第一話
2月14日
世間がバレンタインデーで浮かれる、この日。
俺、村木 武は粉雪舞う中で一人、校庭の外れにある大きな樹の下にいた。
某大手電機メーカのCMに登場しそうな樹は、高さは25メートル、枝張りは40メートルもある大樹と呼ぶにふさわしい存在だ。正式にはモンキーポッドと呼ばれるらしく亜熱帯気候を好む。本来、日本においては沖縄など一部地域以外では野外での栽培に向かない筈だった。
にも関わらず、我が校の大樹は雪の中でも存在する。
植物学に挑戦するかのような存在は、空高くそびえ立ち、枝ぶりは稜線のように広がっている。
その威容ぶりから俺達生徒の間では、伝説の樹と呼ばれていた。
伝説の樹には、一つの噂がある。
2月14日バレンタインデーに伝説の樹の下で告白すると、奇跡が起こると。
馬鹿馬鹿しい話だけれども、好きな女の子に告白するという大事業を決行する人間は験を担ぎたいのだ。
彼女、鈴宮美紅との約束まで、あと三十分。
余りの寒さに体の震えが止まらない。
いや寒さのせいじゃない、武者震いだと言い訳してみる。
これから美紅に告白をしようとする人間が武者震いをするなんて、一体俺はなにを考えているのだ。
そもそも何に武者震いする?
その疑問に、俺の中に眠るアイツが答える。
『ナニを期待しているに決まっておるわ。無意識にナニを期待して武者震いするとは、お主は相当に好きモノだな』
俺はそんなことは期待していない、今日は告白に来たんだ!
『まあ、そういうことにしておいてやろう。だが、寝所の下に隠してある書物は、美紅によく似た女性の裸体画が載っていたな』
馬鹿野郎! モノには順序というものがあってだな――
『巧遅は拙速に如かず。順序などという戯言は惰弱な人間の言い訳に過ぎん』
勇気を振り絞って美紅を呼び出した人間に対して、余りの言い分じゃないか。例え俺であっても、俺を侮辱するにも程がある。
『良い事を教えてやろう。故人曰く、「攻撃せよ、主導権を取り戻すのだ!」と』
ぜっってぇぇぇぇ意味が違うと思う。大体、俺は告白をするのであって喧嘩をするんじゃない。
『嫁取りは戦と同じなのだ。推して押して押しまくり、相手が理性を取り戻す前に事を成す』
お前って、最悪だな。
『……まあ良いわ。いずれワシの言いたい事が分かるであろう』
言いたい放題言いやがる。
半年程前に俺の中で目覚めたアイツは時折過激な自己主張をするのだが、とりあえず実害が無いので放置している。二重人格と微妙に異なるのは、それぞれが別系統の処理能力を持っている点。
まあ、デュアルCPUみたいなものだ。PCに搭載されているCPUが一つだけだと思っていたら、実は二つだったみたいな。
実際、テストなんかでは重宝している。
ボクシングに明け暮れる青春を送り、高校生でありながらA級ライセンスを持つプロボクサーでもある俺にとって、学業は鬼門だった。
輪転機を回して紙幣を刷るかのように赤点を量産した結果、教師共に赤点造幣局の異名を付けられた。
インフレする点では紙幣も赤点も同じなのだが、紙幣はインフレすると価値が目減りしする。借金の返済や経済の活性化に着目すると必ずしも悪とは言えない。ハイパー化すると額面より重量の方に価値が出たりするが、アフリカの某国じゃあるまいし普通そんな馬鹿な真似はしないだろう。
一方、赤点はインフレ化しても答案案用紙の価値は目減りしない。それどこか補習や追試という付加価値が発生する。他の生徒以上に学業を受ける権利が発生するということは、支払った対価以上にサービスを提供されたのではないだろうか? それはつまり他の生徒と比較して明確な依怙贔屓をしているとも言えた。
以上の結論から「赤点は市場経済に反する悪しき制度なので廃止すべきだ」と主張したのだが、教師達の受け止め方は違うらしい。
学年主任の禿オヤジに自らの考えを述べたら、即座に母親を呼び出されこっぴどく叱られた。不当な処置だと思うのだが、母親が泣きながら学年主任に頭を下げる姿を見せられては俺も折れるしかなかった。
以降は心を入れ替えて勉強に精を出した結果、学力向上すれば万々歳なのだが世の中はそう甘くはない。
人には向き不向きがあるのだ。
三国時代の蜀漢の名将 王平は、十文字しか知らなかったというではないか。学問の出来る出来ないと、人生において成功するかしないかは別次元の話なのだ。
美紅にその話をしたら、「貴方は人生において知らなくてもいい知識だけは貯めこむよね。だから馬鹿なのよ」と呆れられた。悔しいが出来ないものは出来ないので、それ以上言い返せなかった。
人生とは間々ならないものだなと思っていた俺にとって、アイツは救いの主と言える。お陰で赤点を免れるどころか、成績上位グループを狙える位置にまで付けていた。
母親は嬉し涙を流しながら心を入れ替えた俺を褒めてくれたし、美紅も「ようやく武がやる気を出したよね」と見直してくれた。
全くの誤解である。
まあ、カンニング等の不正行為は行っていないのは確かなのだ。あえて真実を話して騒動を引き起こすことはない。知らなくても良い事実というものもあるのだ。
運命とは皮肉なものである。
あまりの急激な変化に教師共からあらぬ疑いを受け、一度など禿オヤジと二人きりの個室で期末試験を受けさせられた。しかも監視カメラ付きである。やり過ぎな気がしないでもないが、恐らく意地になったのだろう。
いい大人が大人気がないものだ、フッ。
いずれにしてもアイツの存在が露呈する筈がなく、以降、五月蠅く追及してくることはなくなった。
事を荒立てた禿オヤジは学年主任の座を失陥。
いまでは、ただの平教師に過ぎない。
哀れなものである。
気落ちすれば可愛げがあるのだが、事あるごとに嫌がらせをしてきやがる。執念深いと取るか精神的にタフと取るかは人それぞれ。不愉快極まりないのだが、『禿オヤジにも生存権はあるのだ、鷹揚な気持で許してやれ』とアイツに諭されたので目を瞑っている。
アイツと二人がかりでテストに臨んでいる段階で不正を犯していると思うかもしれないが、アイツも俺には違いないので厳密には二人に当たらない。あくまで一人でテストに臨んでいると断固主張する。
テストに関してはアイツの方が俺よりもスペック的に上なのは癪だが、プライドよりも実利の方が大事なのだ。いまはそれで良しとしておこう。
そういえばアイツは何故か主導権を取ろうとしない。大人しくサポートに回る程殊勝な存在ではない筈なのだが……
単に面倒くさがりなのかもしれない。
いずれにしても、アイツも俺の中の俺に違いない。だったらアイツを否定することは自己否定になる。
あれ? ということは、ナニを期待するのは俺の本心なのだろうか?
『そういうことになるな、このむっつりスケベが』
黙れ!
『煩悩の犬は追えども去らず。否定するだけ無駄だ、小童が』
カッカッカッ、と笑いやがる。
いやいやいや、寒さに思考力が落ちて馬鹿な考えが頭を過ったのだ。俺はそんなことまで考えていない。
『そうも考えられるが、命の危険を感じれば性欲が増すのは真理じゃからな。まあ、好きにするが良い』
そうさ、好きにするさ。