衝撃
「聞いてるか?樹」
突然そう声を掛けられ、声の主を見る。
「あぁ、聞いてるよ。2人の馴れ初めだろ?」
俺の返事に悠基は満足気に頷いた。
「そうだよ、それ!昔から緋呂くんと弓弦は仲良かったけどさぁ。まさか付き合ってて更にこれから海外で一緒に暮らす事になるなんて、やっぱり思ってもみなかったし」
笑いながら悠基の言葉に頷く。弓弦はそんな悠基の言葉に苦笑を浮かべていた。
今この場に奏と緋呂はいない。
奏は、やっぱり辛くなったのか食事が終ると、予定があると言って逃げていった。
ちょっと苛め過ぎたかな?と反省したりもしたけれど彼を自分の物にするにはこうするしかないのだ。
彼が誰を見ているのかなんて直ぐに解った。俺の視線には気付かずに緋呂の事を見詰めていたから・・・。
心優しい緋呂は、顔色の悪い奏を心配し、このバーに着いてから暫くして、
『・・・やっぱり、かなちゃんの事心配だから僕見てくるよ』
そう言い出て行った、場所はわかるのか、という弓弦の言葉にたぶんと告げ。
思い出も必要か、と思い、俺はそれを止める事はしなかった・・・。
「抜けて来たって・・・だめじゃないか、緋呂くん?君達の壮行会だろ?」
缶ビールを受け取りながらそう告げると彼は急に真顔になった。
「・・・そうだけど、かなちゃん、何かあった?店でもずーっと怖い顔してたよ?」
緋呂の言葉に体が強張るのがわかる。僕は苦笑を浮かべ缶ビールのプルタブを開けた。
そのまま、砂浜に腰を降ろすと、緋呂も横に腰を降ろした。
「僕じゃ、だめ?何かあるんなら相談にのるよ?」
ビールの缶を煽りながら僕の顔を覗き込んだ緋呂は、未来に向け走り出した、清々しい顔をしていて・・・とても輝いていて見詰める事が困難だった。
だから・・・だったのかもしれない。その顔を見ていられなくて、彼の言葉を聞きたくなくて、その唇を塞いでいた。
僕の手からも、緋呂の手からも缶ビールが零れおちる。
そっと唇を離しその瞳を見詰めると、緋呂は理解できないような、何が起きたのか解らないような顔をしていた。
「・・・え・・・な、に?」
しばらくした後、バッと唇を抑えうろたえている緋呂がいた。
殴られる事も予想していたけれど、彼はそうしなかった。ただ、呆然と僕を見詰める瞳がそこにはあった。
「・・・急に、ごめんね。これでわかっただろ?僕は、ずっと前から君が・・・緋呂が好きだったんだ。弓弦と君が恋人同士だってわかった今でも・・・」
そう告げ、ゆっくりと緋呂を押し倒す。そうして再びその唇に自分の物を押しつけた。
緋呂の体が強張るのが伝わる。僕の瞳には何時の間にか涙が浮かんでいた。
唇を離し緋呂の顔を見詰める。
その時だった。ふと、緋呂が声を発したのだ。
「・・・雪だ」
その言葉に空を見上げると、僕の頬に埃のような雪が舞い落ちた。そうして、僕の口から乾いた笑いが零れる。何故だか、全てがばかばかしくなり彼の上から退いた。
そうして砂浜に腰を降ろす。緋呂も体を起こし小さく笑った。
「かなちゃん」
そう呼ばれ、彼を見る。
「・・・全然知らなかった。かなちゃんが、僕の事そんな風に思っていてくれたなんて」
少し照れたように笑いそう言った緋呂は、ほんとに綺麗で、折角引っ込めた涙が再び僕を襲った。
「ありがとう、僕もかなちゃんの事好きだよ?とても・・大切だと思ってる。・・・でも、やっぱり違うんだ。弓弦との、それとは・・・」
泣き笑いのような顔で、口下手な彼はそれでも一生懸命に答えてくれた。
「・・・うん」
僕は涙で揺れる声でなんとかそれだけ告げる。
緋呂は、そして天使のような笑顔で僕に告げたのだ。
「・・・ごめんね、かなちゃん」
弓弦の携帯が鳴る。
液晶を確認した弓弦が通話のボタンを押し、席を離れると悠基は徐に告げた。
「で?・・・樹はかなちゃんとどうなってるわけ?」
直球な質問に思わず噴き出しそうになる。眉間に皺を寄せながら悠基を見詰めた。
「俺が気付かないと思った?・・・好きなんだろ?かなちゃんの事」
流石、悪友だけある。俺の視線に気付いていたのだ。
俺は小さく笑い、
「別になにも。・・・だってあいつは他の人を見てるから」
と呟いた。悠基も苦笑を浮かべる。
「・・・まぁ、こればっかりは、ね」
歯切れの悪い悠基の言葉に答えようと口を開いたけれど、弓弦が電話を終え店に入ってくるのが見えたから口を閉ざした。
「緋呂からだった。今、かなちゃんとこっちに向かってるって」
正直驚いた。まさか、こんなに早くしかも2人で帰ってくるなんて。
悠基と目を交わし、苦笑を浮かべる。
知らぬは弓弦ばかりなり・・・。
ホントにそうか?と思う。弓弦も実は奏の想いを知っているのではないか?知っていて緋呂を行かせたのではないか?そんな思いが俺を包む。
しかし、それこそ弓弦に確認するしか、知りうる手はない。
そんな事出来るわけもなくて俺は静かに溜息を吐いた。
前を歩く緋呂に、僕は近づけないでいた。
あの後静かに
『皆の処に帰ろう?』
と告げた彼に、僕は異を唱える事が出来なかった。ただ涙を拭い、頷く事しか出来なかった。
きっかり1mの距離を保ちながら歩く僕に緋呂は言う。
「・・・かなちゃん、弓弦には内緒ね?・・・僕が怒られちゃうから。あいつ結構、束縛屋、嫉妬屋なんだ」
そう笑いながらの言葉に頷く。そうして再び「ごめんね」と告げた。
『謝らないで』
と告げようとするけれど、やっぱり涙がこみ上げて来そうで頷く事しか出来ない。
緋呂に謝ってほしいわけじゃないのに言葉がでてこなかった。
そうして、みんなが待つバーにたどり着く。入口の前で急に立ち止った緋呂は、僕を抱きしめる。そうして小さく笑い、静かに告げた。
「・・・大丈夫?」
その問いに僕も精一杯の笑顔を向け頷く。緋呂はそれを見届けバーへの扉を開いた。
「い、つき・・・?どういう・・・意味?」
告げられた言葉の意味が怖くて、樹の顔が見られない。
ぎゅっと、彼の服の裾を掴んだ。
「・・・まだ、忘れなれないんだろ?緋呂の事」
自分の耳を疑った。周りが一気に暗くなる。
緋呂への気持ちは誰にも伝えてはいなかった。まさか樹が知っていたなんて思いもよらなかったのだ。
「な、んの事?」
精一杯の虚勢を張り答える。
僕を抱きしめる樹の腕が静かに解かれた。
そうして強引に口づけされる。びくっと反応し、しかしその口づけを受け入れた。
だんだんと深いものに変わり、息が切れたころようやく解放される。
肩で呼吸を整えながら樹を見た。
ぎゅっと眉間に皺を寄せ、苦しい表情の樹が其処には居た。
「知ってたよ・・・。俺の視線にも気付かずにお前が誰を見ていたかなんて、それこそずっと前から!」
樹の告白に視界が歪む。
――――――・・・知っていた・・・?
「知ってて、・・・だけど諦められなくて、あの日お前を強引に抱いたんだ!!」
真っ白になった僕を、再びあの日が襲う―――――――