軍を去る日
さて、しばらくはのんびりと。。。積ん読がたまって書けないないし
半球型をした内壁が真っ白な部屋は、小さなプラネタリウムを連想させた。実際事が起きれば、その球面は全て各星系からの報告を受けるためのディスプレイとしての機能を有する他、部屋の中央にホログラムを投影するための光学装置が組み込まれていた。
熊谷は、短く刈り込んだごま塩頭を剥き出しにし、私服で此処に立っていた。貸与されていた軍服も、体内に埋め込まれた構内を出入りするためのセキュリティ装置も、既に下の階にある人事に返却されていた。わずか1時間前は、まだ飛龍の艦長であったが、今では年金生活に入る一介の市民になっていた。
鎖骨付近に埋め込まれたセキュリティチップを取り出すために切られた、傷口がちくちくと未だ痛んでいた。また永らく宇宙空間で生活していたために衰えた筋肉が、1Gの負荷でそろそろ悲鳴をあげつつあった。
しかし、目前では地球連邦宇宙軍第三艦隊司令の地球分室常駐のAIロボットが、頭脳のコピー元であるリュウ司令官本人に代わり、長々とねぎらいの言葉を続けていた。
ロボットは、その権力を示すかのように、深い艶に覆われた木製の大きなデスクの向こうで、柔らかそうなソファに座り口を動かし続けていた。ときどきAIの視線が机の上に落ちると、そこには書類が扇形に広げられていた。
リュウ氏は叩き上げの軍人というより、官僚としてその椅子を掴みとった人物であったので、政治的な繋がりを色濃く見せる人材であった。彼は熊谷より若く、容貌が綺麗な瓜実顔であることから、頼りなさそうと陰口をたたく者も多く居た。そして目の前にいるロボットも、彼の容姿を正確に反映させていた。
しかしリュウ氏は部下からは、お坊ちゃんや中央のお使いなどと揶揄されてはいたものの、この席に座るだけに、頭のキレはよく、多方面にも顔が利く存在であった。熊谷が属する第三艦隊の長ではあるが、実質的には宇宙軍そのものを掌握しているとも言われていた。中には、リュウという人物は存在せず、実体はAIそのものなのでは?という憶測も囁かれていた。
熊谷は、そんな上司の顔をみつつ、既に馬耳東風の状態だった。
「長い間お疲れさま」リュウのAIが、ようやく会話を打ち切ったような台詞を言ったところで、熊谷は気の休まる思いがした。
しかし、言葉はさらに続いた「ところで、ノード103だが、女性と子供を中心に避難を開始しているようだ。どうやら事を構えることを辞さないようだが・・・君はどう思う?」
直立で1Gの重力下で立ち続けているのが、さらに辛くなってきていた。そんな気持ちをおくびにも出さず。彼は直立のまま答えた。
「ジム・ビル管制管長は、あくまでも自治を守りたいようでした。ただ、開戦は望んでいませんでした」熊谷は、ビルの疲れきった顔を思い浮かべた。ビルは、戦いを望んではいない、しかし長い時間をかけて築いてきたステーションの自治を手放すのは拒否するだろう。彼は、遠い宇宙の辺境で、板挟みになって苦しんでいる老人の思いを、痛いほどに感じていた。
ビルのそんな思いとは裏腹に、あのステーションで暮らしてきた人々、進むことも、戻ることも出来ないまま人生の終の棲家として、あの場所を選んだ住人達は、きっと命をかけても抵抗するだろうなと彼は思った。それを、あの若造・・・アルドリーノは、うまく使うかもしれない。
今後起る問題としては、彼らに同調するステーションから義勇軍と称する輩もやってくるかもしれないことだ、特にボウイと名乗る反政府勢力のリーダーが参戦すれば、互いに被害が広がるだろう。彼が、そんなことを考えている間に、若い司令官のAIは机の上の書類を見ながら口を開いた。
「そんな虫の良い話は無いのにな。戦うか、降伏しかない・・・さて、準備が整えば103に事前に決めた艦を派遣するが、飛龍の艦長には誰が適任だと思うかね?」
「角谷が良いでしょう。彼はやる気がありますから」熊谷は、好戦的な男の名をあげた。
「彼を、推薦するとは無いと思っていたが」AIは、意外そうな声をあげると、デスクの上の資料から角谷の資料に目を通した。「君の評価では力に頼りすぎるきらいがあるとあるが?少しは交渉ができるタイプを選ぶと思っていたよ」
「中央は、最初からその気は無いと思っていましたので。」
「痛いところを突くね。」AIは、笑みを浮かべた。「実際、今回同乗するサイ議員は、交渉を決裂させる役目を負っているだろうし。しかし、実際に戦うことになったとき、どうかね?世論が我々に対して反感を持つような乱暴な戦いはしないかね」
「彼は、力づくで叩くでしょうが、馬鹿ではありません。それに、あれは誰でも落とせませす。この戦いは、彼には良い経験を積む機会となると思います」満足な兵器がなく、残った人々も軍人として訓練を受けていない素人相手の戦いだ。ただ、あなどると、素人だけに定石を外れた攻撃をしかけてくるかもしれない。若く、力ごなしに相手を潰そうと考えるタイプを育てるには、良い試金石だ。
だが、それでも、どんなまずい手を講じても、負けることはまずあり得ない。力の差がありすぎる。いざとなれば、協定を無視してステーション本体を攻撃すればいい、そして世間には、フェイク情報を流せば良いだけだ。多分、現政権はそれぐらいするつもりだろう。
今の政権の配下において、多くの人々の生活は極めて豊かだ。不自由な生活を強いられているわけで無いなら、有権者達は政治に興味を示さないものだ。ノード103への攻撃は、うまくやっている政府へ、テロ行為を働くもの達への正義の鉄槌だと、報じられる事にされるだろう。
「誰でもかい、大きくでたね」AIは、にやっと笑った。
「あのステーションにはほとんど兵士は居ません、民間人だけです。ろくな武器さえありません」彼は、頭にある考えを伝えた。
「なら、角谷君に行かせることにしよう。それより、頼んでおいた士官学校の赴任の件だけど、どうだね?」
「申し訳ありませんが、お断りいたします。」彼は、小し腰を曲げた。「暫くは、隠居生活を楽しみたいと思いますので」
「そうかい、君の指導なら良い仕官が育つと思ったのだがね」AIは、机の上の資料をまとめながら言った。そしてその一片を、机の上でとんとんと叩き、綺麗にまとめると、引き出しの中に放りこんだ。
「私は、教官としては不向きだと思います。教えるというのが、どうも苦手でして。それに、これでやっと地球での暮らしを楽しむことができそうですから、のんびりしたいと考えています」そう、教えるのが苦手だ。そもそも何を教えるのだろう。教えるってどういうことだろう・・・誰かの未来を正しい方向へ導くという名目で、その自由な進路の幅を狭めることになりはしないだろうか?常にそんな考えが、頭をよぎっていた。
心の中で、何かが囁く。戦いにはセオリーがある、しかしそれだけでは勝てない、先を読むだけでもない、時として、奇想天外が一手で全てが変わることもある。その一手を思い付くのは、教育でも経験でもなく、センスだ。自分には、それがない。
「なるほど、まぁ久々の地球だからね。そうするのもいいだろう。のんびりするのに飽きたら、声をかけてくれたまえ。君の席はあけておくつもりだ」
「その節にはお願いに上がりましょう」
「また、逢いたいものだね」AIは、腰をあげて机ごしに右手を伸ばした。
「はい」と熊谷はその右手を掴み、握手をすると回れ右をして去って行った。部屋を出ると横に警備員が並び立ち、彼とともに歩いた。既に彼に関わる全ての情報が期限切れと登録されていたので、彼は自由に施設内を歩き回ることはできなくなっていた。ただ、施設から出るために、警備員が付き添うことで一時的にセキュリティゲートを通行できるようになっていた。
第三艦隊分室の建物の外に出ると、熱く乾いた空気が、喉を刺激した。
「ご苦労さまでした」警備員が、敬礼をして彼を建物の玄関で見送った。
「ありがとう」彼は、そういうと何度か咳をした。乾いた空気が、喉を刺激するのだ。宇宙船内の方が、適度な湿度があって過ごしやすかった。
門まで歩き、振り返ると、厚いコンクリートの壁で覆われた建物をじっと見上げた。陽射しがまぶしい。彼の横を何人もの見知らぬ制服達が行き来した。
門の外では、彼が部屋を退出するのに同期して、宇宙軍の敷地内を巡回するタクシーが待機していた。AIに自宅の住居を告げると。音も無く走りだした。宇宙軍港として発達したこの街は周囲を砂漠に覆われ、当然のことながらこの辺りには軍の関係者しか住んでいない。入隊してから、寮に住みつづけ、そして小さい家を持ったが結局熊谷は宇宙に出る以外では、この街から出ることはなかった。
遠いステーションで育ち、中央に行くことだけを夢にしていた頃。それを現実にする直近の近道が入隊することだった。しかし、今は育ったのと同じようなステーションで殲滅戦が始まろうとしている。それは見たく無かった。それを誰に言う事もなかった。個人では、それに抗うことはできない、まして軍人だった立場としては、抗うことは許されない、これからは、その戦いの情報を、ほぞをかむような思いで傍観するだけだろう。
広い道を行くタクシーの後部座席で後ろを振り返ると、衛星軌道にあるステーションと地上の軍港を結ぶ軌道ワイヤー沿いに楕円形の乗り物が、登って行くのが見えた、その下には、頑丈な建物が幾つも見える。
砂漠の中を伸びる片側6車線の広い道は、右折専用車線が現れる度に、車線を減らし、左右に建つ倉庫も数も減り、その代わりに住居が建ち並びはじめた。住居と仕事場を行き来する燃料電池のシャトルバスと何回もすれ違った。
やがて、軍関係者以外の立ち入りを禁ずるゲートが現れ、そのゲートの左右には、古くさいとしか良いようのない、有刺鉄線が張り巡らされていた。だが、その鉄線の内部に仕込まれた疑似筋肉は、侵入者に対して針の体を持つ蛇として襲いかかるようなAIが仕込まれていた。
現在に至って、この有刺鉄線の餌食になった人間はいないと言う、だが同じ技術で作られたオートマターは、既に人の命を奪う作戦に出て実績を収めていた。
ーむなくそ悪い、システムだー彼は、オートマターが戦争において合理的な機械であるとは認めていたが、そこに戦いの意思がないことが、どこか腑に落ちなかった。
戦いは、人の強情な意思と意思のぶつかり合いであるべきだ。そしてより強い意志が、勝つのだと思って居た。
ー角谷は、オートマターを使うだろうか?ーそう思いつつ、過ぎ去って行くゲートから、目を進行方向に向けた。ーいや、使うのが尤も合理的な判断だ。なにより構造物に被害を与えず、刃向かうものだけを抹殺しつくすのだから。-
ーいや、考えるのはよそう。私にはもう関係のない事だ。後は、若い者達が、破壊と創造を繰り返して歴史を紡ぐだけだ。それよりは、自分の身の回りのことを考えねばー彼は、そう思うと、自分で隠居すると言いながら、これから何をすれば良いのだろうかと、まだなにも決めてない自分の中に、虚無感を感じ取った。それは、未知数の希望でもあり不安でもあった。
一般道に出ると、緑化計画により道路沿いは緑に覆われるようになっていった。一般の家や、店も道路沿いにあらわれてきた。しかし、この辺りの産業の多くは、軍と言う組織を相手にしたものが圧倒的に多い。
彼はじっとふさぎこんで考え続けていた。やがて車は彼の家の前で止まったが、彼はドアが開いてもなかなか席を立たず、催促する音声でようやく深い長考から現実に戻ってきた。
彼が車から降りると、音も立てずにそれは来た道を戻るように去って行った。家の前で佇み。周囲を見回すと、緑化事業のために、宅地として開発されたこの付近は、背丈は小さいが草木を方々に見ることが出来る。
そして彼の家の小さな庭には雑草が生い茂っていた。長い老後を、この小さな家で何をしてすごすべきか。その事始めに、先ずはこれを刈り取るか…彼は、そう思いながらドアのロックを解除した。
上がり框はないが、狭い玄関で靴を脱いでそこに置きっぱなしのスリッパに履き替えた。
家の中は埃っぽい匂いで充満していた。妻は遠い昔に離縁して出て行き、子供も自立してどこに居るのかさえ分からなかった。家事を行うロボットも家には置いていなかったので、家の中を歩くたびに彼の足跡が床に残された。
そもそも離婚後は、家に帰るだけで憂鬱になったので、彼はほとんど軍の宿舎に住み着いていた。家に入るのは、何年ぶりだろうか・・・と物の少ないダイニングキッチンを見回した。埃が溜まったテーブルには、カバーが掛けられたPCが居座っていた。
家に居ても、食事はほとんど外で済ませ、帰ってもPCでクラウド上にある仮想PCを用いて仕事をしてばかりいた。カバーを外して、PCを立ち上げると、まだ元気そうにOSが起動を始めた。
ーおやおや、結構動くものだなーそう感心しながら、個人IDでメールアプリを起動した。
メールを見ると、長年の仕事に対するねぎらいのメッセージばかりが埃のように積もっていた。彼はそれをひとつづつ開いては、返事を送った。その中にひとつ思いもよらぬ人物からのメールが入っていた。会いたいとだけ一行。かつての妻であり、ステーションの独立運動の活動家だ。
妻は、最初からその手の運動の活動家だったわけではない、彼が軍の仕事としてステーションから自治を奪う軍務をこなす度に、憂いを感じるようになり、彼の仕事をなじったものだった。妻もまた、遠いステーションで育った過去を持っていた。
そして、リベラルな活動家のグループに入ったのが判明すると、同時に離婚することになった。それは、彼の一存というより軍の指示に従ったものだった。
「なんだ、いまさら」彼は元妻のメールをあっさりと閉じて次のメールを開いた。律儀に他のメールにたいする返事を綴っているうちに、いつの間にか日が暮れていた。
最後のメールの返事を終えたとことで、思わぬ空腹に気が付いた。しまった、と彼は舌打ちをした。日々の生活場所といえば、空母の中か、港の近くにある宿舎ばかりを利用しているため、殆ど帰ることのない自宅には食料らしいものは何ひとつ置いていない。
外に出て店を探すのも億劫だった。それでも、なにかないかと彼は冷蔵庫を開けた。かなり昔に何かを放り混んでいないかと、記憶外の期待だけしかなかったが、冷蔵庫には彼が好んで飲んだ缶ビールと手紙があった。
「お帰りなさい、近くに用事があったので寄ってみました。
相変わらず何もないから掃除はしやすいかな、
居るとは思っていなかったけれど、貴方の好きな銘柄のビールと
保存の利く冷凍食品を入れて置きました。
よかったら食べてね。
追伸、ドアのロックのセキュリティ番号を変えないと泥棒が入るぞ
J」
日付は、一年前のものだった。
「なんでまた…」彼は、ビールを手にとって、フリーザをあけた。そこには、幾つもの四角いパックが積み重ねてあった。
彼は、そのうちのひとつを手にとったが中のものは確認しないまま、表面についているICチップをもぎ取り、パックをレンジに入れるとそのチップをレンジにかざした。するとレンジのドアがロックされブーンをいう音が漏れてきた。レンジの扉に、残り時間が表示された。
レンジが食品を調理している間にすきっぱらにビールを注ぎこむと、彼は思わぬ刺激に顔をしかめた。
昔は、こんな空腹で疲れた状態でも大きなジョッキでビールを一気に飲み干したものだが、今はその冷たさと炭酸の刺激に胃が悲鳴をあげる。彼はゆっくりと二口目を飲んで、レンジのタイマーがカウントダウンをして行くのを見つめた。缶ビールを一本飲み干したときに、レンジはチンと高い音を奏でた。彼はレンジから容器を取り出すと、それをパソコンの横に置いて、料理の蓋を開けた。温かな湯気が立ち上り、白飯と煮魚と根菜の煮物が入っていた。これなら味噌汁でもあればいいのにと思いながらも彼は、冷蔵庫からビールをもう一本取り出した。
そのとき固定電話が鳴った。人事は未だ働いていてもおかしくない気がしたので、緊急の用に思え彼は受話器を取った。退職の事務手続きに誤りでもあったのか?と不安がよぎった。だれでもその年齢になれば定年退職をする、ほとんどの人はそこで一生に一度の書類を書くことになる。書いた経験のある人間は、当然辞めていて書き方を訊くのも憚れる、なので、書類には自信が持てなかったからだった。
。
「お久しぶり」声は別れた妻だった。
「なんで、居るのがわかった」
「ふふ、煮魚弁当を食べたのね」
「変なチップを仕込んだのか」彼はレンジを見た
「ご名答、あなたがちゃんと食べたか、知らせを受け取ることができるように、チップのデータに設定をしてあるわ、そういう意味ではちっとも変じゃあないわよ」」
「ふん、そうならせめて味噌汁でもいれておけ、でなんの用だ」
「味噌汁は今度考えておくわ。用はメールの返事がほしいだけ」
「会う理由はない」
「退職をした今でも?」
「今でもだ」
「私は会いたいな」電話の向こうの声が甘く響く
「なんでいまさら」
「だから、退職したから。」
「軍の情報は流さないぞ」
「わかっているわ、ただ今なら互いに会っても不都合はないかなと思ったの、どうせ暇でしょ?」
「家事が山ほどある」彼は、これからの日々することになるだろう。掃除や草むしりの事を考えた。料理も覚える必要もあるだろう。
「あら、そんなのやってあげるわ。貴方がいないときに時々こっそり私が掃除してあげたのよ。」
「なるほど、それで少しはきれいなわけだ」あの埃の溜まりよう、雑草の伸び具合でいいとこ年に一回くらいだろうなと彼は思った。
「まぁ、年に一回くらいだけどね。やってないよりはマシってものでしょう。ねぇそれより何時会える」
「あくまでも私的な意味だけなら、来週でいいか?」
「オーケー、東京にこれる?」
「チケットが取れたらな」
「じゃあこっちでとっておくから」
「え?」
「出発は5日後ね。任しておいて、一番早いやつ予約しておくから。そうそう、真理も呼んでおくわ」
「真理か、今何をしているんだ?」
「普通にOLやっているわ。ツリージャーナルで働いているわ。あんたにも、わたしいも付きたくないって、中立で立場で考えたいってね。私の方の仕事にも靡いてくれなかったのよ」
「それは良い知らせだ」
「まぁ、でもあの子は自分なりに平和主義を唱えているわ」
「平和か」彼にはその言葉が虚しい響きに思え、思わず追従して口走ってしまった
「目の届かない世界では、常にどこかで不条理に命が断たれているというのにね」元妻の声は、悲しそうだった。
「人間が存在する限り争いの火の粉は常にたっているものさ。そうでなければ軍人という職業は不要だ」元妻の言葉に対峙するように、彼は言い放った。「軍人は、戦いの場では、市民を守る為の存在ではない、体制を維持管理する力だ。体制を壊そうとする者に対して、力で対処するのが、仕事だ」
「私は、そういうあなたの反作用でこうなったのかもね」古女房がくすりと笑った。「反逆者は、いつの世にでもいるわ、どんな政治をしたって、その権力下に住んでいる人々の全てが、その体制に満足しているとは言えないもの」
「あのな…」
「何?言いたいことがあるの?」
「弁当が冷めるからもう切ってもいいか?」
「あら、ごめんなさい。」元妻は、笑いを含ませて詫びた。「じゃあチケット送るからね。必ず来てよ」そして会話は途絶えた。
彼は、しばらく受話器を見つめてから、食卓を兼ねた作業机に戻り、少し冷えてしまった食事に取りかかった。人命を守る為に働くなら、命を奪う事になる敵の命は、そもそも無きに等しい。全ての命を救うなら、兵士は要らない、皆がヘレンケラーであればいい。
彼は、食事を無造作に口に入れた。




