフライのようですもの。
「帰って下さい!」
怒ったのは愛でした。
小娘にそんな態度を取られた男は、本性を現し、すごみましたが、図太い精神にかけては、負けるものなしの愛には効きません。
梅花谷邸の頼もしい運転手の加勢もあって、男は捨て台詞と共に尻尾を巻いて行ってしまいました。
「あなたたちも帰ってよ!」
怒った口調で千草が言いました。
うーん、やっぱり、怒ってるわよね?
『感情豊かよね。負の感情はいいわけ? どんな感情も許さないのが『奴ら』のスタンスなんじゃないの?』
今度のモモカさまの疑問は、誰からも答えられませんでした。
「うん、チーちゃん。今日は帰るね」
あっさり引き下がる愛に、拍子抜けしたような顔をする千草。
うーん、やっぱり……。
「モモカさんも帰りましょう? ね?」
千草の手には、私と愛が持っているのと同じ箱がありました。
後ろ手で隠していたのです。
チェーン店のクリスマスデコレーションのアイスケーキ。
こんな夕暮れに、わざわざ買ってきた理由は一つです。
アイスが大好きなヨウくんの為。
「そうね、せっかくのクリスマスを邪魔しちゃ悪いし」
「違っ……!」
「そうだ! これ、凪子ちゃんから預かったの。
ヨウくんと千草にって。
クリスマスプレゼントだそうよ」
アイスケーキの上に、凪子ちゃん特製の、あの手作りお守りを乗せます。
振り落とされるかと思ったけど、千草はそれをじっと見ています。
「早く『春告娘』で踊る千草さんが見たいです……凪子ちゃんからの伝言。
ちゃんと伝えたからね!」
「ほら、早くヨウくんの所に帰ってあげて!」
「帰れ!」と言われた人間に、逆に家に押し込められそうになる千草です。
「愛も! チーちゃんとまた一緒に踊れるの、楽しみにしてるからね!」
「信じられない! あなたたち、なんなの?
こんな私を待って、活動休止するなんて! 私は敵なんだからね!」
「誰も千草を待っているなんて言ってないわよ。
……ブログ以外では」
残念なことに、『春告娘』の活動休止はミス・バタフライほど話題にはならなかったのです。
事実を指摘すると、みるみる間に千草の頬が赤らみます。
うーん、これは…………。
「チーちゃん! メリー・クリスマス!」
「ヨウくんにも! 良かったら、また、遊びにきてねって。
今度は終始楽しい人形劇を作るわ!」
唖然、茫然する千草を置いて、愛と帰りかけました。
「あ、愛! あなたそんな大きなアイスケーキ持って、一人で寮に帰るつもり?」
「―――はい」
アイドル活動は休止しているというのに、魔法少女活動のせいで、冬休みでも実家に帰れずにいたのです。
心なしか……いいえ、きっぱりはっきり、凹んでいます。
仕方が無いわね。
「よければ、うちに来るといいわ。
アイスケーキ、二つになっちゃうけど、梅花谷邸は人が多いから、なんとかなるでしょう」
「モモカさん!!!」
愛の声が弾みます。凪子ちゃんの雰囲気がありました。
そんな私に、千草の悲痛とも言える罵倒が降りかかります。
「意地悪お嬢さま! 自分が嫌味で嫌われ者だって、私に言われて分かったから、愛に媚を売り始めたの?」
振り向くと、泣きそうな顔がありました。
この子はいつもそうです。
私はモモカさまが言ったことを思い出しました。
千草は自分の望みを諦めるのに、他人を利用する子なのです。
わざと私と愛の間に亀裂を入れて、「嫌な子」と思われたいのです。
学園祭の時と同じで、私か愛に「嫌い」と言って欲しいのです。
そうすれば、自分の願望を抑えることが出来ると思っている。
でも、思い通りにはなりません。
「モモカさまは嫌味で意地悪なお嬢さま……そうみたいですわね」
久延さんを半ば脅すようにして、『春告』の完全攻略ガイド&設定資料集(数量限定・最終完全網羅版)を見せてもらったのです。
そこにはそうはっきりと書いてありました。それがモモカさまの『ゲーム』での役割。
だから? それがなんだって言いますの?
「でもね、私はそう思わないわ。
最初からそう思わなかったし、モモカさまを知ったら、ますます、そうです。
他人がなんと言おうと、私はモモカさまを知っています。それによって、モモカさまは多少キツイ物言いと厳しい態度ではあるものの、悪い人間ではないと判断したのです。
私が! そう決めたんです!!!
私は二度と、他人の意見だけを鵜呑みにして、その人間を判断したりしない。
あなたのこともよ。
千草はダンスが好きで、弟思いのいいお姉さんだわ。ヨウくんは弟じゃなかったけど、それと同じくらい、それ以上に大切に思っていることは本当でしょう。
『春告娘』のメンバーとして、一緒に活動してきたんだもの。
私と愛は、千草の望み通りには動かない。けれども、千草の望みは叶えてあげたい。
千草がヨウくんと二人で、この世界で幸せに楽しく暮らしていって欲しいの」
それだけ言うと、今度こそ、千草を置いて、私たちは梅花谷邸に帰る車に乗り込みました。
『一人で敵の本陣に討ち入るつもりだなんて、相変わらず考えなしね!』
モモカさまが愛に伝えるように催促します。
「討ち入りなんて……ただ、クリスマスにどうしているのかな〜って。
いろいろ考えていたら、自然とアイスケーキを買って、チーちゃんの家に来ていたんです。
ねぇ、モモカさん? ヨウくんは何度も同じ時をループしているんでしょう?
それなのにアイスも食べた事なかったんですよ。
捕らわれていた頃と同じような暗い部屋に閉じこもって、遊びにも出なかった。
そして、人を襲って感情を奪うだけの日々なんて、よくありません。
それじゃあ、ますます、過去の悲しみに捕らわれるだけですよ」
こっちは懸命に考えて、ルールを破ってまで、凪子ちゃんに会いに行ったと言うのに、この天然アイドル魔法少女は本能で、対千草、対ヨウくんへの態度を探り当てました。
私たちはただ彼らを倒すだけでは、真のエンディングには到達できない。そんな気がします。
では、どう対処すべきか―――問と答えはあるのに、それを導く過程が思いつかないまま、SENGOKUの引退カウントダウンコンサートをモモカさまとプラム姫と愛とテレビで見ながら、年を越すことになりました。
新年が開けます。
暦の上では、新春。
再び春が巡っています。それはすなわち、ゲーム『春告』の最終ターンの月が始まったことを意味しています。




