プロローグ2:掃除屋、異世界行き。
頬がひんやりとする。
それが、男――清岡玲司が最初に取り戻した感覚だった。
重い瞼を開くと、初めはぼんやりとしていた視界が徐々に鮮明になっていく。それと同時に体全体の感覚も少しずつだが戻ってきた。
どうやら、玲司はどこかの川沿いに倒れていたようだ。体が満足に動くようになるまで、彼はそのまま辺りの観察を続けた。
分かったのは、少なくとも今いる場所は彼の知る所ではないということくらい。
それと、川と言うには少々川幅が広すぎるような気がする。向こう岸が霞んで見えるのだから…
どうにかこうにか立ち上がると、何だかズボンのポケットに硬く平べったいものが入っているのを感じた。
スマホは車の中に置きっぱなしにしていた気がするが…そう思いながらポケットから引っ張り出すと、それは見慣れない小冊子だった。
タイトルを読んだ玲司は、しばし呆然とした。
「『地獄の歩き方 ~魂魄斡旋所編~』…?」
地獄…地獄って……地獄かぁ…。
「…まぁ、褒められたようなことをしてたわけじゃないからな…」
彼は、案外あっさりと彼の死と地獄行きを受け入れたのだった。
さしあたり魂魄斡旋所とやらに向かってみるかと改めて小冊子、もといガイドブックを見た彼は、その表紙に何やら付箋がついていることに気が付いた。
発行した後に訂正箇所でも見つかったのかしらん、とその付箋に視線を落とすと、そこには
『追伸:そなたは第八魂魄斡旋所へと来るように』
と、可愛らしい字で書いてあった。
何者かの直々のご指名を受けた彼は、長大な橋――恐らくは三途の川に架かる橋――へと歩を進めたのだった。
「ところで、三途の川に橋なんて架かってたんだなぁ…」
――――――――――――――――――――
三途の川を渡った先は、計画都市の雰囲気漂う、小綺麗な街並みが広がっていた。
まっさらな所から造られた都市…そんな雰囲気を感じながら、玲司は街の外れへと進む。
街の中心から、およそ1km。多少緑豊かな場所に、その建物は立っていた。
「冊子によると、ここが…第八魂魄斡旋所」
第一から第七がどこにあるのかは冊子に記されていたが、それらと比べてもこの建物は中心から一番離れた場所に位置していた。
(まぁできてから日が浅いとか、そんなところなんだろう。地獄は地獄で大変なんだな…)
屈強な鬼が門を守っているとか、いきなり釜茹で地獄に連れて行かれるとかもなく、玲司はすんなりと建物に入る。
すると、受付のような所にいた女性に話しかけられた。
「あ、第八魂魄斡旋所へようこそ。どのようなご要件でしょうか?」
困った。どのようなも何も、付箋に書いてあったからとしか言えない。
と思ったが、特に後ろめたいことがある訳でもなく。だったら正直に言った方が早そうだと、玲司は受付の人に冊子を見せた。
「これの表紙に、ここに来るようにという付箋がついていたので…」
我ながら変な理由だと思いつつ受付の人を見ると、何やら納得がいった顔でうなずいていた。
「かしこまりました。少々お待ちください」
そう言うと奥の方へと消えていった。
それからおよそ3分。ガイドブックをぼんやりと眺めていた玲司の前に、先程の受付の人がやってきた。
「清岡玲司様。第八魂魄斡旋所の所長がお待ちです。こちらへ」
どうやらここの所長に会えるらしい。まあ聞きたいことは山ほどあるし、逆にお偉いさんの話ともなればこちらも聞かないわけにはいくまい。
受付の人について行くと、建物の最上階、5階にたどり着いた。
(というかこの建物5階建てだったんだな。最初の印象から、もうちょい低いかと思ってたわ)
玲司は心の中で顔も知らぬ所長に謝った。まあ、今から顔を合わせることになるのだが。
受付の人は「執務室」とある扉の前で立ち止まると、軽くノックをした。
『…入るがよい』
中から聞こえてきたのは、思っているよりも5倍くらい若い、いや幼い声だった。
「では、どうぞお入りください」
受付の人に促されるまま中に入ると、そこには来客用と思しきソファと、奥には執務室の名に相応しい大きな机が鎮座していた。
そして、その机から身を乗り出していたのは…
「うむ、案内通りに来たのだな。…どうした、突っ立っていないで早う座らぬか」
古風な言葉遣いの幼女だった。
――――――――――――――――――――
「自己紹介が遅れたな。わた…んん、我は第八魂魄斡旋所所長にして、この地獄において第八閻魔大王を務めている者である」
「えっと、ヤマ…?」
疑問符を浮かべる玲司に答えたのは、受付の人だった。
「第八閻魔大王。ヤマ・ラージャが閻魔大王、アシュタが数字の8を表します。つまり、彼女はこの地獄の8人目の閻魔大王なのです」
「呼び辛いなら、"アーシェ"、でよろしいかと。彼女の本名です」