第3話 「いやいや、勇者はこっちじゃなくて多分そっち。うん。私じゃないから」
二十分ほど森の中を歩き、見えてきたのは壮麗な石造りの神殿だった。
ここまでくれば間違いない。少なくともここは日本ではない。ネズミが主役の夢の国だって、こんな質感のあるファンタジー建築は無いはずだ。
「すごいな、こりゃ……」
規則正しく立てられた石柱には、女神なのか天使なのか、精巧な彫刻が施されている。
「ここがフォウンフォーブ神殿です。勇者様が来るのを皆待ってたんです」
私としては「ふーん、で?」という感じだが、漣が大人しく付いていくので従う。先ほどのジェラシーは綺麗さっぱり鳴りを潜めたものの、未だに冷静に状況を分析できるほど落ち着いてもいない。こういう時は、恋人に甘えてしまったほうが良いことを、私は経験から学んでいた。
ロクレアに続いて神殿の中に入ると、意外にも開け放たれたホールは暖かく、相対的に今までの道程が少し肌寒かったことに気付いた。
「さて、ご対面かな」
微笑を絶やさず、漣。私も深呼吸を一つ。奥の間から、何人かの大人が現れる。
「おお、ロクレア、よく戻った。そちらが勇者殿かい?」
好々爺然とした老人が歩み出る。着ている司教服もきらびやかで、位の高い神官であることが伺える。
「はい、総主教様。こちらが……」
と言いかけ、何かを思い出したようにロクレアが口をつぐむ。そうそう。君は自分は名乗ったけど、私たちの名前は聞いてないんだよな。仕方ないけどね。漣につかまっちゃったし。
「小俣 梨緒。もしかしたらリオ・オバタになるのかな?」
「レン・クシダです。よろしく、総主教殿」
自分から名乗り、顔を赤くして俯いたロクレアの頭にぽん、と軽く手を置いてやる。
「まずは詳しい話を伺います。話に適した場所は有りますか?」
気持ちよさそうに目を細めているロクレアに癒される私。うん。いい娘だ。漣の毒牙にかけちゃいけない。レン様……とか呟いてるのを見ると、もう手遅れだとは思うが。
「なんとも可憐な方ですな。私はフェルナンド。ここの長などを務めております。して、リオ殿が此度の勇者様ですかの?」
ふぉっふぉ、とでも笑いそうな顔で、老人が目を細める。あ、絶対今漣を女だと思ったぞ。というか殿ってもしかして私も勘違いされてるのか? 確かに上下ジャージで……胸も無いけど。
「いやいや、勇者はこっちじゃなくて多分そっち。うん。私じゃないから」
慌ててびしっと傍らの恋人を指差す。少なくとも私に彼らを守る力なんて無い。魔王だの魔物だのロクレアが言ってたが、そういう規格外な話は漣の畑だ。
「……こちらが?」
フェルナンドが細めた目を丸に変え、漣を見やる。漣も微笑んだまま彼を見上げる。妙な沈黙が辺りを支配した。
「しかし……勇者様がこのような娘さんというのは前例の無い話ですな。戦いに送り出すのに些か心がとがめます」
「あー……」
沈黙に耐えかねたかのようにフェルディナンドが呟く。どうしたものか悩んだ私が間抜けな声を出したが、幸いその場にいた十五名程の司教たちは漣に注目していた。
「何を勘違いされてるかは知りませんが、僕は男です。男なら死んでも構わないという考え方には同調しかねますが……とりあえずどこか腰掛けられる場所はありませんか?」
漣がちら、と私を見て移動を促した。気にしてくれたのか? それなら私の性別も訂正しといてくれると助かるんだが。
あくまでぞろぞろ出てきたのは出迎えだったらしく、私たちは神殿の奥へ移動と相成った。
通路を照らす淡く白い光は、何か不思議な力によるものだろうか。光源を探すが、篝火もランプも無い。分厚い石の柱自体が発光しているように見える。
「この神殿は、魔法の光で夜でも明るいんです。フォウンフォーブ様の神気が満ちる場所だから、この光が絶えることはありません」
きょろきょろしていた私に気付いたのだろう、ロクレアが教えてくれた。やっぱりあるのか、魔法。
「ロクレアも魔法が使えるのか?」
あ、俯いちゃった。コンプレックスだったかな?
「私は、魔法を編むための魔力を持っていないんです」
「ロクレアは託宣の巫女でしてな。フォウンフォーブ様の声を聞くために、干渉する己の魔力と言うものは皆無です。それは、凄いことなのだよ、ロクレア」
フェルナンドが穏やかに説明してくれる。この人もいい人だな。
「生まれ持った才能と言うやつか。ロクレアは凄いんだな」
微笑んでやれば、ロクレアも同じように微笑み返してくれる。ああ、可愛いな畜生。
「……梨緒」
突如耳元に呟かれた低い声に、私の背筋があわ立つ。
「うぉわっ……突然そんなとこで声出さないで……」
ぞわっときた。
「……」
無言のまま、責めるような表情で私を見つめる恋人様。あー、そういうことか。
「ごめんごめん。漣が一番だよ。これでOK?」
今度はお前が嫉妬かよ。まったくおめでたいな…………私たち。
「……愛が篭ってない……」
あんまりブツブツ言ってるから、頭でもはたいてやろうかと思ったころに、タイミングよく廊下が途切れた。