プロローグ1:掃除屋、仕事終わりに死す。
扉を開けると、そこはひどい有様だった。
ゴミは至る所に散乱し、食事の跡がテーブルの上にそのまま残されている。当然洗濯など行われているはずもなく、部屋の片隅に目をやるとそこに積みあがる洗濯物の山があった。
ここ数ヶ月まともに掃除されていないであろうその部屋は、舞い上がる埃と異臭で男を出迎えた。
しかし男はそれらを一瞥するや否や、部屋の奥へと足を進める。
果たして、部屋の隅のクローゼットからそれは見つかった。
「見つけたぞ…今回も吊ってる人か」
両眼を見開き、首に巻き付いた縄に手をかけたまま動かない女の体。その顔は、生きているうちにはそうそうお目にかかれないような、壮絶な苦悶の表情で固まっていた。
クローゼットから吊り下がっていたのは、この家に住む女の首吊り死体だった。
男…清岡玲司は、この死体の処理のために呼ばれた、いわゆる特殊清掃員だ。
数日前、この家の近所の人から「異臭がひどい」と役所への問い合わせがあった。
この家の住人の女は、元々ゴミを溜めがちであったり、他人とコミュニケーションをとろうとしなかったりと、ご近所の評判は良いものではなかった。
よって近所の人は、本人に尋ねるのではなく最初から役所に相談したのだ。
そのせいで、遺体の発見が遅れた訳だ…玲司は報告書を見ながら複雑な思いを抱いた。
昨今、ご近所付き合いは希薄になっていると言われている。住人の女のように、他人とのコミュニケーションを好まない人が増えているのも理解している。ただ、それでももっと普段から近所の人と触れ合っていれば…そう思わずにはいられなかった。
ところで、この現場に来たのは玲司1人だ。別に彼の会社が人手不足だからとか、報酬をケチったからとか、そんな理由からではない。
この現場で起きている、とある現象…それに対処できるのが、彼だけだったからだ。
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一通りのゴミや家具、衣服などを分別し運び出した玲司は、外で大きく伸びをする。
「んんーっ…よし。問題はここからだな」
報告書に記載された、奇妙な現象。
近所の人の問い合わせでやって来た役所の人、並びに通常の清掃業者の何人かが、この世の物とは思えない女の絶叫を聞いたのだという。
彼は、十中八九その声は彼女――首を吊ったこの家の住人のものだと考えている。
彼はこれから、彼なりのやり方でその現象を止めるつもりなのだ。
これこそ、彼がここに1人でやって来た理由。
「除霊…なのかは未だに分からんが、とにかく…やってみますか」
ドアを開け、再び中に入る。
――今度は、スーツ姿で。
『…ァァア"ア"アァァアイイ"イ"イィヴァアァァア"ア"ア"!!!』
部屋の奥、クローゼットの中から。
彼の眼は、ナニカが這い出して来るのをしっかりと捉えていた。
しかし、次の瞬間、
『ァァン"ン"キ"ィィエエ"ロ"ォォオオ"!!!』
叫び声とともに、その姿が掻き消える。
「あぁ…そういう感じか」
小さくつぶやくと、玲司は油断なく構える。
そして、その背後にナニカが回り込んだ時。
「フッ!!」
『!?!?』
掛け声一発、玲司はナニカを豪快に投げ飛ばした。
激しい音を立てて床に突っ込んだナニカは、半ば呆然として彼に目を向ける。
これをチャンスと見た玲司は、そのナニカ…女の霊との対話を試みた。
「まあ色々あって混乱してるかもしれないけどさ…とりあえず、これでも一緒に食べて落ち着かないか?」
彼が差し出したのは、女がよく食べていた、カップ麺だった。
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「うん…そうだよな。セクハラにパワハラ、いつまで経ってもそういう上司は消えないよなぁ」
『ウ"ウ"ゥ…』
「いざ自殺するってなって首を吊ったら、想像以上に苦しかったんだな。これから死ぬのに、死ぬより辛い苦しみを味わうなんてな」
『ウ"ゥ…クル"シ"ィ』
「悪かったな、こんな格好で来て。役所の人にキレたのも、クソ上司と同じ、高そうなスーツを着た人だったからだろ?」
『ソ"ゥ…クソ"ジョウ"シ"ァァ』
「安心しろ、このスーツは借りもんだ。俺はこんなの買えるほど稼いじゃいないよ」
『…ウ"ゥ』
「俺たちが話せるのも、このカップ麺を食べ終えるまでだ。…短い間だったが、あんたの悩みを聞けてよかったよ」
『…ウ"ェ?』
「本当は生きてる間に聞いてやりたかったが…俺はあんたが死んでからでも話を聞けた。これで思い残すことはないんじゃないか?」
『ソウ"、カモ"…ア"ァ』
「俺はあんたが何処に行くかは分からない。そもそも、地獄とか天国とかがあるかも分らんしな。…ただ、これだけは言わせてくれ」
『ンン"…?』
「あんたは報われなきゃいけない。もし地獄で苦しまなきゃいけなくなったら、その時は…俺が閻魔様に直談判してやる」
『フ"フ…ヘン"ナ、…ヒト"…』
――――――――――――――――――――
「…無事に行ったか」
玲司は、2つのカップ麺の容器を持つと、外へと向かった。
彼は、霊が視える。
それは気ままに漂う幽霊だったり、祟りを起こす神霊だったり、後悔しながら死んだ人の霊だったり。
そして彼は、その力を遺憾なく発揮し、今までに多くの霊を成仏へと繋げた。
――しかしその力は、人の身には過ぎたるもので。
突然、踏み出した足の感覚が消える。
「…あれっ?」
感覚が戻らぬまま、今度は逆の足の感覚も消える。
大腿。股関節。腰。腕、手、指先、首…
まるで、自分の身体から解き放たれるかのように。
ゆっくりと、身体の感覚が消えていく。
その時やっと、彼は理解した。…これはもう足掻いても無駄だ、と。
途端に、彼は何処かに意識が飛ばされるのを感じた。
多分もう戻ってこれないだろうなぁ…その思考を最後に、彼の意識は途絶えた。