短編4 #独裁者誕生
ベランダのチェアに腰掛けると、秀作は赤く染まった一枚のもみじの葉がテーブルの上に落ちていることに気がついた。夕刻十九時、あたりはすっかり暗くなってはいるが、半月がうっすらと周囲を照らしている。もみじを指に挟んで半月にかざしてみると、いかにももみじ然とした形のなかに、予想通りの葉脈の流れが映っている。かすかに風が吹き抜けると、指先が少し冷たかった。
「どうしてもみじはこの形なんだろう? そして、どうしてこんなにも美しいのだろう?」
そう声を漏らしてから、宙空を見上げた。予想通り、星々が月光に負けじと輝いている。そして、思った。無数の恒星も、大きさの差こそあれ、どれも太陽と同じような仕組みで核融合し、熱や光を放っている球体だ。その重力に引かれて、それぞれに幾つかの惑星がまわっていることだろう。そしてその恒星系は、どれも似たような形をした銀河の渦の中を回転している。そして銀河はいくつも密集して銀河団を構成し、銀河団は宇宙空間の中でフィラメント状に分布している。どこに行っても同じなのだ。
だとすると、宇宙に拡散している生命も、どれも似たような形だと考える方が自然じゃなかろうか? 秀作は、そのことに気がついた。数千億の恒星を抱えた数千億の銀河のあちこちに、我々人間と同じような形質の知的生命体が溢れている。そしてその多くが我々地球人と同じように、「宇宙の中で孤独だ」「唯一の知的生命体だ」と考えているに違いない。
そう気づくと、人間は非常に滑稽だ。秀作は、別の恒星系から訪問した異星人の視点に立って、人間社会を観察してみることにした。人間は、滑稽にも自分たちが唯一の知的生命体だと考えている。そして、この小さな地球という惑星で己の欲望を拡大させ、同じ人間を使役し利益を貪り、勝手に国民国家などという枠組みを作って、相互に殺し合っている。いまや、各国がその戦闘能力を最大に発揮したならば、一瞬にして人類はほぼ滅亡することだろう。そして、宇宙のあちこちで、地球と同じような自滅型欲望社会が生まれては消えていったことだろう。
しかし、百三十億年以上といわれる宇宙の歴史の中には、そんなエゴイズム社会を克服した、我々人間と似た形質の知的生命体もあちこちに存在したのではなかろうか? 彼らはどうやって、さらなる文明の発展を遂げたのだろう?
そこまで考えた時、ちょうど見つめていた半月にうっすらとした雲がかかった。ぼんやりと光が拡散している。
まさにこれだ! と、秀作は思った。霞を構成する無数の水滴が月光を遮って曇らせてしまった! これがいけないのだ。日本の社会は特に、たくさんの人間が集まっては合議して物事を決める。不特定多数の見解を反映するから、散漫な政策やアイデアになって霞んでしまうのだ。一人の人間が放った光、つまりは素晴らしい思想や政策を、誰にも邪魔されず明るいまま地上に届けることが最良なのではなかろうか。
自分の家族や友人を戦争で失いたい人はいない。にもかかわらず、国家は軍備を拡張して人殺しの準備に余念がない。なんと矛盾したことだろう。敵性国家の侵略から自衛するためなどと言っても、所詮兵器は効率良く人を殺すための道具にすぎない。そんなもの、敵性国家をなくして、その国家の軍備も放棄させてしまえば必要ないではないか。言うなれば、全世界の全国家に日本国憲法第九条を採用させれば済む話だ。
秀作は、持てる私財を全て投下して、居住する愛媛県第一区から無所属で衆議院議員に立候補することを決めた。人生において、己の意思で大きな決断をしたのはこれが初めてだった。
いよいよ、政見放送の時間だ。秀作は、一週間以上をかけて原稿を練り上げていた。第一声から、所信表明の骨子を口にする。
「秀作は、独裁者を目ざします! あらゆる検討事項や問題解決方法の最終決定権を秀作に集約する社会を実現します! 何年もかけて議論することはありません。理想に従い、即断即決で事態に対処していきます!」
番組撮影スタッフの数人から失笑が漏れている。視聴者の大半が、冒頭で拒絶反応を示したことだろう。
「まず、秀作は世界中のあらゆる国家に日本国憲法第九条を義務化し、全世界全国家の武装解除を目指します! さらに、石油や天然ガスといった環境破壊エネルギーの使用を世界中で十年以内に全面禁止いたします! もちろん、のちのちの世代にまで放射性物質という有害物質を残す原子力、つまりは核分裂エネネルギー利用も全廃します! 人間は、太陽光や風力、あるいは地熱や水力といった自然エネルギーを活用できる範囲内の経済活動にて生活をするべきです。不可能でしょうか? つい百年ほど前までそうだったというのに? 秀作は、自覚なくしかし着実に自滅の道を歩んでいる人類を、世界規模で救いたいのです! そのためには、世界中に志を同じくする独裁者が必要かもしれません。民意と人間の尊厳を何よりも大事にし、それだけを基準にして、理想論のまま突き進む独裁者になりたいのです。どうか、お力を貸してください!」
スタジオの失笑はやみ、静まり返っている。だれしもが考える理想論、しかしだれしもが幼稚だと考えて口にしない政策を、秀作が本気で訴えかけているからだ。
「そんなことをしたら経済が麻痺する。世界中に、失業者や餓死者が溢れるとお考えになるかもしれません。しかし、それはまやかしの言い分です! 私は、世界中の中央銀行と金融機関も廃止します! 国家の借金が膨大になったというニュースがよく出ますが、なぜでしょう? 中央銀行、日本では日本銀行がこれにあたりますが、それが貨幣発行権を握っているためです。だから、国家は借金をしないとマネーを獲得できない。ところがどうでしょう? 国家自体が貨幣を発行すれば、国家に借金など一円も生じないのです! いわば、現在の我々は、我々を苦しめるだけの経済システムを、無批判で下支えしているだけではありませんか! 私を共産主義者と決めつけないでください。人々の自由な経済活動と豊かな生活と平和のために、いびつな今の秩序を世界中から平和的に消去しようというだけの話です! そのために、私は独裁者を目指します!」
スタジオ内に、再び失笑が漏れた。他の候補者も、嘲りの笑顔を浮かべている。そんな壮大な夢物語を声高に叫ぶ政治家など存在しない。そんなことをしているのは、青二才の学生か野望を秘めた新興宗教の教祖くらいなものだ。
ところが、SNSの反応は違った。
「秀作、まじウケる」「独裁者、応援します!」「理想主義者、恥ずかしいけどいいんじゃない?」などなど、その政見放送の内容というよりも、彼自身のパフォーマンスが受けていた。もちろん、これまで特定政党に投票してきた固定票層からは総スカンだ。通常であれば、こんな支持率では当選するはずがない。ところが、浮動票や無党派層がほぼ秀作に流れた。彼の政見放送は、あっという間にSNSや動画サイトで勝手に拡散していった。松山市発で、日本国中、いや世界中でバズったのだ。開票の結果、僅差ではあるが秀作が衆議院議員の議席を獲得した。ネット上では、「♯独裁者誕生」が飛び交った。
秀作自身が、一番驚いた。自宅のベランダに座って中空を見上げると、月の姿はない。澄み渡った冬空に、無数の星々が煌めいているだけである。寒かった。秀作は、カップ麺でも食べようと思い、近所のコンビニまで行くことにした。徒歩にして、片道五分ほどの距離だ。
歩道を歩いてちょうどコンビニ前の駐車場あたりに差し掛かった時、暴走車が歩道に乗り上げて疾走し、秀作をノーブレーキで跳ねるとそのまま夜闇の中に消えていった。即死だった。
ニュースキャスターが、原稿を読み上げる。
「本日零時三十分頃、衆議院議員に初当選したばかりの橋本秀作さんが、ひき逃げ事故にあってお亡くなりになりました。犯人は依然逃走中で、足取りがつかめていません。愛媛県警は、全力をあげて捜査する方針を発表しています。なお、衆議院議員には現職候補が繰り上げ当選になるとのことです」




