3話ー緊迫ー
ーシームリバー町中ー
町中に突如噴き上がった炎を見て、例の男の周りに多くの人が集まっていた。
その男は"我こそはリオルドラン"と名乗りを上げ、自身の引いてきた荷車の上で皆の視線を集めている。
遠くから笛を鳴らして駆け寄る3人の憲兵。
「おい巡礼者!そこから降りろ!」
男は巡礼者という言葉に眉をひん曲げる。
「巡礼者ぁ!?我こそはリオルドランだぞ!」
「そんな訳あるか!本物なら出しゃばったりしねえぞ!」
「いいや本物だ!!つい4日前にリオルドランに加入したばかりだからな!」
レイゼルは周囲を警戒した。カリンは男の腕を見やり、熱くないのかなぁと言葉を溢す。
「そんな情報は無い!ならば名前を言ってみろ!」
男は再度、肥大した右腕を天に突き上げた。
「我こそはリオルドラン!」
男に、擦り込んだ奴が居る。
「穢獣バルバンテを討ちし漢!」
レイゼルは小声で、まずいと焦りを見せた。
「メスローデ・アギリ___」
名乗る途中。
男の顔の中央にすっぽりと穴が空いた。
レイゼルと、男の近くに居た男、そして"他数名"が同一方向を見やる。
"特定指定穢獣"。
顕現が確認されてから10年以上、誰にも討たれずにいる穢獣。
その理由。
他を寄せ付けない圧倒的な強さ。
または、干渉不可。
または、封印されているか。
これに該当する穢獣は、区別する為に名前が付けられる。
穢獣バルバンテ。
数名が向いた先の山向こうで、地上から空に炎が突き刺した。その威力に雲は円形に退き、可視化される衝撃波が町を揺らす。
特定指定穢獣の顕現。
昔、グリテンの山に顕現したバルバンテ。その生命力を我が物にしようと多くの人が駆け寄り、敵対化。山を焼き、地を焼き、人を焼いた。死んだ人から生命力が流れ出る。多くの命が落ちた山頂一帯に生命力は蔓延し、バルバンテの溢れ出る生命力が加わり、その場所は穢場となった。多量の生命力が漂い、草木が芽生え、一輪の花を咲かす。
猛き者達が束になって敵わなかった穢獣。
それが討たれたのは、ここ数年のことだ。
他の穢獣の生命力を付与された巡礼者が魔法を駆使し、強制的に討伐。
たった今顕現したのは、過去に猛威を振るったバルバンテに加え、漢メスローデの所持していた穢獣3体の融合体である。
故に、それを穢場の主と理解した数名が、グリテンリバー穢場の方向を見やったのだ。
その数名は同時に飛び出した。レイゼルはカリンを背負い、少し遅れて駆けた。カリンを護衛する手前、1人にする訳にはいかない。
バルバンテはまだ敵対化していない。しかし、1人でも敵意を向けた瞬間、動く災害は牙を向く。
"リオルドラン"は穢獣を護り、敵対した場合は人の命を護らねばならない。故に、誰よりも駆ける。
加え、別の理由によりクァズノームも駆ける。追うように男、またそれを追う者が居る。その後ろにレイゼル。レイゼルより遅れて数名が駆ける。
「リクー!!その前の男より先に行けー!何がなんでも!!」
生命力の光背を利用した魔法陣から剣の柄を出し、それを足場に空中を駆けるクァズノーム。その柄が引っ込む前に後の男も空中を駆ける。そのクァズノームを追う男に向かってレイゼルは叫んでいた。
リクと呼ばれた、坊主に交差する剃り込みの入った男は分かってんだよ!と声を荒げ、追い抜こうと力んでいた。
カリンを背負いながら山を爆走するレイゼル。その耳元で、カリンが呟いた。
「また死んだね、人」
空色の髪を靡かせ、突風に遮られながらも、その言葉はレイゼルに届く。
何も言えなかった。
助けられた命であったのは間違いない。しかし、見捨てたに近いのだ。
レイゼルは、壊れる程に理解していた。
幾度となく訪れる決断の時。身が削ぎ潰されそうなプレッシャーを、ほんの一瞬で判断しなければいけない。
"リオルドラン"とは、背負った者たちなのだ。
「助けられんくて、ごめん」
カリンも深くは触れない。昨日出会ったばかりだが、レイゼルの想いを感じていた。深く呼吸して、続ける。
「バルバンテのこと、本に書いてあったんだけどさ」
レイゼルは走りながら、カリンの言葉を溢さないように脳に焼き付けた。
ーグリテンリバー穢場ー
穢獣バルバンテの顕現により山は大きく窪み、その周辺の草木は焦げていた。
長身の男の倍の身長。2足歩行人型、龍鱗の鎧を纏ったような容姿に、龍の長い尾が腰から生える。尾には鋸の刃みたく鱗が逆立つ。人狼が悲痛に大口を開けたような顔に、耳横から巨大なクワガタのハサミのようなツノが突き出る。
尻尾がただ畝り、敵対してないバルバンテはその場に不気味に佇む。
穢場に近い観光地のグリテンリバーでは憲兵がラッパを吹いて避難誘導している。
前日に地主トーデンが死亡した報告を受け、ヨロレイヒ湖国の本軍が調査に到着した直後だった。
指揮を取るは調査団長ケメィ・シユジール。若干の帰りたさを心に押し込めて、強気に号令を掛ける。
「グリテンリバー穢場に出陣する!」
丁度向かうところではあった。だからこそ、少し早くあそこに居たらと思うと、ケメィは身震いするのである。
騎馬が2騎先に行き、グリテンリバー穢場の開門の準備をする。緊急事態だが、穢場ではよくある事。大きな生命力を持つ人が寿命や病気で死期が近い場合や戦争が起こった時など、該当穢場は警戒体制に入る。しかし、今回は急だった為に対応が遅れたのだ。
ヨロレイヒ湖国本軍調査団の入場後、閉門。
門にも結界を下ろし、穢場を断絶する。特定指定穢獣の顕現の際、その穢場は閉鎖される。閉鎖期間に巡礼日が来た者は申請の後、拘束され視覚聴覚嗅覚を遮断した状態で連行され巡礼を遂行する。
ケメィは最悪の事態、穢獣バルバンテの顕現を危惧していた。声には出さないが、頼む頼む頼む頼むと唇は動く。
立ち昇る煙。焦げた匂い。
ただ立つ威圧。
ケメィの鼓動は早まる。
「穢獣バルバンテの顕現を確認」
目視にて敵対化してないことを確認し、軍は踵を返す___。
ーグリテンリバー穢場付近ー
クァズノームの視界は穢場を捉えた。
真後ろに着いて来る男を振り切る為、クァズノームは次の剣の生成を真上にした。後ろの男は焦りの叫びを漏らす。しかし、変わらずに着いて来る。並の反射神経ではないことを悟る。
「仕方ない」
穢場の結界に切先を向ける形で剣を生成して射出する。クァズノームはその剣の柄先に向かって飛び、思い切り蹴る。切先は結界に触れ、波紋を広げる。クァズノームは全体重を柄先に乗せて生命力を流す。切先は結界へ沈み、柄先を更に蹴る。その衝撃で結界は8方向に割れる。
クァズノームは柄先を蹴り、浮いた身体を反転させ、信じて着いて来た男を更に踏み台に蹴り、穢場の中に入場する。
___踵を返したばかりのケメィは、その違和感にすぐに気付く。視界の端の結界が、普段に無い波紋を見せ、割れる音がしたのだから。
その瞬間、タキシード姿の男をケメィは見逃さなかった。右胸に見えた、微かな紋章の色。
「ラスティオン……?」
入場した直後、クァズノームもケメィ達の軍を発見する。顕現からこんな直ぐに、本軍が居るなぞ思わなんだ。
ケメィは、ラスティオン帝国の登場によって、バルバンテ顕現が仕込まれたものだと断定する。
タキシード姿となれば軍ではない。侵入者単独の犯行か。グリテン山頂の開けた場所から、眼下に広がる森林。遠くに落ちた男を警戒し、ケメィは臨戦態勢に移る。
ケメィはクァズノームの生命力を辿り駆ける。木々の間から緑の陽が差す、少しばかり開けた場所にて待ち受ける。
「ヨロレイヒ湖国本軍調査団長ケメィ・シユジールだ!ラスティオンの者!名乗り出ろ!さもなくば国の意思と見做す!」
穢場への不法侵入は略奪を意味する。
木々を蹴って移動していたタキシードの男は地面を打ち、対峙する。
「ラスティオン帝国、ステルターニ家の執事をしている」
杖を付いた男からは、まるで執事とは思えぬ威圧がある。
「クァズノーム・シンフィジント」
クァズノームもまた、国に迷惑をかける訳にはいかない。
「クァズノーム……?」
50は超えてるであろう執事。30を過ぎたばかりのケメィですら、その名前に聞き覚えがある。
「鬼神……」
ラスティオン帝国。16年前のスムウェルの大惨事を境に前線から降りた軍の鬼神。
ケメィは右腕を少し引き、手を開く。
光粉が弾かれ、その手には身長の2倍はあろう大槍が握られる。
「ラスティオンの鬼神が、完全閉門した穢場へ如何なる用で?」
「既に鬼神ではない」
ケメィは緊張する。
「今は、別の使命があってな」
クァズノームは杖の鞘から抜刀する。と、同時に背後に生成した魔法陣から剣を速射する。
抜刀に気を取られていたケメィだが、大槍の柄で弾いた。弾く為に動かした勢いを利用して柄先を地面に突き立て、身体を持ち上げる。重心が上方向にある時に大槍を持ち上げ、柄先付近を握ることで攻撃範囲を広げ、切先を叩きつける。
クァズノームは足の裏に生成した剣の射出を利用して避け、そのまま射出した剣を握る。再度足の裏に剣を射出させ、空中のケメィへ距離を詰める。
【膜包!】
ケメィは生命力を膜状にして放出する。クァズノームの剣を遮るクッションとなるが、剣は構いなく斬り裂く。しかし、その膜は生命力を纏ったクァズノーム自身は押し返すのだ。
ケメィとクァズノームは地面に着地。再度構え直す。
「物理には弱くてね」
「良い反射神経だ」
互い、気を遣い戦っている。
穢獣バルバンテを視界に入れず、検知範囲の外で攻撃をしなければいけない。ケメィはその範囲のギリギリに陣取った。彼もまた賭けなのだ。
本来クァズノームは、星のように空に剣を生成させ、敵を蹂躙する戦法を得意とする。今それをやってしまえば、バルバンテを敵対化しかねない。
やりずらい状況に、相手の動きを見る後手の立ち合いとなる。
突如、クァズノームは右方向を警戒した。直後、左腕で顔を防ぐ。その腕へ威力が飛翔する。クァズノームの身体は威力に乗せられ、木々を抉りながら転がる。
レイゼルにリクと呼ばれた男の飛び蹴りだった。
「防衛ありがとうございます!」
リクはケメィに言うと、颯爽とクァズノームを追いかけた。ケメィの脳内に様々な憶測が巡る。瞬間的に、リクを追う。
「木で死角が多いんで、マジ気を付けてください」
リクの忠告の直後、横方向から木を貫いて剣が飛翔する。
「避けないで!」
ケメィはその言葉を聞きながら動き、柄で剣を弾く。直後、屈んで避けていた場合に頭が位置した場所に剣が飛翔する。リクは速度を調整して剣の位置からズレていた。
「上の剣は直視しないで!魔法陣の生命力と感覚だけを頼りに動いてください!」
助言のお陰で、やっと上空に生成された剣の存在に気付く。
「私は戻って態勢を整えます」
ケメィは直感する。自分の居る領域の戦いではないと。
一国の、穢場の調査団長に任命される程の男。並以上の実戦を経験している。しかし、それだけでは無い、むしろそれ以上のセンスが自身には欠けていると悟った。
「お願いします!俺の後ろにもいくつか気配あったんで、"穴"から入ってくるかもしれません!」
リクは速度を更に上げ、木々の間に消えていく。
ケメィは背筋に悪寒が直走る。
結界の穴から、"誰も入って来ない訳ではない"と。むしろ、剃り込みの男がそこに居た時点で気付くべきだったのだ。
上空から前方に向かって剣が降るのを確認し、同方向で激しく剣のぶつかる音が響く。
自分の優先すべきことの判断が目紛しく押し寄せる。
「ふざけんじゃねえ!!」
真後ろから響く声。
ケメィは自然な流れで声の方を見やる。通り過ぎる、赤髪の男。声がするまで、気が付かなかった。
そして微かに感じる、また別の気配。
その気配が、悪寒の正体であった。
立つこの場所が揺れる。
心臓を鷲掴む、大地の音。
耳を劈く破裂音。
穢獣バルバンテの敵対化である。