4話ー敵対ー
ーグリテンリバー穢場ー
レイゼルは、カリンとニキビに木陰に隠れてるよう促し、穢場結界内に入った。入場後、先程まで追っていた不審な人物を探す。リクの後ろに引っ付いていた人物を見つけ、フードを深く被ったその者はリクを追わずに真っ直ぐバルバンテの元へ向かったのだ。
そしてバルバンテの敵対検知範囲に入り、殺意を向けて大剣を頭上に生成。身の丈に合わない大きさで、華奢な体躯で振るえる武器でない筈である。
バルバンテは敵対する。
バルバンテは"敵対者"へ身体を向け、畝る尻尾を槍の如く突き刺した。その者は大剣で尾を弾きながら前進し、正面へ距離を詰める。切先を突き出し、バルバンテの顔、"涙腺があるであろう箇所"を狙った。
切先は腕に弾かれ、バルバンテは空に向かって吠えた。その音圧は大地を揺さぶり、風圧に耐えかねたその者とレイゼルは大きく後退する。木々も共鳴し、結界に跳ね返った声がどこか虚しい響きに聞こえた。
立ち上がり大剣を構えた者の肩を掴み、レイゼルは振り向かせる。
「お前に心は無えのか!!」
「びっくりしたー!」
レイゼルの存在に気付いてなかったからか、その者は拍子抜けな声を上げる。びっくりした時に、深く被っていたフードが取れる。
紫色の髪を団子で結び、前髪の触覚が長く靡く。黄色の眼は、レイゼルの存在をしかと捉えた。
「バルバンテの叫び!あんな悲しそうな声してんだぞ!それでもまだ剣を握るか!?」
その者はキョトンとし、何言ってんだこいつと言いそうな表情のまま大剣を振り上げ構える。
「穢獣は討ってなんぼじゃろがい!」
その者もとい女は駆けた___つもりでいた。レイゼルが大剣の刃を摘み、動きを止めていたのだ。女は振り払おうと大剣に力を込める。しかし、びくともしない。並外れた握力を目の当たりにし、後方への対応が遅れる。
既にバルバンテが距離を詰めていた。
レイゼルは大剣を引き寄せ、体勢を崩した女を抱えて投げ飛ばす。即座にバルバンテへ身体を向け、突き放たれる尾を躱す。バルバンテは勢いを止めずに間合いに入り、両腕を引き寄せて構えた。
接近格闘術である。
レイゼルの2倍はある長身にも拘らず、繰り出す体術は素早い。殴る蹴るの単純な動きだが、龍燐の擦れる音と空気に擦れる音が圧を倍増させる。
存外、人間味のあるものだ。
レイゼルはその全てを見切り、手のひらで軌道をズラしたり、勢いを利用して立ち位置を入れ替えたりと躱し続けている。
「バルバンテ!話聞いてくれ!頼む!頼むから!」
レイゼルは穢獣に向き合おうと必死になっていた。
バルバンテは首を傾げた。しかし、それはレイゼルの言葉にではない。生命力の感じない不思議な男に、長年の戦闘の勘がバルバンテの本能にそうさせた。
バルバンテの口元に生命力の光背を利用した魔法陣が生成される。
「あっ!!」
そこから高威力の炎が放射されるまでは一瞬であった。炎はレイゼル含め、後方広範囲を火の海にする。
息を殺し、隙を狙っていた女の切先がバルバンテの顔付近に到達する。バルバンテは顔を少し上に向け、そのまま切先は頬を斬った。
「んだこいつ!!」
女は腹部に簡易結界を張る。とっさの判断ではこの魔法が限界であった。直後、バルバンテの尾が突き放たれ、女の腹部の結界を割る。
その勢いに乗せられ、森を穿ちながら木々を押し倒す。
「あーーー!!くそ!!」
立ち昇る砂煙の中で女は大剣を地面に突き刺し、吠えながら立ち上がった。
「見えてやがる!!」
百戦錬磨の穢獣バルバンテには、攻撃の所作が見えていた。
女の大剣の鍔付近に魔法陣が生成される。切先をバルバンテに向け、腰を落として構えた。
【氷雷メデレス 気雷氷々(きらいひょうひょう)】
瞬間、大剣の刀身に白く青い雷が程走り、女は大剣を突き刺す所作をする。前方広範囲に稲妻の如く大氷が瞬時に生成され、冷気は森全体に広がった。
女は肌に霜を纏い、冷気に似た息を吐く。
人では到底砕くことのできない頑丈な氷塊。しかし、冷気にはバルバンテの体内を凍らす時間は無かった。口内に含んだ炎の熱で氷の内側は溶け始める。
バルバンテが氷を割ろうとしたと同時。
上空に無数の魔法陣が生成された。その全ての剣の切先がバルバンテへ向けられる。剣の柄先だけが突き出た魔法陣があり、その柄先にクァズノームはしゃがんで乗り留まる。リクの追跡を振り切ったのだ。
氷塊の左斜め後方、先程まで燃えていた森が冷気で冷やされ煙を上げている場所。その煙が円形に退き、重い音が響く。
音のした方を振り向くクァズノーム。しかし、既にレイゼルはクァズノームの腹部に拳を突き立てていた。
生命力は生命の発する力であり、生きていれば誰しもがそこに存在していることを告げる情報を発信する。呼吸、筋肉、温度、視線、思考、言語。戦士達はその微弱な情報の流れを汲み、位置を特定するに至る。
しかし"生命力の無い者"や、稀な探知不可の生命力に限り、例外となる。
クァズノームは、16年前の"巡礼者の死神"との対戦で"生命力の無い者"の存在を認識している。そしてそれは、心身共に大きな傷を生む結果となった。
傷心した記憶が蘇る。
レイゼルはクァズノームを殴り飛ばし、背中で結界に衝突する。空中の魔法陣は光粉となって消えた。
「あの炎を間近で喰らって無傷かよ」
まだ白い息を吐く女は、レイゼルの服すらも燃えていない違和感に驚いていた。
「やはり、あいつはリオルドランか」
女は背後の気配に気付く。
「知ってどうする」
リクは両手に片刃の小斧を握り、女を警戒する。
「いやさ、武力の噂が独り歩きしてんじゃないかなって思ってたから、無傷はおかしいって話で___」
「お前"ヌルビアガ"か」
リクの言葉に、女の耳はピクと動く。
女は黙ってはいるが、否定もしない。
「当たった〜」
リクは平然を装ってはいるが、この瞬間に極度の緊張が走っていた。
穢獣解放思想のリオルドラン。その組織は9人という少人数ながら絶大な武力により名を上げ、世界に認知されるものとなった。
その組織故に、敵対する組織もまた多数存在する。穢獣の生命力を持つことは、国にとって大きな意味となる。人間離れした力は戦力として国に貢献し、国家武力の底上げと共に領土の拡大に繋がる。穢獣の解放とは、国の力を削ぐことに直結しており、国としてリオルドランの行為は許されるものではないのだ。
しかし、真逆の組織も存在する。
【穢獣殲滅のヌルビアガ】
野良の穢獣、生命力を付与された人間を殺し、顕現した穢獣をも討つ。
そして武力を溜め、この世界において"禁忌を目的"とする危険組織。
リオルドランと同様の9名。
絶大な武力を持ち、実力共にリオルドランの宿敵組織と言える。
リクが女をヌルビアガと仮定したのにはいくつか理由があった。
経緯。シームリバー町中で漢メスローデが殺された瞬間、リクは女の左近くに居た。ほぼ同タイミング、むしろ女の方が早くグリテンリバー穢場の方を向いた。駆け出しはリクが先であったが、女はピタリと後ろを着いて来る。生命力によって筋力が跳ね上がったリクの脚力にピタリと着くことは容易なことではない。しかし、女は消えかけの剣の鞘の少ない足場を蹴って可能にした。
その時点で、並外れた生命力の持ち主であると断定した。そしてその断定をより確固たるものにした氷塊。"魔術師"という職が存在する上で、ごく一般人も学べば魔法は扱える。一般人が氷を生成する場合、いくつもの手順をふまなければならない。空気中の水分を凍らす温度の設定、温度操作範囲、氷の硬度や密度、凍らす速度、保温効果など、目が回る程に思考し生命力を捻り出さなければならない。
しかし、女のように穢獣の生命力がある場合、面倒な手順を踏まずともイメージできてしまう。そのイメージを可能にするだけの生命力を持っているからこそ、実現される魔法。規格外の氷塊に加え、穢獣バルバンテが数秒かけて壊すであろう硬度、森全体に流れる冷気、そして驚いたのが生成速度。瞬き一つの間に、見事造り上げた。
"リクの思考"で至る選択肢で、女がヌルビアガであることが1番に危惧していたこと。
そして、ヌルビアガである女が"リオルドランを見つける"ことは大きな意味となる。
冷気を纏い、黄金にも見える眼、無言で見据える姿に、リクは悪寒が走るのだ。
「え、ラッキーじゃん。お前もリオルドラン?」
感情の乗らない言葉に、リクの瞳孔は思わず動く。
「当たった〜」
女は昂っていた。
「ヨデン・グルーゼス。あんたらを見つけた、戦士の名前だよ」
尖った犬歯が目立つ笑顔で、感情を露わにして笑う。
バルバンテが氷塊を砕こうとする音が地に響く。
クァズノームは腹部に受けた衝撃に呼吸を乱されていたが、レイゼルから目を離さずに居た。生命力の無い者を見失えば、それこそ命取りになる。そのことを彼が一番理解している。
レイゼルは森に着地した。木々の間から不自然に動く気配だけを頼りに、クァズノームも森上空に生成した柄に着地する。
「まだだな」
クァズノームは氷塊の中で暴れるバルバンテの生命力を感じ取り、数十秒は砕かれないことを察知する。
腹部に残る痛みを分散するように深呼吸した。
森を爆走するレイゼルを目で追い、そして眼光はクァズノームを捉える。同時に下方向へ剣を射出し、その勢いに乗り急降下する。
クァズノームは試したいことがあったのだ。
レイゼルもそれに反応し、真っ向に飛び上がる。突き出した拳と拳がぶつかり、その振動で空気が揺れ、まるで宙がヒビ割れたと錯覚させる。
下方向に更に加速したクァズノームが勝り、共に地面を砕いて止まる。
「"生命力が無い"訳ではないんだな」
砕けた地面から立ち上がり、同じ体勢のレイゼルを見据える。
クァズノームの生命力探知能力は卓越している。自身の周囲の生命力であれば、微細なものまで感じ取る。そのクァズノームですら、感じ取れない。ならば、直に触れてみてはどうだろうと。武器を持たず、生きた身体でなら生命力を感じれるのではないか。
「お前の血肉には、生き物としての生命力が流れている」
レイゼルも呼吸するのだ。
「探知不可穢獣の巡礼者か」
しかし脳裏には、巡礼者の死神との関係も捨てきれずにいる。
「長く生きたが、これまで不気味に思ったことは無い。"お前ら"は、何者だ」
レイゼルは肩を上げ、ヘンテコな顔をする。
「知らない方が良いこともあるんだぜ爺さん」
右拳を脱力させて揺らし、いてぇ〜と呟く。
そして、生命力の探知に優れた2人は気付く。
氷塊に覆われていた、強大な生命力に。
歪な氷塊に乱反射するバルバンテ。口元には三重の魔法陣が生成され、左右交互に廻る。
クァズノームとレイゼルの予想した数十秒というのは、バルバンテが氷塊を砕く生命力を溜めきる時間のことであった。
しかし、その予想を遥かに上回る出力の可能性を感じる。
「ちょっと、やばいんじゃね?」
レイゼルはチラとクァズノームを見やった。
氷塊の中心の光が乱反射する。
それを目で捉えたこと、それは既に熱線が射出されたということになる。
【炎尾バルバンテ 焦熱気線】
その熱線は2人を焼き、そのまま森を焼く。
熱線の通った場所は赫く爛れ、遅れて蒸気が吹き上がる。
熱線は結界をも爛れさせた。バルバンテはその場で廻り、グリテンリバー穢場の結界は完全崩壊となる。熱線は徐々に細くなり、黒煙へと変わる。
バルバンテは浮く。森を覆う煙から抜け、砕けた結界から入る空気を吸うように周囲を見た。
熱線による温度の上昇により、陽炎は揺れる。
燃える森から、1人の男が立ち上がる。
バルバンテの炎に焼かれ、タキシードは破れる。筋肉質な上裸のその皮膚には、数え切れない古傷の跡が残る。
しかし、これは敵に受けた傷ではないのだ。
"剣を生成する魔法"を扱いこなすまでに経た壮絶な努力と、そしてその鍛錬にて受けた傷。
その傷こそ、魔法の感覚を掴むに値する証拠である。
クァズノーム・シンフィジント___。
浮くバルバンテは、地上のその男の右手が放つ生命力を感じ、見据え警戒する。
右手に二重魔法陣。そして掴む。
【封剣 縫改】
記憶したものを思い出して紙に描き起こすことはできても、それを細部まで完璧に再現することはほぼ不可能である。それを生命力により実体化させ、細部まで再現した得物。
宝剣縫改の完全模倣剣。クァズノームの成し得る神業。
穢獣バルバンテ。
戦況は終局に向かい始める。