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02  佐伯と俺とメガネ

 待つのはやめた。あいつにはさりげなくなんて通用しないと思い知った、この数ヶ月。

 だからどんな手を使ってでも手に入れると決めた。


 初対面は新人研修。ビジネスという面では右も左も、ついでに礼儀作法や社会人の一般常識も漠然としか身に付いていない俺には、研修は地獄に思えた。

 姿勢やお辞儀の角度、電話の応対に敬語の学習。実践的なパソコン操作に語学研修。それまでぬるい世界で天狗になっていた俺の鼻っぱしらを折るに充分な、濃すぎる研修だった。

 甘い感覚で実習に臨んで見事に返り討ちにあった俺に、心の底から嬉しそうな声が聞こえたのは夕食時だった。


「おいしそう、いっただきまーす。美味しく食べられるうちは大丈夫、頑張ろう」


 するりと耳に入ってきた声の持ち主を思わず眺めた。落ち込んでいる隣の女性を慰めているらしい。手を合わせていただきますと呟いたのだろう、そして綺麗な仕草で食べ始めたのは佐伯とかいう名字の奴だった。

 能天気な奴。それが第一印象だった。

 佐伯は食べることが好きなようだった。飲み会でも実においしそうに食べる。

 見ていてこっちまで気持ちのよくなる食べ方だった。


 仕事もそんな感じだ。経験のなさは当然で色々聞けるのは今のうち、と物怖じせずに質問してはメモを細かく取っている。翌日にはきちんとまとめた本人なりのマニュアルを作っている。

 与えられた仕事も割りにこまめに途中経過を報告して、指示をあおいで進捗状況を教育担当に知らせると同時に、大きく逸脱しないようにと修正する。

 学歴だけでいえば俺の方が上。だけど協調性だとか、仕事への取り組み方はこの佐伯の方が上かもしれない。

 そんな感想を持って終わった研修だった。



 実際に配属されれば、こんなに雑事が多いとはと辟易するほどで。一番の下っ端で、もの知らず。何事にも慣れていない。右往左往しながらそんな自分が許せずに、絶対にくらいついてやると先輩の後についてまわった。

 ただ売り込む商品のことだけを知っていればいいわけじゃない。購入する立場の人の要望であるとか、背景にあわせて提案の仕方を変えたり、サービスを加えたりしていかないと駄目だ。

 俺の大雑把な営業はまだまだだ、と先輩から評価された日、同期の飲み会でつい酒を過ごしてしまった。


「実際は大変だね。毎日あたふたしているよ」


 佐伯もサラダを皿に移しながら隣のやつと話をしている。

 それでも箸を取って、実に一口食べては満足そうに笑う。

 ――美味しく食べられるうちは大丈夫、頑張ろう、だったか。そう思って俺も不足しがちな野菜の煮物に手を出した。


「佐伯はいつも幸せそうに食べるんだな」


 するりと口をついて出た言葉に、佐伯がこっちを見た。

 メガネの奥がふ、と柔らかくなった気がする。


「うん、美味しく感じられるのは幸せじゃない?」


 ああ、と悟った。美味しく食べるのを幸せと感じるやつと食卓を囲みたい。

 一緒に幸せな気分を味わいたい。

 俺は佐伯への想いを、自覚した。



 自覚したはいいが、佐伯は色気より食い気を地で行くやつだった。差し入れの菓子に目を輝かせ、飲み会では明るく気配りができて、しかも美味しい店をよく知っているから幹事になる。

 あんな席で甲斐甲斐しく動かれてみろ、好意が三割り増しになる。

 それとなく誘ってみても、隣の席に座ってみても佐伯は全然、全くこっちの誘いに気付かない。ならと思って幹事に立候補すれば、これ幸いと男性社員の世話を押し付けられる。


「梅宮が幹事を一緒にやってくれるようになって、楽になったよ。ありがとう」

「……それなら良かった。今度の飲み会の下調べに行かないか?」

「いいねえ、行こう」


 屈託なく笑う佐伯を、食べ物で釣ろうとするやつらは後を絶たない。そいつらを牽制して、佐伯の好みそうな店を探して誘うのに。


「由美ちゃんも食べてみたいって言ってるんだ、一緒にいい?」


 駄目だなんていえるはずもなく、何故かグループお食事会になってしまう。

 食事は美味しいし、話は楽しいが。


「じゃあ、お疲れ」


 しゅたっと手を上げて颯爽と改札に消えていく、またはしっかりした様子で電車を下りる。一人になって何度肩を落としたことか。

 仕事の方は負けん気が良かったのか、佐伯を見習って細かいところまで注意するようになったからか、徐々に認められるようになり、自力で大口の顧客も獲得できるようになった。


「梅宮、聞いたよ。おめでとう」


 あくまで同僚の成果を喜んでいるんだと分かってはいても、褒められたら単純に嬉しくて頑張れた。

 でも、私生活の方は限界に近かった。

 冬が来て、クリスマスを意識するようになったからだ。

 だから待つのをやめようと思った。絶対に手に入れてやる。



 機会は意外な形で巡ってきた。飲み会で、なんだか元気がないなと思っていたら、部長と酒を飲んでいたあたりで本格的に様子がおかしくなっている。


「佐伯、どうした?」

「ん? 梅宮、あーなんか風邪気味だったから薬飲んでいたんだけど、お酒のんだらちょっと……」

「お前、風邪薬に酒って。ああ、もう、さっさと水を飲め」

「うん、ありがとう梅宮」


 無防備に笑って素直に差し出したグラスを手に取る。メガネがちょっとずれているのも、妙な隙を感じさせて危なかしい。


「メガネ、ずれているぞ」

「んー」


 メガネを外して佐伯は何度かまばたきをした。メガネをしていない佐伯の顔。

 レンズ効果で大きく見えているのかと思った目も、意外に素で大きい。鼻の付け根にメガネのクッション部分のあとがついているのもなんだか佐伯らしかった。

 もっと見ていたかったのに、佐伯はすぐにメガネをかけなおして水を飲んだ。


「オレンジかグレープフルーツのジュースを頼んでやる。どっちが好みだ?」

「ええと、オレンジを頼んでいいかな?」


 どうせ風邪気味だ、ビタミンも取れてよかろうとジュースを追加で注文する。

 なんとか飲み会は終わったが、やっぱり佐伯は足取りが危うい。うちの社のいいところはだらだらとした二次会がない点だ。飲みたいやつは好きに流れる。帰りたいやつは帰れる。


「大丈夫? 送っていこうか」


 仲のいい同僚が声をかけているのに、強引とは思ったけど割り込んだ。


「こいつの家、知ってる?」

「昼間一回いったことはあるんだけど。三階なんだよね」

「俺、同じ路線だし三階だったら抱えるのも大変だろ? 俺が送っていくよ」

「じゃあ、お願いする。頑張ってね」


 妙ににこやかに見送られながら、俺は佐伯をタクシーに押し込んだ。

 シートに深く腰掛けて目をつぶっている佐伯に、住所を聞き出そうとするが唸るばかりで要領を得ない。仕方なく、いや、聞き出す努力はあっさり放棄して、俺は自分の住所を運転手に告げた。

 途中で眠り込んでしまったのでメガネが歪むかも、とそっと外した。

 脇を抱えてエレベーターに乗り込み、部屋へと連れ帰る。

 大急ぎでコタツのスイッチを入れて、とりあえずそこに入れた。コートを脱がせて部屋着にしている上着をかけると、佐伯はコタツの天板に突っ伏して寝ている。


 とりあえず頭を冷やすために風呂に入って、ベッドのシーツを替えてそこに佐伯を寝かせようと温まるのもそこそこに浴室から出ると、佐伯は実に気持ちよさそうに眠っている。そっと額に手を当てても熱が出ている感じではない。

 なんだかひどく幸せそうな表情に、もう少しだけ見ていたくて俺もコタツに足を突っ込んだ。

 佐伯が俺の部屋で俺のコタツで寝ている。

 棚からぼた餅的な幸運に、しばし俺はひたった。


 そんな時に悪魔の誘惑が。酔いがさめて起きたなら、佐伯のことだ、あっさり帰ってしまう。ごめんね、ありがとうとか言いながら、ドアを閉めたらまた単なる同期の関係だ。

 猛烈に、そんなことにはさせないと俺の奥底で叫ぶやつが居る。そして俺もその叫びに逆らうつもりはなかった。


 コタツの天板には、佐伯のメガネ。

 すかしてみればかなり度が強い。メガネがないと何にもできない、と笑ってたことを思い出した。

 ――それなら、メガネがなければ自力では帰れないんじゃないか。

 俺はメガネをそっとハンカチに包んで、背の高い冷蔵庫の上に置いた。


 もう少ししたらベッドにと思っていたけれど、離れて寝るのが惜しい気がした。

 そっと佐伯を横たえてクッションを枕代わりにする。何度か寝返りをうって、頭になじんだのか、すうすうと寝息をたてて佐伯が寝入る。

 それを見ながら俺もごろりと横になる。



 卑怯な手だと我ながら思う。メガネを隠して、探すふりはしたけれど佐伯に差し出すことをしなかった。俺自身で作り上げた弱みにつけこんで、佐伯と手を繋いで電車に乗って、アパートに上がりこんだ。

 いや、その前に顔を近づけさせた佐伯に我慢できずに……。

 もう卑怯でもなんでもいい。ここまできたら佐伯もただの同僚、同期とは思うまい。

 俺の目論見はあっさり崩れた。仕事だからと態度を変えずにいたら、あっさり、実にあっさり佐伯の態度も同僚同期のそれに戻った。

 ちょっと待て、と思う。俺の押しは不十分だったのか?

 膝をつきそうになる脱力感のあとで、それならという気概が湧いてくる。


 それなら、逃げようのない状況を作り出してやろうじゃないか、と。


 後は早かった。レストランを予約し、売りつけた恩を返してもらうことをたてに、佐伯に食事の約束を取り付ける。

 記念すべき日なんだからと店も頑張ったし、身につけるものにもこだわった。

 そんなものは綺麗に着飾ったコンタクト姿の佐伯で、すぐに報われたが。

 個室で二人きりに緊張していたらしいのも最初だけで、あとは出てくる料理や酒にご機嫌になる。やっぱり美味しそうに食べている。皿をさげにきた店の従業員が、本心からの賛辞を耳にして微笑んでいる。

 佐伯のすごいのは、周りの人間も穏やかにしてしまうところだ。

 裏表もないし、悪口は言わない。だから信頼を集めるし、周りも協力したくなる。


 絶対、人にはやりたくない。

 一緒に美味しい食卓を囲みたい。

 ただその一心で、俺は佐伯を抱きしめた。



 後日、隠したメガネを発見されて正座はさせられたが、俺に後悔の文字はなかった。

 怒る佐伯の表情もなかなか、とついにやけてしまって、さらにがっつり怒られてしまったが。



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