懐事情
寝起きが悪い静花を起こすのは、いつも姉の役割だった。
「ほら、起きて」
困ったような姉の声音。
実を言うと、姉が声を掛けた瞬間から、なんなら階段を上ってくる音で目は覚めている。
それでも布団に包まるのは、姉に起こしてもらいたかったから。
意地悪だったのは認める。
けれど、しょうがない。
おはようって。
ねえ、起きてって言ってくれる姉の姿が、声が。
大好きだったのだから。
「おい、起きろ」
「……寝てた?」
「気付かないのか気付けないのか知らないが、ある程度対策はしておけ」
静花の視界には、真っ暗な明るい光景が広がっている。
自分でも気付かなかったが、疲れ果てていたらしい。ずっと歩き回っていたので体力には自信があったのだが、力が入っている箇所がいつもと違うのだろう。
だから、意図せず寝落ちしてしまった。
不自然に歪んだ木の陰で寝かされていたのだ。
「何してるの?」
「朝食の準備だ」
焚き火がパチパチと音を立てている。鍋には肉と野菜がふんだんに入ったスープが入っていた。
「魚じゃないんだね」
「ふん」
ぶっきらぼうに鼻を鳴らしながら、スープをすくう賞金稼ぎ。
手渡された木製の皿は温かった。
「ノラはネコなの?」
「見りゃわかんだろ」
「……わかんないんだけど」
遠目からなら、コスプレにしか見えない。猫耳と尻尾をつけた女の子のキャラクターはポピュラーな存在だ。街中で見かけたら、コスプレをしているだけに思えるだろう。
しかし、こうして近くで見ると明らかに質感は違うし、自由に動いてもいる。
本物の猫耳と尻尾だ。
「余計なことを考えてないで、飯を食うことに集中するんだな。おおかた、食欲も大してないんだろ」
「それはまぁ」
静花にとって食事は必要だから摂るものだ。
身体が動かなくなってしまっては困る。
姉を探せない。
だから、ノラが用意してくれた朝食を、必要に駆られて摂取する。
「うまいか?」
「たぶん」
「なんだそりゃ」
呆れるノラを横目で見ながら、一心不乱にスープを食べ進めた。
「チッ、また武器を探さなきゃならねえか」
苛立つノラに付き添って、静花は街中を歩いている。
相変わらず、バリエーション豊かな人々だ。鬼が興味深そうにこちらを見て、鳥の顔をした女が怯えながら離れていく。
しかしノラは全く気にせずに目的地へ向かっている。
「またあの武器屋に?」
「あいつは……ダメだ。不良品を掴ませやがって」
ノラが武器商人から買った拳銃は、動作不良を起こして早々に使い物にならなくなった。現実であれば間違いなくクレームものだろう。
誰が相手であろうと食って掛かりそうなノラは、しかし別の商人を探している。
「なんだよその興味なさげな顔は」
「ずっとこの顔だって。意外だとは思ってるよ」
「あの狐野郎の憎たらしい顔がムカつくんだよ」
確かにあの狡猾そうな狐男が、ノラの恫喝に素直に応じるとは思えない。
だからこそ、ノラは話のわかる人を求めているのだろう。
「どうせどいつもこいつもジャンク漁りさ。オートマチックは貴重なんだがな」
「ここの武器って……この世から持って来てるの?」
ノラのM1911はこの世の武器の一つだ。1911の呼び名の通り、十九世紀に開発されたアメリカ軍の正式拳銃。ハリウッド映画やゲームなどでおなじみの銃だ。
「流れてくるのさ」
ノラは銃砲店の看板が描かれている店の前で立ち止まった。
「あれのようにな」
店先のショーケースの銃もまた、映画で見たことがある。
シングルアクションアーミー。ピースメーカーの愛称でも知られるリボルバー。
西部劇の賞金稼ぎの得物と言えば、十中八九これだ。
「古い銃ばかり」
どちらも現代でも生産されている銃ではあるが、オートマチックのM1911はともかく、利便性の低いSAAなどはマニア御用達と言ったところだ。
そんなマニア向けが、まるで一般流通品のように陳列されている。
「古い物はなくしがち……だろ? 流れてくるのさ。その世にな」
ノラは銃砲店のドアを開けた。
その音を聞けば大抵の人が身構えるか、逃げるか。
或いは聞き馴染みがなくて呆然とするかのいずれかだろう。
力強い音楽を何発か奏でて、演奏者は満足気にテーブルへと楽器を置く。
「少なくとも、動作はするな」
「この前も、ちゃんと試射すれば良かったんじゃ」
静花の率直な意見に、ノラはジロリと睨んで応じる。
ノラが選んだのは、またもやM1911だ。
愛着があるのかもしれない。腰に差してある散弾銃ほどではなさそうだが。
「お代は命か、その銃でもよろしいのですよ。或いは……そちらの」
「ほらよ」
ノラはカウンターに白い紙幣を放り投げて、カバ女がしぶしぶ受け取る。
「どこに行くの?」
「決まってるぜ。賞金を稼ぎに」
ノラはそそくさと掲示板へと向かって、目ぼしいポスターを引きはがした。
そして、標的の匂いを辿る……昨日と同じだ。
ワニ男グレンディン……クラハム、リベッド、出蟹の殺害容疑――賞金10000命。
生死を問わず。
グレンディンは酒場のテラスで満足気に酒を呷っている。
それを、ノラは反対側の宿屋の二階から見下ろしていた。
そんな彼女を、静花は部屋で座って見つめている。
「この距離でも気付かねえのか。バカが」
嘲りながら、ノラはベルトからいくつかパーツを取り外した。
一つはバレル。もう一つはストック。
それらを、黒い散弾銃に装備していく。
アクセサリーでおめかしした散弾銃は、ショーティモデルから早変わり。
ロングバレルとストックを装着した、長物銃へとチェンジした。
「狙撃、するんだ」
「最後の晩餐……いや、昼食か? 楽しませてやるんだよ。贅沢な死に方だろ」
「そう、なのかも」
通常、人体の狙撃に散弾銃は用いない。散弾はその性質上拡散する。
広がれば広がるだけ威力が下がってしまう。
命中精度に重きをおいた狩猟ならともかく、賞金を確実に稼ぐための一手としては不適格だ。
だというのに、ノラは躊躇しない。赤色のシェルを給弾口へと放り込み、フォアエンドを動かす。
瞬く間に撃発。
轟音が唸り、鳥が飛び立ち、悲鳴がこだまする。
「殺してやるよ。あの世でもまた、な」
独り言ちるノラ。
どうやら確殺したのだろう。死体がどんな状態なのかは想像に難くない。
いや、どうだろうか。静花は疑問を抱く。
本当に散弾で撃ち抜いたのだろうか。この距離から?
「どうやったの?」
「引き金を引いただけだぜ」
「でも、散弾じゃ……」
普通の人間ならともかく、人に似た怪異を殺すのに、遠距離からの散弾では不適切――。
「スラッグ弾さ」
「あ、なるほど」
散弾銃は散弾しか撃てないわけではない。
きちんと単発用の弾丸も存在する。
だとしても、違和感は消えない。なんでわざわざ散弾銃を使うのだろうか。
狙撃銃の方がもっと確実に。
そこまで思考を回して、気付いた。
「そっか。お金がないんだね」
「……喧嘩売ってんのか?」
「ただ事実を諳んじただけだよ」
苛立つノラに視線で射抜かれても、静花の表情は鉄面皮から変わらない。
変えられない。
「買えてもせいぜいが拳銃くらい。その散弾銃は……どうしたの?」
「余計な詮索すんじゃねえよ。ミリオタか何かなのか?」
「別に。映画が好きなだけだよ」
姉の影響だ。思えば姉の方はミリタリーオタクだったのかもしれない。
フィクションの銃撃戦は好き。現実のは嫌だけれど。
姉の言葉は一期一句、静花の記憶に刻まれている。
「でも、みんな欲しがってるよね。私と同じくらいに」
情報屋や狐の武器商人は、静花の存在は貴重だと言っていた。
先程の銃砲店の店主は静花だけではなく、黒い散弾銃に興味を示していた。
きっと価値としては似通ったものなのだ。
銃と人。この世であれば大抵の人間が後者が価値があると言うが、その世ではイーブンなのだ。
「買ったんだよ。武器商人からな」
静花が武器商人と聞いて思う顔は狐とカバだ。
「そいつらじゃない。突然現れて、いきなりいなくなった、風変わりな武器商人。アドミラとか言ってたっけな。とにかく、そいつがくれた武器は、極めて凶悪で堅牢だ。いくつも銃を壊したが、こいつだけは傷一つつきやしない」
「じゃあ、感謝しないとね。その人に」
「……」
ノラは物憂げに散弾銃を見つめる。
「あの商人の野郎、まさか……」
「どうかしたの?」
「なんでもない。さっさと換金に行くぞ。もうギャラリーも落ち着いただろ」
「くそっ」
命の入った財布を、ノラは忌々しそうにしまう。
「あの犬公め。また吹っ掛けやがって」
温和な印象の情報屋は、報酬に明確な基準を設けているようだ。
昨日のサービスは提供されず、しっかりと手数料を差し引いた分の報酬を受け取って、静花たちはまたもや異界の街をさすらっている。
「……大丈夫なの?」
「お前みたいなガキに心配されるほど、落ちぶれちゃいねえさ」
ハットを被るノラの言葉はタフだが、実際は素寒貧だろう。
仕事道具である武器と弾丸は必要経費。
肉体労働であるため、ノラの食事と睡眠は必須項目。
となれば、何かを削らないとまずい。
静花は早々に結論を導き出して、
「ねえ」
「余計な心配するんじゃねえ」
「けどさ、生活が成り立たないでしょ?」
この奇妙な共同生活は、トツカミという正体不明の標的が現れるまで続く。
節約できる時に節制しなければ、肝心な時に困ってしまう。
お金が……お命がないから摂り逃しましたなんて結末を、静花は受け入れられるだろうか?
たぶん受け入れはするのだろう。諦めるという選択肢がないだけで。
「だから、私は食べなくても平気だし――」
「勘違いするなよ。お前は餌だ。釣りのな。それに報酬は受け取ってる」
「……胸を触らせたこと?」
「そうだ。だからつべこべ言うんじゃねえ」
きっと感情がまともに機能していたならば、納得できなかったかもしれない。
でも、不完全な静花の心は、これ以上の言い合いは無駄だと判断した。
だから、そっかと一言呟いて、ノラの背中に追従していく。
「夕飯を買ってくる。そこで大人しく待ってろよ」
「安い物でいいからね。量もそこまでいらないから」
ノラは鬱陶しそうな手振りをして、商店の中に入っていく。
手持無沙汰の静花は手すりに寄りかかって、行き交う人々へ視線を送る。
好奇の視線はいくつか見えるが、手出ししてくる様子はない。
十中八九、ノラのおかげだ。
静花一人だったら、もう既に命はないに違いない。
その報酬が、胸を触るだけ……でいいのだろうか。
いわゆる大人のお店では、そういう行為は非常に高価、らしい。
だが、ノラのあの行為を、アダルトな店のサービスと同等だとは思えなかった。
(昔だったら、申し訳ないとか思うんだろうけど)
薄情を通り越して無情の心はビクともしない。
不安を抱かないのは良い点だとは思うけれど。
なんて考え事をしていて、
「ねえ」
いつの間にか隣の手すりの上に座っていた、少女に声を掛けられた。
「……いつから、いたの?」
「さっきとも言えるし、ずっと昔からとも言えるね」
白い髪の少女は天真爛漫な笑みを浮かべている。
無表情の静花と対照的なその子は、足をお行儀悪くぶらぶらとさせていた。
「ここ、楽しい?」
「わからない」
「悩まないんだね」
「悩めない……かな。それで? 私にどういう用?」
「暇だったからさ。おしゃべりしようと思って」
「そうなんだ。でも、相手を間違えたね」
心が壊れる前は親友とも言える間柄だった友達とも、今の静花は疎遠となった。
冷たいとは思えないし、もし心が正常だったとしても思わなかっただろう。
病人の相手など、疲れるだけだ。特に、内面性のものは。
「ううん。君で正しいよ。猫は嘘つき。気を付けてね」
「え?」
商店のベルが鳴り響く。ドアが開いて、ノラが出てくる。
「どうかしたか?」
たくさんの食材が入った紙袋から、ノラは顔を覗かせてくる。
「今――ん?」
気付けば、少女はいなくなっていた。最初から誰もいなかったかのように。
その世の不可思議な住人に、からかわれたのかもしれない。
「なんでもない……と思う」
「そうか。じゃあ行くぞ。飯の時間だ」
街の外に向かうノラの背中を、静花は追いかける。
後ろ髪を引かれる。きっとそういう表現なんだろうな、と他人事に思いながら。




