第14話 「ええ。命あってのモノダネ、ということですね」
結局、そこからの四日は何事もなく過ぎ、五日目にティアノームに入った。
ごつごつとした岩肌が、苔のような緑の間から覗く山岳地帯だ。
標高が上がっているせいか、空気はひんやりと冷たい。
「この辺りの集落はもう避難済み?」
漣が毛布に包まりながら尋ねる。
「ええ。魔物が出たら、何をおいても逃げるのが正解とされていますので」
こちらは王都を出たときと同じいでたちのケイロム。
「家畜や畑も?」
私は私で寒いのは平気なため、ケイロムと同じく馬車から辺りを眺めている。ぽつんぽつんと点在する集落に人気は無い。
「ええ。命あってのモノダネ、ということですね」
肩をすくめた魔法神官。
「天災扱ということか。ケイロム殿は戦ったことはありますか?」
毛布を身体に巻いたまま、ころころと転がりつつ、恋人様。ああもう、なんでこう可愛いんだこいつは。
「何度か。ただし、魔物と言ってもはぐれて王都周辺に迷い込んだものの退治ばかりで、今回のように討伐に向かったことはありません」
まあ、フェルナンドたちの様子を見ていても、神殿には自分から打って出るタイプの戦士は居なさそうだ。専守防衛的な考えなのだろう。
「強かったか?」
尋ねた私の手の中で、童子斬りがちゃり、と鍔を鳴らした。
「私と同様魔法が得意な神官三名で向かいましたが、一体の魔物を相手に一晩戦い続け、一名が重症、私ともう一人が軽症、という程度でしょうか。少なくとも、自然界の獣などよりはよほど強力でした」
ケイロムの強さがわからない以上、この質問に意味は無かったな。
「軍が討伐に向かう場合、やっぱり犠牲者はでるのかな?」
いつの間にか馬車の端っこまで転がって行ってしまった漣が、なんとも微妙な格好で尋ねた。
「はい。軍の方々はあまり魔法に長じてはおりませんので。物量で押し切るとなると、多少の犠牲は出てしまうようです。前回の討伐隊は、一匹の巣に篭った魔物に三十六名で向かって帰って来たのは二十余名でしたね」
結構やられて来るんだな。
「割に合わなさ過ぎる。この国の軍隊がどれだけの規模なのかは知らないが、そりゃあ勇者の一人も欲しくなるね」
漣も、呆れて眼を丸くした。
「でも、そう考えるとケイロムは強いんだな。兵士十名以上分の戦力と言うことか」
私はこの痩せた青年を見直した。
「まあ、根城で迎え撃つ敵は厄介ですからね。私たちは私たちの根城で戦ったわけですし」
なるほど。確かに地の利、という言葉もある。
「兄貴、そろそろやばそうだ」
そんな話をしていた私たちに、御者台から緊張した声が振って来た。
「やばそう、とは?」
漣が毛布から這い出し、尋ねる。
「コールは魔法こそ学んでいませんが、魔力を感じる力は私以上です。魔物は存在するだけで魔力を乱しますから、痕跡があればわかります」
おお、きちんと人選してたんだ。
「突然だったのに、随分いい人材が身内に居るものだな」
それとも、この世界では割と普通の技能なのだろか。
「巫女の託宣がありましたからね。呼び寄せて用意はしておりました。ただ、こんなに早く出立するとは思いませんでしたが……」
私だって思って無かったよ。
「何はともあれ、魔物が近くにいるということだね……」
漣が眼を細め、毛布から這い出す。あちこち毛が跳ねていたので、手櫛で梳かしてやる。ええい、猫か貴様は。
「気をつけてください。魔物によっては姿を隠すことに長けたものも居ます」
透明人間みたいなのは嫌だな。非常に戦いにくそうだ。
「かなり近いぞ……居た!」
コールが馬車を旋回させ、岩場に寄せた。
「見つけたようです。ここからは徒歩で進みましょう」
馬車から首を出した私には、何も見えない。
「彼は眼もよさそうだね」
眉間にしわを寄せて虚空を睨んでいる恋人様。どうやら漣にも見えてはいないようだ。
「コール、ここで隠れていてくれ」
ケイロムが馬車の荷物から杖を抜き出し、歩き出した。
「わかった。兄貴も気をつけて」
馬を潅木にくくりつけながら、コールが答える。
「さて、はじめての魔物退治と行きましょうか」
漣がコキリと首を鳴らした。
「はじめてだったら優しくしてくれるかな?」
思わず下品な冗談に走った私に、漣が満面の笑顔で答える。
「梨緒に何かしたら、この世界から痕跡すら残さず消滅させてみせる」
笑顔の方が怖いことってあるよな。ほら、ケイロムが完全に引いてるじゃないか。
「コホン……あれが魔物ですね」
魔法使いの指差した先には、何とも形容しがたいものが浮かんでいた。
「……箱?」
「いや、中身が空とは限らないよ。キューブと呼ぶべきかもしれない」
反応が少々ずれているのは自覚がある。我々の五十メートル程先では、黒い立方体がいくつも連なって浮かんでいた。
「これが……魔物」
それが単体なのか群体なのかもはっきりとはしない。
大きさも五センチ四方から一メートル四方までまちまちだし、やはり群体と考えるのが妥当だろうか。
「まずは様子見と行こっか」
漣は、神殿の庭で私がしたように、虚空へと右手を突き出した。
「来い……」
私のときと違うのは派手な音がしないこと。漣が演出を加減したのだろう。
青白い光が彼の掌から溢れ、煙のように立ち上ると、一つにまとまり……。
「戦闘開始だ」
彼の手の中には、複雑な機構を持った機械杖が握られていた。