2話ー偶然ー
ーグリテンリバー穢場 帰路ー
カリンは、傾きかけの空が映す木漏れ日を見ながら耽っていた。
初めて目にした桜。
そして、生命力を付与された者の最期。
穢獣の最期。
レイゼルという男の謎もまた、カリンの頭を巡る。たった数時間の出来事が、何もかもを大きく変えたのだ。
2人はしばらく風に揺れる葉の音を聴き、ゆっくりと歩いた。ニキビも浮きながら着いて来ている。
カリンは理解の追い付くよう1つ1つ、丁寧に質問した。
「レイゼルはさ、どうして私をここに連れて来たの?」
グリテンリバー城下町の道の真ん中で地主が気を失った瞬間、レイゼルだけ逃げて穢場に行けた筈。なのに、レイゼルはわざわざカリンの腕を引いて共に来たのだ。
「うーん……。穢獣の本読んでたし、実際に見せてあげようかなって」
レイゼルは言葉を慎重に選んでいた。
「滅多に目にするもんでもないじゃん?ましてや、穢獣が顕現する瞬間とかさ」
そうだけどさと納得いかずに口を尖らせるカリン。
そしてふと、思い出す。
「てかさ!私が読んでた本、古代文字だよ!?どうしてレイゼルも読めるの!?私と歳変わらないくらいだよね!」
ある程度学びが無いと、そもそも存在を知ることすらない古代文字。それをレイゼルは、隣に座ってパッと本に目を落としただけで読み、穢獣の内容が書かれていると理解したのだ。
「育ててくれた爺ちゃんに教わってさ、そっから何だかんだ覚えてるんだよね!でもカリンみたくスラスラ〜って読めないけど」
懐かしいな爺ちゃんとレイゼルは呟いてから、ふと疑問をぶつける。
「そういえば、アルルカリア学院て古代文字もダメだよね?あ!穢獣もダメじゃん!てか!穢獣の古代文字の本なんて大書庫に封印されてんじゃなかったっけ!?カリン!?やったな!?」
「いやーーーーー??」
カリンはおちょぼ口で目を逸らす。
「盗んだナッ!」
今まで静かにしていたニキビが急に口を開く。
「あー盗んじゃったかー」
レイゼルはニヤニヤしながらカリンを見やる。
「お願い!内緒にしといて!」
「盗んで〜こんな遠くまで逃げてきたわけですな〜」
カリンは目の光を揺らし、心の底から懇願していた。
「……ま、学院から追われる覚悟でその本の内容を知りたかったんだよな!どう?面白い?」
「めっっっちゃ面白い!!知らないことだらけ!読めて幸せ!!本当お願いだから、学院に突き出したりしないでよ!?」
しないしないと言いながらレイゼルはしゃがみ、カリンを背負おうとする。穢場を隔てる壁へ到達したのだ。し、失礼しますと、謙虚に背負われる。
穢場は誰しもが入れる訳ではない。所有するそれぞれの国が管理し、巡礼者は巡礼申請書を予め提出した後、門から正式に入場するのが流れである。穢場をぐるりと囲む壁。壁に沿って結界魔法が張られ、その座標の上空であっても通り抜けられない筈なのだ。
カリンは入場の時もこれに驚き、退場する際も結界が無いと錯覚する程するりと抜け、また驚く。
不法侵入だよね。と思う。
穢場をシレッと抜け、何も無かったかのように林道を歩き出す。
「カリンはまだこの町に居る?俺明日山向こうの町に居る仲間と合流するんだけどさ」
カリンはしばらく声が出なかった。
「リオルドランの仲間!?」
「うん!来る?てか、来てもらうよ」
「え?……うん?ん?」
「俺そう言えば、カリンの護衛任されてんだよね」
つい先程言おうか渋っていたが、隠していても疲れるなあと思ったのだ。
「護衛!?」
口にしてから、思い当たることがあると気付く。
「うん、護衛。自然な形でカリンに接触してって言われて、結構頑張った」
「いや、かなり強引な気がするけど」
カリンは溜息をついてから前を向く。
「誰からの依頼?」
「アルルカリア女王だよ!」
カリンは唇に空気を当て音を出して震わす。
「分かった。レイゼルと一緒に隣町行く」
___グリテンリバーの町に入る。
昼にあれだけの騒動があった為に、町は忙しない。
しかし、誰がレイゼルを見ても騒がない。
ただ容姿の整った身長のある赤髪の男が通ったとしか認識していない。
ニキビも変わらず浮いているが、周りからは見えていないようだ。
明日の集合時間と場所を決め、互いに宿へ戻る。
レイゼルはまた、宿探しを始めた。
ー翌日ー
早朝から馬車に揺られること4時間。
峠道の所々で休憩を挟む。
「お尻が割れるぅ……」
敷物はあるが、木の硬さが尾骨に響いたカリン。
「ケツは2つに割れてるもんだろ」
レイゼルの真顔が余計にカリンを痛くさせる。
山と山の間にある小さな町シームリバーに到着する。
シームリバーは大きな街と街を行き来する中間にあるため、旅の寄り道処として割と栄えている。
2人と1匹は御者と馬さんに一礼し、町へと足を踏み入れる。
偶然が重なる。
ごく稀に起こる。
違う人生を歩んでいる者達が、丁度同じタイミングで集まる偶然___。
「まだ時間あるから、飯でも食おう!」
シームリバー酒場。昼は食事処として営業している。グリテンの山で採れた新鮮な山菜と、牧場と直接契約してるグリテン牛の肉が絶品の店だ。
木で造られた店で、所々に緑が散りばめられており、自然光が差し込む内装に弦楽器の陽気な音楽が気分を弾ませる。
レイゼルは分厚いステーキ。カリンも分厚いステーキを注文した。
網目状の焦げ目が付いた肉から溢れ出る肉汁に、鉄板皿からあがる旨さを凝縮した湯気でカリンはほぼ白目になる。
うめえ、美味しいと感動を口に手が止まらない2人。
そんな2人をよそに、食事処は騒ついた。
脅威に怯えてる訳ではない。皆驚き、どうしたら良いか戸惑っている。
気にもせず肉を頬張っていたレイゼルは、食事処入口からの殺気を感じ取り、肉を口に運ぶ途中の体勢で振り返った。
「ぐおぉっ!?」
レイゼルの肘が"真横に立っていた男"に当たり、その男は前屈みで悶絶していた。
「ごめ___」
殺気を放っていた男の剣先がレイゼルの首に触れる寸前だった。
「いや僕のせいだ!ごめん!僕が近づきすぎた!」
男は、剣先を向ける男の腕を下ろして顔を上げる。肉を頬張るカリンと目が合い、視線を動かしてレイゼルと目を合わせ会釈する。
「君、やっぱり生命力無いの?真横まで来たのに感じれなかったよ」
「俺も、肘が当たるまで気付かなかった」
「店に入った瞬間から変な感じしたんだよ〜。まさか僕以外にも"生命力無い"人が居るなんてね」
男に差し出された手を見てレイゼルは立ち上がり、その手を握った。男は右手中指に3カラット程のダイヤモンドの指輪を嵌めている。
「僕はハドア・ステルターニ。ここで出会ったのも運命だよね」
カリンは目をかっ開く。
レイゼルは殺気を放つ男をチラと見て、再度ハドアの目を見た。
「レイゼル・スターレインだ。よろしくね」
レイゼルは警戒しながら視線を移す。
「ところでさ」
そう言った直後に、カリンはレイゼルの肩を突いた。
口に入ってる肉を飲み込んでから、レイゼルの耳元で囁く。
「ラスティオン帝国の御方だよレイゼル」
よく見れば、ハドアは肌触りの良い黒生地のジャケットを羽織り、身なりも整っていた。
その左胸に、大帝国ラスティオンを象徴する凛花の紋章が刺繍されていた。
殺気を放つ男はタキシード。執事だろう。杖から抜刀する様はそこらの軍人を凌駕する動きだった。
「店に迷惑かかるからさ、良い国のお偉いさんだとしても場を弁えようぜ」
レイゼルは剥き出しの剣を睨む。
「ごめんねレイゼル。彼は退役軍人でね、癖が抜けないんだ」
「俺、あんたに何かしたかな。俺に恨みでもある?」
剣を納めようとしない執事。
「生命力を感知できない人間に会ったことがある」
構えたまま、執事はレイゼルを睨む。
「それはまるで、岩と対峙するように不気味でな。転がってしまえば見失う、そんな感覚になるものだ」
ハドアは隣でごめんね〜と手を合わせる。
「過去、"巡礼者の死神"がそれに該当する」
世代ではないカリンとレイゼルも、聞き慣れた名前に瞳孔が動く。
「そしてハドア様も。ハドア様は産まれた時から生命力が無く、私は執事として身を御守りすることを誓った」
ハドアは照れくさそうに後頭部を触る。
「そして……レイゼルと言ったな。お前が3人目だ。"巡礼者の死神"とどんな関係がある」
レイゼルは執事から目を離さなかった。
「巡礼者の死神なんて話でしか聞いたことないよ。どうすれば証明できる?」
「いいよいいよクァズノーム、レイゼルもきっと僕と同じなんだよ!」
クァズノームと呼ばれた執事は納得いかない表情でハドアを見た。
「生命力が無くて、巡礼者の死神と関係ないのは僕が証明さ!それだけじゃ奴と結びつけられないよ!」
ハドア様がそう仰るのならと剣を鞘に納め、杖として地面に突く。
「急にごめんね!生命力無い人なんて僕以外にも居るんだ〜って思ったら近寄っちゃったよ」
クァズノームは先程とは別人かのように穏やかにレイゼルを見やる。
「僕たちはこれからアルパースランドに入国するんだ。君たちの目的地はどこだい?」
今レイゼル達が居る場所はヨロレイヒ湖国グリテン地方シームリバー。隣国にして4大穢場を保有する超大国アルパースランド。ヨロレイヒ湖国はアルパースランドの傘下国となる。
「お!奇遇!俺たちも用事を済ませたらアルパースランドに向かおうと思ってるんだ」
カリンは、えっそうなの?と目を丸くする。
「それじゃあ、また会うかもね!この出会いだって奇跡に近いんだから、僕らはきっと___」
「行きましょうハドア様」
ハドア一行がテイクアウトした商品が出来上がり、入口に居る他の執事に品物が手渡される。
「それじゃあ!またアルパースランドで!」
笑顔で手を振るハドア。
店を出る最後まで、クァズノームはレイゼルに動きが無いか警戒していた。
レイゼルは一息つく。
「厄介なのに目つけられちゃったね」
「怖い奴ダッ」
テーブルに座るニキビが呟く。
カリンは、ニキビに視線を落としちゃいけないと感じ取り、只管に肉を口に運んではハドアとクァズノームを交互に見やっていたのだ。糸が切れたようにニキビを見て表情が緩む。
「カリン、数日のうちに俺らに寄って来る強そうな人が居たら、多分クァズノームの差し金だから刺激しちゃダメだよ」
レイゼルは肉を口に運んでいるが、味わっているのか否か、一点を見つめ考え込んでいるように見える。
ご馳走様でしたと手を合わせ、テーブルに体重を乗せて頬杖をつく。
「ああ〜下手に動けなくなった〜」
数分のあの対峙で、レイゼルはクァズノームを大きく警戒した。
「お友達とは合流するの?」
「……そうだね、色々話さなきゃ」
手洗いついでに勘定を済ませていたレイゼルの鞄にカリンは金貨をそっと入れ、2人は店を後にした。
食ったー!と両手を広げるレイゼル。カリンもお腹を叩いて、ご馳走様レイゼルー!と笑顔を見せた。
青空の海に白い羊雲が泳ぐ。
標高の高いこの場所に、涼しい風が吹く。
「さてと___」
レイゼルが動き出そうとした時。
連なる木の建物の屋根の上の奥、噴き上がる炎が周囲を照らし、その熱が2人の頬を掠める。カリンは思わず目を窄める。
建物の間の道を抜け、比較的大きな通りに出る。
大きく肥大し異形となった右腕を天に突き上げ、恐らくそこから炎を噴き出したのだろう。腕から煙が滲み出ている。
大柄な男は上裸。入れ墨が肥大化半身を埋め尽くし、額は血管が浮き上がる。黒の長髪は後ろで結われている。
「我こそはリオルドラン!!東の地の戦乱を駆け抜けた英雄よ!!偉大なる我を祝福せよ!!」
騒ぎで人が外に集まり、リオルドランと名乗ったことに騒つき始める。
カリンはレイゼルの肩をツンツンした。
「まさか、アレがお友達??」
レイゼルは唇をへの字にした。
「ぜんぜん誰」
噴き上げた炎が、この町に居る者が集まってしまう目印となる。