第一章:第一話
…音が聞こえる。鳥の囀り…?起床時特有の浮遊感にも似た朦朧とした意識が覚醒する感覚。瞼を開くと徐々に光が瞳の中へと到達し、太陽の明るさを認識し、瞼を直ぐに閉め、徐々に光に慣れるように何度か瞬きして、ようやく世界の全容を捉えた。
目の前に広がる景色は教室ではなく、木で出来た壁に囲まれ、俺の足の上に布団が被さっていた。
「何処だここ…。…!!?」
驚いた。凄く驚いた。確かに見知らぬ場所にいつの間にか移動した事にも驚いたが、知らない言語を認識し、喋った事に驚いたのだ。しかも、頭の中にはこの世界の事の記憶が五年分ある。
「俺は…アキト。まさか、同じ名前とは…。神様が気を回してくれたのかな」
俺はそんな事を言いながら頭の中の、この世界のアキトの事を探る。
「えっと…。俺の居る所はアイナ村。母はナキアという名前。織物が得意でそれを売ったり、交換をよくしている。父はガシハと云う名前で村の兵士で村の近隣を魔物や盗賊から守っている。魔物?…魔物とは邪神の使いたる悪魔、つまりは魔物を統べるもの…魔王と呼ばれるものが生み出す存在である…か」
そして今日は父に聖心術を教えて貰う日。
「聖心術?…これは知らないみたいだ。なら、今日聞けば良いか」
俺は毛布を退かして起き上がり、扉からこの部屋を出ようとした時、ドタバタと云う音が聞こえて、無意識に一歩下がる。すると目の間で扉が開かれ、腰まで伸びる長い黒髪を胴辺りで纏めている一人の女性が現れる。
「おはよーー!朝ですよ!」
女性はにこやかに寝床へと目を向ける。
「あら?居ない?」
女性は戸惑ったように周囲をキョロキョロと見回し、最後に目線を下げて俺を見付ける。その女性は俺を見るなり、喜びが可視化出来る程の笑顔を浮かべて、俺を抱き上げる。
「なんて素敵なの!!一人で早起きが出来るなんて!!」
ヤバい!これは直ぐに答えないと相手に違和感を与える!早く誤魔化さないと!!
「た……た、偶々だよ。ママ…」
まさかこの歳になってママ呼びとは…。いや、今は五歳だから適当か。それでも恥ずかしい…。
「それでも素敵!!私の子どもは素晴らしいわ!!」
母は俺を抱き上げたままクルクルと回る。この世界での俺の母は随分と子煩悩で、親バカらしい。俺のあっちでの母は良い人だし、俺を想ってくれてるけど、ここまで大袈裟じゃなかったな。
「さて!素敵ついで朝ご飯食べちゃいましょ!」
「うん。分かった」
母は俺が了承した後、抱き抱えたままリビングの方へと移動した。
朝食は硬い黒パンにスクランブルエッグとベーコン、更にクズ野菜のスープに、野花や野草のサラダ。黒パンはスープに浸して、食べる。…味、思ったより悪くない。多分五年分この味に慣れたからだろうけど。
一緒に食べるのは母のみ。父は早番のようで既に仕事に出ている。そして、早く帰って来て俺に聖心術を教えてくれるらしい。……にしても気になる。この視線…。
「んふふっ♪一杯食べて元気に育つのよ♪」
「ママ…。食べ辛いよ…」
「良いじゃない♪ママはアキトが美味しそうにパクパク食べてくれるのが嬉しいんだから♪」
「自分のも食べないと冷めちゃうよ」
「ええ〜!食べてるとアキトが食べてる所見られないじゃない!」
「見なくて良いよ」
俺は視線を食卓の方へと目を向けて、食事を再開する。スプーンでスープを救い啜っていると、静か過ぎるのに気付いた。チラリと母の方に見ると目を少し伏せてブツブツと小声で「いや、そんな…。まさか…。でも…」と何度も繰り返す。俺は明らかに様子が可怪しいと思い、スプーンをテーブルに置いて「どうしたの?」と問う。すると母は恐る恐るといった様子で俺を見る。
「今日のアキト……なんか冷たい。…まさか…」
あっヤバい!いつものアキトらしくなかった!まさかアキトが違う存在に成り代わられたとか思われたんじゃ…。いや、正確に言えば記憶が戻っただけなんだが。…もしかして悪魔憑きなんて言われて、悪魔祓いされたり、最悪処刑される…!!ヤバい!ヤバい!ど、どうすれば…!
「イヤイヤ期なのね!」
「………………………え?」
まさかの反応で認識が遅れた。え?今なんて言った?確かイヤイヤ期って言ったよね。何で?確かに冷たい態度は取ったけどそこまで激しくイヤイヤした訳ではないぞ。
母は立ち上がり、座ってる俺に縋るように抱きしめる。
「そうでしょ!今まで素直なうちの子にはイヤイヤ期なんてこないと思ってたのに〜!!」
母は悲しそうな声を上げ、涙を流しながら俺の頭を撫でる。俺はそんな母親にどうすれば良いのか分からずため息を吐き、なんとなしに母の頭を撫でる。
「イヤイヤ期じゃないから一緒に食べよ」
母は俺から離れると俺へと顔を向けて、頷いた。
「うん、分かったわ。アキト」
母は立ち上がり、自分の席へと戻った。それからはいつも通り談笑をしながら食事をした。
食事を終えると俺は一気に手持ち無沙汰になる。家事を手伝おうに力仕事はかりで子どもにはさせてもらえない。遊ぼうにも今日は村の子ども達は皆予定があるらしく、一人開いてる人に心当たりがあるが、一度捕まったら中々逃げ出せない為、それは駄目だ。結果を言うと暇である。父が帰ってくるまでには時間がある。本当に何をしよう。
「アキト…手持ち無沙汰なのね。なら、使う木剣を拭いてみて、少し手に馴染ませたらどう?」
「ん〜そうする」
「なら布を渡しちゃうわね。木剣は外にあるから」
「分かった〜」
俺は母から布を貰い、外に置いてある子ども用に作られたであろう丁度良い長さの木剣を手に持ち、寝室の方へと移動して、剣を拭き始める。この木剣は中々に使い込まれてるようで新品の白さは無く、使い込まれた大樹のようなくすんだ色となっている。しかし、埃はあまり付着していないようだ。これは既に誰かが拭いていたな。恐らくだが父がやったのだろう。そしてこの木剣は父が使っていた物だ。
俺も飛鳥の祖父様に木刀の手入れをさせられてから分かる。これは大事にされた物だ。なら、俺もこの木剣を大事にしないとな…。
「振ってみるか…」
俺は良く拭いた木剣を持ち、外に出る。室内で振るのは危ないから。
「ちょっと剣を振ってくる〜」
「良いけど庭でやるのよ〜。後、窓ガラスから距離を取ってねぇ〜」
「は〜い!」
母に一言断りを入れてから俺は外に出て先ずは素振りをする。取り敢えず十回振り、休憩、また十回振りを繰り返して、合計百回は振る……つもりだったが、五十回で限界が来た。
「思ったよりキツイ…。いつもならぶっ続けでも三百回は余裕なんだが…」
あの祖父様は毎回、運動不足の俺に千回素振りさせまくったからな…。千回素振りは七百から地獄なんだよな…。千回なんて毎回吐きそうになる。
「少し休んで型の練習するか」
俺はそう言いながらふぅ〜と息を吐きながら尻餅を着いた。