綺麗な声と天才少年
人生で初めて書いた小説です
深夜テンションでかきあげました
私がその美少年と出会ったのは、古い時計屋で買い物を済ませ、ちょうど出口に向かおうとした時だった。背後から背中をそっと触れられたのだ。まるで楓の葉っぱが落ちてきただけ、と言う風な感触だった。
振り向くと美少年が立っていた。歳は13歳ぐらいだろうか。まず、彼は目が完璧だった。大きな瞳は少し潤っているようにキラキラ輝き、睫はまばたきする度に風が起きそうなほど長かった。小さな薄いピンク色の唇はふっくらしていてとても形が良く、少年らしいあどけなさを象徴しているかのようだった。彼がそこにいるだけで、古びた時計屋がまるでシックな店のように思えた。
「お兄さん、綺麗な声をしているね。」
少年はにっこり笑いながらそう言った。なんの計算もなさそうな表情。それでいてそれが計算の一部のような気もする。
「俺が?申し訳ないけど、君と喋ったのはこれが初めてなんじゃないかな。」と私は少し子供に言い聞かせるような口調で言った。だが少年はめげずに続ける。
「さっきお会計してたでしょ?数字の無い時計を買ってたよね?僕にはああいうのを買う人の気持ちはわからないけど、レジで店員さんと喋っていた君の声には一目惚れだったよ。」
「俺も好きじゃないよ。実際買うのは初めてだしね。でも色々考えた結果だから、これで満足してるんだ。それより声に一目惚れっていうのはどういうことだい?」
私が尋ねると、少年はキラキラした目で真っ直ぐ私を見つめた。
「君の声が好きなんだ。理屈抜きで、君なら僕の歌を上手に歌えると思う。綺麗な声でさ、聴いている人たちを感動させるんだ。」
「君は作曲家なのか?」と私はビックリして聞いた。
「そうだよ。僕は今までたくさん曲を作ってきたけど、同じ人に歌って貰った曲は一つもないんだ。みんなどこか違うから。歌はすごく上手いし、表現とかもすごく上手なんだ。僕の言いたいことをすぐに汲み取ってくれる。だけど正直な話、声がだめなんだよね。みんな声が綺麗すぎたり、上品すぎたり、力強すぎる。でも君の声は違う。君なら僕の曲を全部最高に歌ってくれる。わかるんだよ。」
「芸術家の直感?」と私が聞くと、「子供の直感。」と少年はいたずらっぽく真っ白な歯を見せて言った。
私はただの大学生だったが、バイトはしてなかったし、講義もいい加減にサボったりサボらなかったりするタイプだった。必要な勉強は図書館でやればあっという間に片付けられる。彼女はいないが、たまに知り合った女の子と一晩だけの関係を作ってそれで終わり。何をしているんだろう、と自分でも思う。あと半年で成人し、1ヶ月で二年生になる。サークルにも入らず、騒いでいる学生を横目に通りすぎるのが日常の一部。多分この大学の上位3パーセントに入る暇人だと思う。
だから美少年、ミカの家に通うのはなんの苦も無かった。
初めて彼の家に行った日。
彼の家は秋葉原電気街のちょうど裏側にあった。昼間なのに、彼のアパートの周辺では影が当たり一面を覆っていた。シンプルな外観で、影が落ちている真っ白な塗装は冬に見ると少し寒く感じる。エントランスは決して豪華ではないが、しっかりしている感じがあった。彼は六階に住んでいた。エレベーターの中は暖かいレトロな光で満たされていた。多くの古い建物のエレベーターと同じように、少しゴトゴトと体を震わせながら上昇して行く。やがてそれは音もなく開いた。そこだけ音がしないことがなぜか不思議だった。
ミカの家は603号室だった。こざっぱりした3LDK。何かの甘い匂いがし、床がピカピカに磨き上げられていた。
「暇になるとお父さんは床を磨くんだ。」とミカは笑いながら教えてくれた。家の他の綺麗な部屋と似合わないキッチンの乱雑さを見て、私も思わず笑ってしまった。
両親はいなかった。仕事だろう。まだ平日の昼間だ。そこまで考えて突然、私は当たり前のことに気づいた。そういえばなぜミカは学校に行っていないんだろう。彼はせいぜい中学生にしか見えない。義務教育中のはずだ。
我々はリビングの突き当たりにあるドアを開けて入った。そこには様々な、私には名前も用途もわからない機械があった。
「ギターある」としか言えなかった。物は多かったが、この年頃の少年とは思えないほど綺麗に片付いていた。ベッドは綺麗に整えられ、その横にある本棚には本がびっしり入っていた。実に様々な本が詰まっている。アメリカ占領時の沖縄県民の食生活について書いてある本もあった。「つまんない本を読めば、自分の人生がいかに楽しいかわかるよ。」気づいたら私の背後に立っていたミカは言った。「全部読んだのか?」と私がびっくりして聞くと、「二回ずつ。」とミカはなんでもないように答えた。本棚には難しい本もたくさんあった。作者では、ドストエフスキーがパッと見た感じでは一番多い。私は「資本論」を見つけた時は思わずそれを指差して、「理解できたのか?」と聞いてしまった。「さっぱり」とミカはベッドの上に腰かけて機械を調節しながらちらりと私の方を見て答えた。「でも僕はドストエフスキーの思想は好きだよ。」そう言ってまた機械に集中した。
「なあ、要らないこと聞くけど、君は学校に行かないのか?」私は聞いてみた。答えてくれなさそうな気はしたが、それはそれで一つの答えになる。ミカは作業している手を止めて、じっと自分の1トンはありそうな本棚を見つめた。
「学校なんて面白くない。面白くない人を育てるための場所なんだよ。小学校ではみんな十人十色だったのに、中学に上がった瞬間、おしなべて髪を整えちゃうところとか、人と目を合わせて話すかどうか悩むところとかさ。それに、学校は大したことは教えてくれないし。あれは人を馬鹿にするための場所だってじいちゃんも言ってた。だってさ、学校に行くより、僕が自分で勉強した方がいっぱい学べるんだよ?僕は今では微積分もできるし、人体のホルモンも大体覚えたし、英語も中国語もフランス語もできる。」
「それはすごいな。」私は本当にそう思った。「ありがとう」とミカは無感動に言った。この子は多分、自分の能力を試してみたくてそういうことを勉強しただけなのだろう。
ミカは私に何曲かリクエストして歌ってみてほしいと言った。マイクも渡された。アカペラは恥ずかしかったが、ミカの眼差しは真剣だったので、私も恥を忘れて歌った。歌は上手い方ではない。むしろ下手だ。でもミカは聴き終わるとパチパチと拍手をしてくれた。心地よい音の拍手だった。
「やっぱり綺麗だね。僕が今まで聴いてきた中で一番だ。」
「ありがとう」と私は少し照れながら言った。この美しい少年に褒められるのは決して悪い気はしない。ミカは部屋を出ていき、手作りクッキーときゅうりをのせた皿を持ってきた。我々は交互にきゅうりとクッキーを食べた。クッキーはしっとりしており、甘さ控えめでクリーミーな味わいがした。
ミカは自分の音楽活動について色々と教えてくれた。ファンは全国的にとまではいかないが、少なくもない。アルバムも既に何枚かリリースされている。私は何曲か聴かせてもらった。サビだけ聴き覚えのある曲が何曲かあったのに驚いた。普通のレストランやチェーン店の古本屋で流れてた気がする。収入も結構入ってるんだ、とミカはまるで定期テストで上位ランキングに入ったことを告げるような口調で言った。彼はちゃんとした音楽家だったのだ。クッキーを美味しく作れる音楽家。
その日から私はほとんど毎日のようにミカの家に通った。ミカのおかげで私の歌は驚くほど上達していった。彼は時折手本として歌って見せる。私の何倍も美しい歌声だった。そのことを言うと、「君は音楽に関しては素人だからそんなことを言うんだ。」とミカは髪の毛を弄りながら言った。相変わらず他人の褒め言葉をなんとも思っていなさそうな口調だったが、わずかに口角が上がっているのに気づいた。やっぱり子供だな、と私は思った。彼の両親とは一度もあった事はなかった。両親がいない時間帯を選んでるんだ、とミカは言った。
彼の家で、私は彼の歌を上手に歌うことに全神経を注いだ。そして時折ミカが口ずさむメロディーに耳を傾ける。ミカがメロディーを考えている時、私はできるだけじっとしていた。そういう時は、寝ている象の横を息を殺して通り過ぎるライオンをなぜかいつも思い浮かべる。私は歌う度に彼が求めるものに近づいた。私の声は彼の手の中で磨かれ、形作られていった。我々はそうやって一緒に音楽活動をしていった。ある日、私の歌声が店内に流れた時はしばらくその場で動かず、その曲のメロディーを口ずさむミカを思い浮かべた。ピンクの唇は最低限の動きだけで美しい旋律を刻んでいる。私はその隣でじっと唇の動きを注視する。口の中にはまだクッキーの小麦粉の味が残っている。
2年後、天才少年はすでに全国にその名が知れ渡っていた。15歳の覆面作曲家。彼の音楽はテンポ良く明るいのに、どこか暗さと懐かしさを感じさせた。暗闇そのものを自分の居場所だと思わせるような力があった。聴く度に気持ちの良い孤独感に包まれる。ヒット曲をいくつも生み出す神童の正体については様々な憶測が飛び回り、ギフテッドだ、と誰もが言った。
彼が19歳になった頃だった。彼の身長は私と大差無くなり、声は低くなった。だが年齢を重ねるにつれ、彼の目はその輝きを失っていった。代わりに暗い光を湛え、まるでその長い睫が重すぎるというように伏し目がちになった。まるで世界の果てに絶望しているかのようだった。
「最近、元気がないな。どうしたんだ?」昼食を食べにやってきた和食屋で、私は思いきって聞いてみた。こんな雰囲気のミカには正直話しかけずらかった。それでも思いきって尋ねたのに、返ってきたのは素っ気ない返事だけだった。
「別に、なんでもないよ。」
「そんなことないだろ。話してみろよ。」
「....大人になりたくないんだ。」
その言葉はミカの口から自然に落ちてきた。私はしばらく彼を見つめてなにも言えなかった。天才少年にとって、少年であることはどれほど大切なのか。私にはそれがわからなかった。
「まだ若いじゃないか。今も、これからも。俺よりはずっと年下だ。」そう言って慰めてもミカは首を振るばかりだった。「違うんだ、、、僕は、僕は少年でありたかったんだ。」
私にはなんとなく彼の言いたいことがわかった。彼は時間を恐れている。多くの子供が思春期に経験する変容への恐怖、周囲の扱いの変化へのストレス、そういうものに今、押し潰されそうになっている。彼は学校に行かなかった。他の子供と一緒に変化し、成長することもその大切さも実感することが無かった。だから時間への恐怖が遅れてやってきている。
それでも、その恐怖はすぐに無くなるだろうと私は考えた。どの子供も成長する。大人になる。時間に鈍感になることは良いことか悪いことかはわからないが、悩むことは無くなる。ミカもいずれ、一人の若者として世界に影響を与える存在となるだろう。
それまで待ってやらないとな、と私は心に誓いながら、和食屋なのに出てきたコーヒーを飲んだ。
ある日、私たちは新曲のレコーディングのためにスタジオにいた。彼はいつもより静かで、何かを考え込むように窓の外を見つめていた。彼は指でリズムをしばらくとっていたが、やがて私の方に振り向いた。
「この曲、どう思う?」彼にしては珍しい、共感を得たいような口調だった。
「素晴らしいと思うよ、いつも通り。サビに入る直前のメロディーが一番好きかな。」
「そう」
彼は再び窓のそとに目を戻した。だがそのかたちの良い唇は何かを言いかけてはやめるように時折ぴくりと動いた。
「どうしたんだ?何か言いたいなら、なんでも聞くぞ。」しばらく返事がなかった。やがて彼は震える声を出した。
「僕はね、ずっと君に歌ってほしくて曲を書いていたんだ。あいつが歌ったらどんな風になるだろう、どこを気に入ってくれるだろう、僕の想像以上の曲にしてくれるだろうか、ってね。でももうこの曲が最後かもしれないって思っちゃうから少し寂しい。それだけなんだ。」
「最後ってなんだよ。まだまだこれからだろ。俺も君も、待ってる人がたくさんいる。」
「そうだね、、、」
彼はどこか空虚な微笑みを浮かべて言った。明らかに作り笑いだった。数年前は作り笑いなんてしていなかった。今は、全てを諦めたような笑みを浮かべる。私が彼の背中をぽん、と叩いてやると少しビクッとして、今度は本物を浮かべた。
レコーディングが終わり、私たちはスタジオの屋上に出た。夕日が街を赤く染め、風が心地よかった。彼は手すりに寄りかかりながら、遠くを見つめていた。
「今まで何曲ぐらい歌ってくれたっけ。」彼は独り言のように言った。「数え切れないほど歌ったな。」私は微笑んだ。彼の音楽は全部私の胸の中に大切にしまってある。
「歌ってくれてありがとう。君の歌声は本当に特別だったよ。君といると、僕は自分自身がどうでもよくなる。君の歌声を聴いたら、宇宙に対するのと同じような、心地よい諦めに身を委ねることができるんだ。多分大人になるってこういうことなんだろうね。でも僕はやっぱり少年でいたいんだ。大人になりたくない。ずっと言ってきたけど、本当にそう思ってるんだ。僕は「少年」でいなければならなかった。汚れなき作曲家であり続けたかった。でも、もう無理だ。時は流れる。僕は変わる。それが怖い」
「もう無理ってどういう、、、」
私は彼の言葉の意味を理解しようとした。しかし、もう遅かった。彼は手すりを越え、一瞬のうちに視界から消えた。
鈍い音がした。何かが衝突し、潰れる音。心臓の、ドッ、ドッ、ドッ、という音が耳の内側で響いている。それしか聞こえない。
私はすぐに手すりに駆け寄って下を見た。死体の手足は変な方向に曲がり、赤い何かが散乱していた。通行人は悲鳴をあげ、何人かは私を見上げて指さしている。私は立ち尽くした。彼は自殺した。自分の意志で、この世界から去った。
心は空白だった。視界が狭くなっていく感覚がある。再び心臓の音が聞こえてきた。ドッ、ドッ、ドッ、、、
その後、警察の聴取や葬儀の準備など、全てが自動的に進んでいった。私は感情を押し殺し、彼の遺族や関係者に謝罪し、表面上は悲しみを表現した。しかし、心の奥底では別の感情が渦巻いていた。
彼のプライドが、強迫観念が、恐怖が彼を殺したんだ。
彼はずっと「少年」に固執していた。それを手放せなかった。純粋で汚れの無い天才作曲家であり続けたかったのだろう。時間の経過とともに変わる自分を受け入れることができなかった。その結果、彼はあそこでとんだ。自分が特別だと知っていたから、アイデンティティーを一つも失いたくなかったのだ。
それを保持する方法があれしかないと思ったのだろう。
葬儀の日。やってきたのは音楽関係者と彼の親戚だけだった。両親は私に会う前からすでに離婚し、ミカを捨てていた。ミカが死んでから初めて知った。あの床をピカピカに磨き上げていたのはミカだったのか。やることが無い時、彼はどんな気持ちで床を磨いていたのだろうか。曲を流しながら、メロディーを口ずさみながら手を動かしていたのかもしれない。
閉ざされた棺桶の前で、私はしばらく祈っていた。やがて顔をあげ、「これで君は永遠に「少年」のままだな。」と言った。
声が震えた。初めて、涙がこぼれ落ちた。私は最後までその奔流を耐え、家で泣いた。
私は今でも彼がプライドに殺されたと思っている。プライドがあったからこそあの曲が作れた。だがプライドをずっと抱えたままでは彼は生きていけなかった。あの選択をした彼を責めることはできない。だがやるせない気持ちにはなった。結局、彼を許すことなんてこれから先二度とできないのかもしれない。
屋上で最後に見た彼の背中は夕日に照らされて美しかった。わずかな動きで照らされる場所や広さが変わるのは、今思えば幻想的ですらあった。
だがその記憶も段々霞んでいく。景色や、彼の顔すら曖昧になってしまった。
「お兄さん、綺麗な声をしているね。」
そう言ってにっこり笑っていた、あの日の13歳の少年の顔も、夕日に照らされて上手く思い出せない。
それでも、その少年の声が紛れもなく純粋で美しかったことは、今でもはっきりと思い出せるのだ。
全部読み終わった方、もしいらっしゃったら大感謝です!




