前原
前原は、船内を落ち着きなくうろついていた。人々はきっと役には立たないだろうと知りつつも、バリケードをあちこちに築くために机やら、冷蔵庫やらを台車に乗せて運んでいた。そんな姿を、冷ややかな視線で見ては通路を歩いていた。
台車の上の物は既にここを立ち去った者たちの持ち物だろう。今思えば、さっさとここを立ち去っているべきだったという後悔の念ばかりが頭の中を巡っていた。ここに居れば死ぬことは間違いない。しかし、役職からそれは出来なかった。いや、申請すればきっと此処を出る事をビルは許してくれただろう。ただ、周りの雰囲気というものが、彼をここに押しとどめ続けてしまった。馬鹿だ、馬鹿だ。彼は人知れず唇を噛んだ。
このノードステーションから脱出するための避難船はもうここには一艇たりとも停泊していない。あえて使えるとしてもクーパーのボロ船ぐらいだ。しかも一人ではとても操縦できない、まして宇宙花を制御する管制官の指示なくしては他のノードには行く事はできやしない、とても無理だ。もし生き残るとしたら中央の軍に投降するしかないだろう。それなら、タグボートで十分だ。あれなら、一人でも操縦可能だ。自分の役職を考えれば、軍はきっと自分をぞんざいに扱うことはするまい。むしろ好待遇で迎えてくれる筈だ。
そして彼らはまもなく此処に到着する。ビルから得た情報だった。
問題があるとしたら、タグボートの出動命令がビルからしか出ないということ、そして艇庫番のおやじがやっかいな頑固者だということか…しかし、こうも内部が混乱している状況であそこのセキュリティがまもとも機能しているとは思えない。まずは、様子でも見ようか…前原は、そう考えた。
タグボートの艇庫の手前にある気密室の手前には、老人が銃を抱きかかえるようにして壁に寄りかかっていた。老人は、すっかり眠りこけており鼾が廊下にこだましているありさまだった。
一瞬彼はそっとその脇をすり抜けようとしたが、まるで習慣の様に手が老人の肩に置かれた。老人は鼾を止め、目をうすらぼんやりと開いた。
「おや…前原さん」老人は、立とうとしたが前原の手がそれを止めた。
「そのままでいい、しかし見張りはちゃんとしてくれ。敵は未だ現れていないが、相手はプロだ何時現れるかわからないからな」前原の言葉に老人はうなずいた。
「それより、巡回のためタグボートを一艇借りたいのだが」
「そんなことなら、操縦者を呼びましょうか?」
「いいや、全員、迎撃のための準備でそんな暇はないし、こんな事で人員を裂きたくない、俺だけで十分だ」
「そうですか?ならどうぞ・・・キーのありかとか知っていますよね」
「承知している」前原は、気密室の扉に手をかけた
「そうそう、14号機は調子が悪いですから、乗らないでくださいね」
「ありがとう、じいさん寝るなよ」と前原は、気密室に入った。そこにフリーサイズの宇宙服がいくつもぶら下がっていた。どれも使い古され、汗臭さがしみ込んでいる。しかしここで働く者たちは、みなこの匂いを嗅ぎ、臭い臭いとわめきつつもそれに慣れてしまう。
ここで暮らす者たちは皆そうだ。何もない、不便だ、狭い、汚いと愚痴を言いながらもそれを改善することもなく慣れてしまう。ここで生きてゆくために必要なのは、改善ではない、適応してゆくことだ。
俺もここでの生活に慣れてしまった。しかし俺はこんなところで死にたくない、もっと良い生活がしたい。彼は、すっぱい匂いにまみれながら宇宙服を着た。ああ、その為ならこんな匂いがなんだというのだ。
9と書かれたタグボートに乗り込み、キーを差し込む。始動ボタンを押下すると、タグボートは自然とハッチ口に向かった。船の周囲にある小型のエンジンがゆっくりゆっくりと狭いタグボートの収納庫を正確に制御されながら噴射される。そして、遠くに恒星とそれをバックにして黒く浮き上がる宇宙花が視界にはいってきた。
彼は、姿勢制御用のトラックボールを回しながらゆっくりとノードステーションから遠ざかって行った。




