第18話 リオ様は不敵に笑っていた。
(今回はケイロム視点でお送りします)
眼前で、魔力が異常な速度で収束していた。
「魔法は凄いな」
その魔力を身に宿し、リオ様は不敵に笑っていた。レン様の穏やかで優しげな笑顔とは違う、凄みの有る笑みだ。耳の下までで無造作に切られた漆黒の髪が魔力を浴びて震え、微かに眉根を寄せたため、その分柳眉が跳ね上がる。レン様の女神の如く整った顔に隠れがちだが、リオ様も、その愛刀のように鋭利な美しさをお持ちだ。
少年のようにしなやかな体躯と、紛う事なき剣豪の闘気。絹のようにきめ細やかな肌と、浮かべる攻撃的な表情。それら全てがアンバランスに同居し、触れるだけで怪我をしそうな印象を与える。
そんな彼女に、魔物が雄叫びを上げて踊りかかった。宙に浮く立方体だった時と違い、野生動物の速さで爪が振るわれる。私はリオ様の頭が無残に切り裂かれる様を幻視し、思わず手を伸ばした。
「リオ様!!」
レン様も反応が遅れたのか、動く様子は無い。
だが、次に私が耳にしたのは、肉が裂ける音でも悲鳴でもなく、よく通る楽しそうな声だった。
「怖い怖い。今度は私の番だな」
どうやって避けたというのか、リオ様は獣から半歩離れた位置で曲刀を構えている。恥ずかしながら、私はまったくその行動を追うことができなかった。まさか、瞬間移動の魔法を使ったのだろうか。いや、あの一瞬に魔法を行使することなど不可能だ。
「行くぞ!」
大気が、爆音を上げた。引き絞られ、圧縮された何かが開放された音だった。
直後、二度目の衝撃音。
獣の姿が大きく揺らいだかと思うと、三度目の音。そして、吹き上がる砂塵。
その間、私の目は見るという行為を放棄していた。
「いい感じだね、梨緒」
ぱちぱちと、レン様が手を叩いている。砂塵が晴れた先では、漆黒の獣がおかしな形で砕けた巨岩に縫い付けられていた。
「ん、これはいいな……結構疲れるけど」
リオ様が笑顔のままコキリと肩を鳴らした。
「何が……起こったのですか?」
思わず尋ねた私に、レン様が首をかしげながら答える。
「ただ普通に斬り付けただけなんだけど、剣速が早すぎて衝撃波が生まれたみたいだ。だから、斬れるよりも先に吹き飛んじゃった」
どうやら彼には一部始終が見えていたようだ。それにしても、斬れずに吹き飛ばす斬撃とは一体どのようなものなのか。
後日レン様が音の伝わる早さを越えた際に生まれる衝撃波について解説してくれたものの、私には今一つその原理を理解することができなかった。レン様がいた世界は、そのような知識や技術がありふれているのだろうか。
「トドメはどうする?」
リオ様の声に、私は我に返った。
「そ……そうですね。魔物はその魔力の続く限り自らの傷を癒すことができます。今のうちに魔力の要と鳴る位置を探り、一気に仕留めてしまうべきかと」
何はともあれ好機なのだ。先ほど取り落とした杖を拾い、攻撃魔法を構築する。
「あ、ちょっとサンプルを取りたいから、待って欲しいな」
レン様の声が届くと共に、練り始めた魔力が彼の魔力に絡めとられ、静止した。
行き先を失った魔力は、私の杖の周りに纏わり付くように回り続けている。
「これは……まさか、対抗呪文!?」
他人の使う魔法を発動前に止めるには、魔法の構築途中でその経路を妨害すれば良い。だが、本来魔力とはその個人に属する力だ。外からの干渉は非常に難しいとされる。できるとすれば術者が意図して魔力の流れを見せているか、圧倒的な魔力で魔力経路そのものを乱してしまうか。
私の術を留めているのは、その何れの場合でも無い。彼は、私の魔力を『解析』し、その術の経路を完全に掌握したのだ。こともなげに。
「……もはや呆れすら感じません」
そう告げた私に苦笑し、レン様は懐から硝子瓶を取り出した。
「リオ、ちょっとこの辺り斬ってくれる?」
低くうなり声を上げる魔物の爪先に瓶を構え、雑事でも頼むように言う。
「あいよ」
それをまた些事のように了承し、リオ様が刃を一閃させる。数泊遅れ、獣の爪がばらりと千切れ、瓶に落ちた。からん、という乾いた音の直後、黒い爪はぐにゃりと液体に変わり、瓶の底に広がった。
「ほう。これは面白いね」
鼻歌すら歌いそうな笑顔でレン様が瓶の口を閉じた。
「もういい?」
リオ様の声に頷き、彼が身を離す。
「一瞬で逝かせてやるから、恨むなよ。多分これから、お仲間を沢山送ることになる」
呟いた彼女の笑みが、酷く寂しく見えた。
「リオだけにはやらせないさ」
彼女の刀に手を添えたレン様も、同じような感情を瞳に湛えている。
「ほら、核はここだ。魔力が真っ黒に渦を巻いてる」
レン様は正確に、切っ先を獣の魔力の中心点へと導いた。
「ケーキ入刀、って感じだな」
リオ様が何事かを呟いた。
「相手がこれじゃあ色気のカケラも無いけれど、悪い気はしないね」
レン様も呟き、二人は刃を押し込んだ。
大気を震わせて、魔物が叫ぶ。
腹の底を黒く塗りつぶすような、絶望的な苦悶の叫びだった。それがかすれていくに従い、獣の輪郭が崩れ、やがて岩に染みこむように黒い影に変わる。
「……しばらく夢に見そう」
苦虫を噛み潰したような顔のリオ様を、レン様が優しく抱きしめた。