第7話 「殺生な……」
神殿から出された夕食は精進料理に毛の生えた程度の質素なものだったが、部活後の空腹には味よりも量だった。漣が微笑みながら自分のパンを分けてくれる。
パンは固焼きでかなり強い酸味があったが、これはこれでいける。
豆のスープも干し肉のダシが効いていて、なんだか落ち着く味わいだった。
「結構こういうのも馴染めるかも知れない」
食後のハーブティーを啜りながら、ぼんやりと恋人に告げる。
「それは何より。でも、もしお約束な冒険をやるなら、もっと野性味溢れた食事になるかもしれないなぁ」
なるほど。この文化レベルだと、この辺りはかなり洗練された食事と言うことか。
「猪の丸焼き、とか?」
冗談交じりに言えば。
「猪が居るといいけどね。もっとエグいことになるかもしれないな……アマゾン的な」
あー、虫は勘弁。蜂の子とかざざ虫とか絶対無理。
「わかりやすい顔するなぁ」
漣が噴出したので、童子斬りの鞘で面を狙う。二割方本気で。
「まあ、僕が思ってるような世界なら食料保存の魔法なんかもあるだろうし、梨緒をそんな悲惨な目にあわせるつもりも無いけどね」
振り下ろされた鞘をするりといなしながら、漣が答える。
「切実にそう願うよ」
言いながら二人分のトレーを部屋の外の棚に片付け、ソファに転がる。童子斬りを引き寄せ、抜き身をランプの炎で確かめる。
「見事だな……うちの家宝が玩具に思える」
祖父が大事そうに手入れをしていたそれも結構な業物だったようだが、目の前で美しくも冷ややかな刃紋を晒す刀にはまったく適わない。見ているだけで何かが斬れてしまいそうな……いや、この刃は確かに大気を両断しながら存在している。
「もしもーし、梨緒さん? ちょっと」
拵えも、金糸銀糸を潤沢に使って居る割に華美にならず、吸い付くように手に馴染む。
「梨緒ー」
真剣は稽古で使う木刀よりも当然重いはずなのだが、刀そのもののバランスがよいのか、ほとんど違いを感じない。もしかすると、魔法で軽量化がなされているのかもしれない。
「梨緒ってば!」
「……漣」
相手をしない私に業を煮やしたのか、漣の顔がすぐ近くに寄ってきていた。その美しいラインの顎に指を滑らせ、先ほどとは逆に私の眼前に引き寄せる。
「お?」
きょとんとした大きな目、どうしてこんなばっさばさな睫なんだこの男は。まあいいけど。
「漣」
もう一度彼の名を呼ぶ。
「どうしたの? 梨緒」
私の行動に戸惑いつつも、漣が優しく尋ねてくる。そのままキスしてしまいそうな、甘い声音だ。
「……我慢できない」
私も、身体の奥で疼く何かを留められなくなって来ていた。
「梨緒!」
漣が両手を広げて私を抱きしめようとする。
「漣、斬りたい」
目の前に白刃を突きつけられ、漣の動きがピタリと止まる。あ、前髪斬れた。凄いな。厚めの刃なのに剃刀より鋭利だ。
「よ……妖刀を作ったつもりはないんだけどね……」
珍しくこの男が驚いている。いい気味。
「これ、どこかで試し斬りしたい。だって凄いよ。こんな刀使ったことない」
まあ、刃のある刀は道場の居合い練習用のしか使ったことないんだけど。他の木刀と比べても、格段に扱いやすそうだ。
「梨緒専用に作ってあるしね。伝説の刀に追いつけたかどうかは知らないけど、結構全力で作ったから、自信作だよ」
漣の全力か。そりゃあ、斬れるだろうな。
「そんな物欲しそうな顔しても今はダメだよ。そのうち思う存分振るえる日が来るはずだからさ……今は没収」
手の中から童子斬りが消滅した。消すのも自由自在なのか。
「殺生な……」
手の中に残った感触を懐かしむが、文字通り空しい。
「殺生は梨緒でしょう。本当に斬られるかと思ったよ。まあ、あんな眼の梨緒に斬り捨ててもらえるなら本望だけどさ」
またクネクネし始めた恋人に、先ほどの高ぶりが急激に醒めていく。本当に叩き斬ってやろうか。
「とりあえず、今日は寝ようよ。おいで」
いつの間にか寝台に寝転んだ漣が、シャツの肌蹴た胸元からものすごい色気を醸し出しながら私を呼ぶ。
「むぅ……」
添い寝の相手を取り上げられ、寂しくなった私は、人肌恋しさにいそいそと漣の横にもぐりこんだ。
「変なとこ触るなよ」
警告だけして、眼を閉じる。疲労と満腹で、じきに瞼が重くなる。
「明日起きてもし夢じゃなかったら、ちょっと本腰入れて勇者やろうね」
遠ざかる意識の中で、彼の声が優しく響いた。
大丈夫。この腕の中なら、どんな世界でも熟睡できる。