第二話
◇第二話
「17時に伝説の樹の下で待っている」
などという素っ気ない手紙を鈴宮美紅の下駄箱に置いたまではいいのだが、そわそわして落ち着かず一時間以上前に来てしまった馬鹿野郎を笑いたければ笑うがいい。
毒食えば皿まで、尾を踏まば頭まで、濡れぬ先こそ露をも厭え。
同じ意味の諺を3つも並び立てるくらいには、俺はテンパっているのだ。つまり、自分でも何を言っているのか分からないし、なにをすれば良いのかも分からない。
先程まではボクシング部で体力を発散していたのだが、色々あって今はこの場にいる
ぶっちゃければ、ボクシング部に居ずらくなったのだ。
部室でやり場のない感情をサンドバックにぶつけていた俺は、余りに力を込めて打ったためか穴を空けてサンドバックを駄目にしてしまっていた。サンドバックだって安くない。新品を購入するれば万はする。
顧問は怒りの言葉こそ発しなかったが、流石に渋い顔だ。ボクシング部の部費は決して多くないのだ。俺が高体連や国体で活躍すれば部費を増額して貰えるのだろうが、プロとなった以上アマチュアの大会に出れない。
ある意味、タダ乗り状態。
プロが出入りしていると部室の空気を変わる。その効果を知るため顧問は出入りを黙認してくれたが、それも限界がある。いまの俺は所詮部外者であり外様なのだ。
居たたまれなくなった俺は顧問の視線から逃げるかのように、伝説の樹の下に来ていた。
『サンドバックは破壊してしまったが、パンチングボールが残っているではないか?』
「パンチングボールは、サンドバックのように思いっ切り打ち込めないんだよ」
『そういうものなのか?」
「そもそも鍛える目的が違う。パンチングボールは正確さやカン、タイミングを養う。だから、それほど強く打ちこむ必要がない。一方、サンドバックは打撃力を鍛えるため強く打ちこむ必要がある」
『なるほど。ところでワシがサンドバックを打ち込んだときは、お主みたいにくの字に曲がらなかったな。それはつまり、ワシの威力がお主より劣るということなのか?』
「そうじゃない、打ち方が悪いんだよ」
『難しいものだな』
「ボクシングは奥が深いスポーツなんだよ」
アイツと話すのは丁度良い時間潰しになる。
アイツも俺なので厳密には独り言なのだが、脳内会議と考えればなにも問題ない。とはいえ時間を持て余しているのは事実である。もう一度部室に戻って汗を流すのも手ではあるのだが、それは逃げだと思う。
『そうじゃろうな、そいつは逃げだ。赤点造幣局と馬鹿にされていたお主が、どこぞで仕入れた知識で自己正当化していた頃と同じじゃな。やり場のない怒りは腕力という安易な道で発散する。お主はそうやって逃げて、逃げて、逃げ回って来たのだ』
「テストで散々世話になっている身としては返す言葉がないよ……」
『珍しく弱気だな。まあ、人には向き不向きがある。お主に勉学の才能がないのは先天的資質の問題であり、致し方ないのじゃがな』
「つまり、俺が馬鹿なのは治しようがない問題だと?」
『それ以外に聞こえたとしたら心外じゃな』
「はっきり言いやがるよ」
『その点はワシがサポートしてやろう。だが、ワシにはサポートしてやれない問題があるのも、また事実じゃ』
「わかっているさ」
『なんだったら、ワシが美紅に告白してやっても良いんだぞ。この場合、惚れるのはワシということになるが、ワシもお主に違いないから問題なかろうて」
「断じて断る!」
フフッ、と鼻で笑いながらアイツは黙る。
アイツの言う通りなのだ。一時的に逃避するのは良いけれど、いままで俺はそうやって逃げ続けて来た。いまさら安易な道を選んで、全て無かったことにして逃げ出すなんて出来ない。
でも寒い。
めっちゃ寒い。
深い溜息をつくと、その溜息は白い粉雪に溶け混んでいく。
肩に雪が降り積もる。
もしかしたら、美紅に会う価値すらないと判断されたのだろうか?
それは無い。
いくらなんでも有り得ないだろうと何度も否定するけれど、一度浮かんだ不安は意地になって否定する程大きくなっていく。不安に駆られ携帯を確認するけれど、着信はなかった。
いや、正確にはメールが一通ある。
「結果はどうだった? ヤケ酒なら付き合うぜw」などとぬかしやがった悪友Aからの嫌がらせメールだ。アイツと一緒でどこまでも俺をおちょくりやがる。もしかしたら、彼らなりに気を使ってくれたのかも知れないけれど、そんな気の使われ方は嫌だ。
先程まで見えていた陽が落ち、気温の低下が加速する。
時刻はとっくに17時を過ぎており、退校の音楽が学園中に流れる。1960~70年代にかけて世界を席巻したブリティシュ・ロックのバラード。慰めから始まり、やがて失恋か何かから立ち上がる歌詞は人々の心を揺さぶる。完成から半世紀を経ても未だ錆びつかない名曲だ。
歌詞の意味については諸説があるようだが、今の俺には只の失恋曲にしか思えない。これから告白しようとする人間には、最悪の選曲だ。
なにが名曲だ、くそ喰らえ!
自分がピエロに思えてきて、涙が流れそうだよ。
既に約束の時間を30分も過ぎており、いい加減フラれたと理解して諦めるべきだろうか? などと考え始めた頃、雪を巻き上げながら校庭を猛ダッシュしてくる人影が見えた。
我が校のサッカー部は雪が降ると外で練習しないため校庭には新雪がそのまま残っているのだが、そんな事実を物ともせずコース外滑走するスキーヤー顔負けの勢いで校庭を縦断してくる。
相変わらず鈴宮美紅はパワフルな女性だ。
途中力尽きて倒れ込むけれど、数分後、俺の元に辿りつく。
そう、伝説の樹の下に。
「この雪の中、陽も暮れる17時に呼び出すなんて。武、貴方は馬鹿なの?」
酷い第一声である。
この季節に校庭を横断したためか美紅の顔は真っ赤になっており、体からは湯気が出ていた。冷えては可哀想なので、俺は首に巻いていたマフラーをかけてやる。
「……ありがとう」
「気にすんなって」
お礼の声としては小さすぎてよく聞き取れなかったが、そちらも気にしない事にする。
「今日は伝説の樹は満員御礼なんだよ。貸し切り状態に出来るのは、この時間帯だけなのだから仕方がない」
「ああ、もう。こんなに肩に雪が積って――」
俺の話を聞く気がないらしく、全身に降り積もっていた雪を払いてくれた。
「大体、今時、下駄箱に手紙を置くとか馬鹿なの? メールで済ますとか考えないわけ?」
「物事には踏むべき順序というものがあってだな――」
「その順序のおかげで、私は無駄に学校中を探し回っていたのよ!」
『だから言ったではないか、巧遅は拙速に如かずと。順序などという戯言は惰弱な人間の言い訳に過ぎんのだ』
二人は示し合わせたかのように俺を責める。美紅は兎も角、アイツの指摘していた内容は別だった気がするのだが。
「まるで、俺が悪いかのような言い分だな――いや、睨むなよ。悪かった、悪かったって」
「分かればいいのよ、分かれば」
両腕を組み仁王立ちをする姿は、運慶、快慶の金剛力士像もかくやとこそ思われる迫力だった。まあ、身長140センチ未満では凄みにかける。ハムスターが髪を逆立てても、ハムスターはハムスター。可愛いものは可愛いのだ。
「学校中を探していたということは、特別に用件があったんだな」
「……特別って、別に特別じゃないわよ」
「――そうか、特別じゃないんだ」
「うっさい、だまりなさい!」
美紅は何かを後ろに隠しながらモジモジしている。
俺はあえて自分から話題を切り出さないことにした。この寒い中一時間以上待っていたのだ。少しくらい意地悪になっても許されるだろう。
『いよ、越後屋! この悪党!!』
「そんなに褒めるなよ」
『この分なら、ワシの出番はなさそうだな』
「おい! もしかして手出しするつもりだったのか?」
『貴様がだらしなかったらな。ワシとて可愛い彼女が欲しいのだ』
「俺の彼女だ」
『ワシはお主なのだ。お主のものはワシのものであり、お主の彼女もまたワシの彼女でもある』
「嫌な現実だな」
『期待しておるぞ、坊主』
「学校中を探し回ったせいで、私が武にバレンタイン・チョコレートを上げるのが皆にばれたじゃない。どうしてくれるのよ! 明日から恥ずかしくて学校に来れないわよ」
「そいつは困る」
「困るのは私の方よ!!」
怒っているのか恥ずかしがっているのか分からない表情をしながら、後ろに隠していたバレンタイン・チョコレートを俺に押し付けてきた。
「ちゃんと食べなさいよね」
「神棚に上げて大切に飾っておくよ」
「食べなさいと言っているのよ!」
「いや、爺さんと親父の仏壇に上げるのが先か。いやいや、これは俺のものだから身内と言えど分けてやれないなぁ」
「たけし。そんなに私のバレンタイン・チョコレートを食べたくないの!?」
少しからかいすぎたかも知れない、青筋を立てて怒っている。
「そんなことはない。大切なものだからこそ、まず順序をだな」
「私は、武だけに食べてほしいの。それではいけない?」
潤んだ目で見つめないで欲しい。
破壊力ありすぎ。
思わず心の中でメディーク!と叫んでしまったではないか。
「――分かったよ。ありがとうな、美紅」
「どういたしまして」
二人して冷静を装いつつも実は挙動が可笑しいのだが、幸い辺りが薄暗いので誰にも見つかる事はない。
「私の用件は済んだけど、武の用件は?」
「ああ、そいつは……」
大きく息を吸い込む。
リングに上がる前と同じ精神統一をすることで、もう一度冷静さを取り戻そうとする。そうでもしないと、今すぐ走って逃げだしそうだから。
「美紅、俺と付き合ってくれないか――」
その言葉を皮切りに、自分でもなにを言っているのか分からない発言を始める。
支離滅裂、四分五裂、乱雑無章。
俺は完全に舞い上がってしまい、事前に考えた台詞は吹き飛んでしまったのだ。アイツが代ってくれたらもう少しマシな台詞が言えたかもしれないが、男子に二言はない。自分だけでやると言ったからには、一人の力でやるしかなかった。
美紅は、急に大演説を始めた俺を無言で見つめていた。
呆気に取られたのか単に圧倒されたのかは分からないが、それでも途中で話を聴き続けてくれた。
「――だから、俺は美紅が好きなんだ」
優に10分を超える大演説だった。
内容は兎も角、時間だけならば政治家レベルである。ただし、途中から何をしゃべったか一切覚えていないが。
俺はプロボクサーであって映画俳優ではない。
リングの上では裸の自分をさらけ出す。ボクシングはスポーツであると共に格闘技なのだ。美しさも、汚さも、男らしさも全て兼ね備えた最高のスポーツだ。そして俺はボクシングしか知らない。
だからこそ、俺は自分を偽らずに全てをさらけ出すことにした。
それがこの様である。
終始無言だった美紅の肩が震えだす。
「プププッ。武、貴方はやっぱり馬鹿だよね。本当に馬鹿。いきなり頭がよくなったときは別人に見えて寂しくなったけど安心した。武はやっぱり武だよ」
嬉しそうな顔で大爆笑する。その笑顔があまりに奇麗で嬉しそうなので、自分が馬鹿にされているのが気にならなかった。
「で、返事を聞かせてくれないか……」
「いいよ」
そんなあっさり。
俺の一大決心はなんだったのか。
「俺は美紅に好きだと告白したんだけど」
「だから?」
絶対、知っていて誤魔化している。あの顔は間違いない。
「――美紅が俺をどう思っているか聞かせて欲しいんだ」
5秒程、時間が停止する。
空気が、雪が、そして伝説の樹の呼吸が停止したような気がした。
「……好きだよ」
「小さすぎて聞こえない」
「意地悪」
「悪いか」
「悪いよ」
「でも聞きたい」
「好き。好きよ、大好き、だいだい大好き。悪い? 武を好きで!」
最後の方は逆キレである。
恥ずかしかったとしても、キレることはないと思う。
「悪くないよ」
「悪くないじゃない。嬉しいか、嬉しくないかの問題よ」
「嬉しいに決まっている。プロのライセンスを取得したときや、初勝利したときよりも嬉しい。最高に決まっている」
「……よかった」
伝説の樹は、急に俺達を祝福するかのように光り出す。
今日は2月14日バレンタインなのだからクリスマスツリーのように電飾で飾りつけられている筈がない。本来不可思議な現象なのだが、お互いの告白で舞い上がってしまった俺達は気付かなかった。
「奇麗ね」
「そうだな」
伝説の樹には、一つの噂がある。
2月14日バレンタインデーに伝説の樹の下で告白すると、奇跡が起こると。
そう、俺達はこの樹の下で告白し、見事成功した。
成功してしまった。
奇跡が起きてしまったのだ
次の日、我が校とその周囲50キロは異世界に移動する事になる。
伝説の樹の噂は事実だったのだ。
俺達は、その事実にまだ気付いていない。
作中では明記していませんが退校の音楽は、ザ・ビートルズの名曲「Hey Jude」です。
明記していないのは大人の事情で、権利とか色々抵触すると怖いので。
あくまで作者のイメージでは、そうなっていると呟いてみます。
名曲「Hey Jude」をBGMとして流しながら、もう一度、第二話を読み直せば村木 武の心境をより理解出来るのではないでしょうか。