0話ープロローグー
___巡礼。
5年に1度、穢獣の生命力を付与された者が、世界の各箇所に鎮座する穢場へ赴いて祈る。
祈らねばならない。
祈らねば。
ーアルルカリア隣国 スムウェル南部ー
世界4大穢場の隣に位置するスムウェル穢場は中規模でありながら、名だたる強将の祈り場である。
祈りを実行する場合、当事者は両手を合わせて目を瞑り、その場で10秒、何がし声を出さず静止する必要がある。その当事者を取り囲むように護衛が並び、無防備の瞬間を守る。
この日スムウェル穢場を巡礼するのは、かのラスティオン帝国伯爵の護衛隊長である。
ラスティオン帝国は、護衛隊長が巡礼するたった10秒の為に、軍の大半を出陣させたのだ。
総指揮を務めるのはクァズノーム・シンフィジント。任務を遂行するに値する軍人。
クァズノームの生真面目さに加え、鬼の如く戦場を駆ける姿は国中で反響が良く、国民の納得する人選だった。
【座祈水晶】
クァズノームが唱える。護衛隊長を囲む半透明の膜が生成される。
クァズノームの隣にポツリと立つ少女。左腕にのみ鎧を纏い、それ以外は布のワンピースとかなり軽装。背中まで伸びる銀髪、腰には鞘に収まる湾曲した刀をぶら下げていた。その少女は身の丈に合わない大旗を地面に突き刺した。大帝国ラスティオンを象徴する凛花の花弁が記された王家紋章が、夕暮れに照らされる。
標高の高いこの場所からはスムウェルの街が見下ろせる。街は明かりを灯し始め、巡礼を終えた一行を迎える準備をしていた。
緊迫する空気。
護衛隊長は手を合わせ、目を瞑る。
草を揺らす風の音のみが流れる。
静かな___。
「ちょっと横失礼っ」
場が埋まる程の大軍の端、そこで厳戒態勢を知らせる信号弾が発射されていた。
黒の鎧からボロ布が垂れた男の存在は、洗練された兵士達ですら目に捉えてからでしか把握できなかった。
歴戦を制したクァズノームも然り。反射的に剣を振るう。しかし、その切先は男に届かない。
生命力で構築された他者の侵入を許さない筈の座祈水晶を、男はするりと通り抜けた。
祈り開始から5秒の出来事。
護衛隊長の首は胴から離れ、宙に舞っていた。
死を認めずに瞬きした頭部の頭上に顕現した穢獣を見上げる兵士達。顔は"犬系統"身体は人型。4体が各方角に背中合わせで向き、その背中が合わさり1つの身体となっている。4方向の両手で剣を天に向けて握り、胡座で浮いた状態にある。全長は馬3頭程。
生命力の塊の穢獣だが、一切の細胞を動かさないことが不気味さを生む。
息をするのも躊躇う場面。
皆穢獣へと意識が向く___。
「決して矢を向けるな」
___2人を除いて。
クァズノームと少女は男から目を離さなかった。
生命力の探知に長けたクァズノーム程の軍人であっても、後方から駆けた足音でしか反応できなかったのだ。
生きていれば、生命力というものは必然的に存在する。
隣を通り過ぎて尚、それを探知できない違和感。歴戦の軍人は人生で最も緊張し、過去に垣間見れない集中力をもって厳戒態勢へ移る。
男も"2人"を警戒した。兵士を死角に右往左往と逃げる。
「見えなかった。イゼは見えたか」
男を目で追いつつ、問いの答えに耳を傾ける。
「さっぱりだよ」
護衛隊長の首を刎ねたが、男の手に刃を確認できなかったのだ。
生命力の類で斬ったのか、斬る瞬間だけ鎧の袖から刃を伸ばしたのか。
クァズノームが危惧したのは前者。
「あいつ、もしかしたら〜ってやつかい?」
少女は戦旗の柄によじ登り、男の行方を覗いていた。
「イゼ、人の居ない場所まで誘導できるか」
「構わないよ」
瞬間、少女は戦旗の柄を蹴る。
男まで飛ぶ。少女もまたクァズノームの危惧したことを理解し、想定し得る刃の到達地点の外側に位置した。
「やばすぎ!」
少女の抜刀を男は焦って防いだ。勢いそのままに後方へすっ飛んで行く。男が飛ばされた、軍の先の開けた平原は、他の兵士に害が及ばない場所となる。
「今焦ったね」
クァズノームもそれを見逃す筈が無い。
男の予想転倒位置まで飛翔し、クァズノームは腰を落とした。
世間で魔法と呼称される生命力。穢獣の生命力の付与を受けた者はその異端を身に宿し、鍛錬によって手脚のように使いこなす。
クァズノームの生命力は"剣と認識する物と身に纏う鉄を生成"するもの。
先程クァズノームは踵を上げ、生命力の光背を利用した魔法陣を生成、剣の生成速度を高めて爆発的な加速を可能にした。
地面を転がる男に合わせ、クァズノームは構えた右手に柄が来るよう魔法陣を生成。魔法陣から抜刀する。
綺麗な弧を描き、地面を裂く。
男は避けていた。推力を押し殺す筋力で地面を掴み、殺しきれなかった威力で下半身を持ち上げ、脚をクァズノームに伸ばした。
男の脚は生成された鎧に阻まれ、その間にクァズノームは次の一手の動きに入っていた。
クァズノームの視界に理解しがたい大きさの剣が映り込む。瞬間的に理解した。
「穢獣の・・・!」
顕現していた穢獣。誰がしが敵意を向けなければ動くことの無い穢獣。その手に持つ刃がクァズノームの胸部を圧迫していた。
クァズノームは数歩よろけ、剣を生成し柄先で身体を支えた。
男の横に穢獣が浮いている。
この穢獣は護衛隊長に生命力付与していた個体。主である命が消え顕現した筈。
「何故、従う」
クァズノームの理解を超えた事象に、思わず声が溢れる。
「どうしようか」
男を引き寄せないよう迂回していた少女が合流する。
「護衛隊長の掛け持ちは4つか」
穢獣の生命力付与は加算されていく。違う個体に付与される場合、主の中で1つの個体として融合する。
「うん。その中に名のある穢獣が1体だったかな」
強大な生命力を持った個体に名が付けられる。
「・・・引き離す」
少女の一振りで、穢獣の首が刎ねる。
穢獣に傷を付けたとて何らダメージにはならない。
男の間合いに入ったクァズノームを斬ろうと穢獣は剣を振るう。しかし、刎ねた首の高さ分だけ剣の位置は上がっていた。
言葉通り、一瞬の隙を作る。
クァズノームの猛攻に男は後退りしながらも、刀身を弾く音を響かせる。
"見えない"だけで、"居た"と理解する。
男の腕に巻き付く透明で尾が刃の穢獣。若干の空間の歪みでクァズノームは見破った。
穢獣を個体として従える男。
クァズノームは確信した。
当時、世界中を震撼させていた通り名。
「お前、"巡礼者の死神"だな」
祈りの最中に命を落とす事件が国を跨いで世界に轟いていた。
突如地面が盛り上がり、クァズノームは体勢を崩す。
地響きの鳴き声と共に姿を現す。鯨の先端に人の叫ぶ表情が張り付いた穢獣。空気を振動させる鳴き声の鯨穢獣が大口を開けた途端、クァズノームは天高く突き上げられた。
振動による衝撃波。
クァズノームは空中で体勢を整え、地面に向け点々と魔法陣を生成。柄を足場に地面に駆ける。空中に生成した魔法陣から剣を射出し、男の行動を制限する。
ある射程に入った時、クァズノームは生命力を溜め始めた。
流石の男も気を取られた時、男の脹脛に剣は突き刺さる。幾つも生成した魔法陣のうち、1つを射出せずに残しておいたもの。
切先を地面から抜く数秒が隙となった。
【封剣 縫改】
実在した宝剣の模倣。しかし、生命力の細部までを記憶したクァズノームのそれは実物を彷彿とさせた。
男から穢獣がごった返し肉壁となる。
畝る肉壁に一閃。
生命力で構築された身体でさえ、再生されずその場に"留まった"。
"斬った生命力をその場に縫い留める"。
宝剣に指定された力。
男諸共真っ二つになる。
しかし、死んだ訳ではない。その場に縫われているだけ。
___の筈だった。
恐らく、まだ潜む穢獣の力だろう。
周囲を光は包み、衝撃はそこに居たものを巻き込んだ。
影響はスムウェルの街を超え、2つ隣の街に及んだ。
___数え切れない命が失われた。
クァズノームと少女が目を覚ましたのは、爆発から6分後のことだった。
その光景を受け止め切れず、力無く膝を付いた。
クァズノームの脳内で巡ったことの3つを挙げる。
仮に男が死んだ場合、数え切れない穢獣の融合個体が世界のどこかの穢場に顕現したこと。
仮に男が生きた場合、世界の脅威となる者を眼前で逃したことになる。
そのどちらでも、この戦いを理由に抱え切れない命が失われたこと。
「・・・っぁ」
声にならない息。
大量に溢れ出た感情が地面に模様を付ける。
少女はただ立ち、沈んだ筈の太陽を見ていた。