普通の人々2
河瀬の目がタブレットから離れたのは、一人の男性の声を耳にしたからだった。ここには居るはずの無い知人の声だった。彼は暫くきょとんとして辺りを見回し、やがてその声が、店内にあるテレビから流れてきたものであることを確認した。
<鷹取…>彼は男の名を口に出しそうになりつつも、息を呑んで画面を観た。映像は、横一列に並んだ俳優達とその真ん中でインタビューを受けている旧友を映していた。
「監督、今回はCGを余り使わない方針だとか?」インタビューアーが、話しを振った。
「んー、決してそういう訳ではないけど、ヒューマンドラマとして仕上げたいから、本当の所、使う積もりはありません、その代わりとは言っては、ここに居る俳優さん達には各自その役になりきってもらって、アドリブを多用して貰おうかなと思っています」
「それは、かなり厳しい注文じゃありませんか?台本にないことを語ったりするのですよね?」
「いえ、一応詳細な台本もありますから、台詞を変えろとかいうのではなくて、演技の上でたとえば、些細な身振りとかで表現をもっと高めて欲しいと要求はしています」
「どうですか?今村さん監督の注文は?」マイクは鷹取の隣にいる女性に向けられた、
「いえ、役者として当然の注文と思っていますから、むしろやりがいがあります。」女性は、笑みで答えたが、河瀬は視線をずらした。
「そういえば、最近お二人の仲が取り沙汰されていますけれど、本当の所はどうですか?」インタビューアの質問が、ずきんと彼の胸に突き刺さった様な感じがした。
「あら、学生時代からの長い付き合いだから、むしろお友達というのが本当なのですけど。ちょっと騒がれ過ぎて困るわね」女性の、困ったような声。河瀬は、深い息をつくと指を動かしてタブレットを操作した。
「学生の頃から結構一緒に遊びに行ったりしているからね、誤解を生んだのは、こっちの配慮に欠けた所があったかもしれません。今村さんのファンには怒られそうだけど、綺麗な女性とそういう風に言われるのは、僕としては嬉しいよ」鷹取の声は、更に重く感じた。
河瀬の指がまた停止した。そして目をタブレットに戻した。彼の耳の奥で先月、この二人と電話で話した会話がまた蘇った。ごみ処理施設から4畳半一間の部屋に戻り、夕食前に一時だけ体を休めていた時だった。
「久しぶり、そっちはどうだい?」と鷹取 洋二は、彼が電話に出るなりいきなり訊いた。
「まぁ、なんとかやっているよ」彼は答えた。そうぎりぎりのところでなんとかやっていた。そして今より下の生活は考えられなかった。
「今度、映画で俳優ロボットを使うのだけど、一緒にやってみないかい?」彼の声はよく通った。しかし、彼の耳には雑音に近いものに聞こえた。
「ありがとう、でも…」彼は、断りたかった。しかし断りの嘘を咄嗟にだせないまま口ごもった。二人の前に姿をみせるなんてまっぴらごめんだ。
「なんかあるのかい?、頼れるアテが君しかいないんだよ。あのさプログラムだけでもなんとかならないかい、ネット経由で送ってくれれば、そっちでも時間もとらずに出来るだろ?」
「仕様を貰えれば、出来ると思うけど」しまいこんだタブレットが、動くかどうかも分からないのに受けるなんて無謀すぎる。にもかかわらず、出てきた言葉はそんなものだった。断り下手だ。河瀬は自分の事を常にそう思っていた。そうしていつも貧乏くじばかり引かされる。
「そうかい、じゃあ頼んでいいかい」
「ああ、期日は何時だい」
「その辺も仕様とまとめて送るからさ、そうそう今、涼子も傍にいるんだ…ちょっと声を聞かせてやりなよ」
「あ…」彼は、一瞬たじろいだ。
「あ、河ちゃん!元気してる?」明るい声が聞こえた
「あ、うん」いまや女優となった今村 涼子は、彼の知っていた女性とは遠い存在になってしまった。若い頃は、彼女に想いを寄せていたものの、結果的には、友人の鷹取に奪われる事になってしまい、その現実から半場逃げるようにして彼は此処にたどり着いた。鷹取を選んだのは、彼女の選択の結果であるに過ぎない。彼にとって腹立たしいのは、鷹取が彼女のパートナーということではなく未だに想いを寄せている自分にだった。
「涼子はどう?」
「うん、元気。実はいよいよ鷹ちゃんと結婚するの…これはトップシークレットだから誰にも言っちゃだめよ。で、式には来てくれるよね?」おいおいと近くで鷹取の声が聞こえた。
「やっとだね、おめでとう。行けたら行くよ」行けるものなら…しかしこんな辺境のステーションからは無理だろうなと思った。そして、彼は、やっと片想いにふんぎりがつけることが出来るだろうかという安堵しつつも、とうとう本当に手が届かなくなったことに悲しみを覚えた。
「やだ、絶対来てよ」
「ああ…」
「あ、鷹ちゃんがまた話したいって」
「脚本はあがっているから、仕様は速攻で送るからさ、で、お前、来いよな。俺たち二人ともお前の顔を見たがっているのだからな…」
「分かった」
「じゃあな、頼むよ」
そんな事を言っても、辺境のステーションから出る船は少ない、このステーションを経由してゆく筈だった目的地のステーションは、近隣の惑星で発生した戦乱に巻き込まれてしまい、ここからもう先には進めない。そして戻る金も彼には無かった。
ここには、彼と似た境遇の者達ばかりが住み着いていた。戦乱の前にその惑星で発見された鉱山の開発で一攫千金を目指していた人々、それに付け込んで商売をしようと目論んでいた人々そのほとんどは片道切符しかもっていなかった。誰も帰る金などいくらでも稼げると思っていたからだ。
ロボット技術者であった河瀬も、鷹取と今村の影から逃げるように、遠い入植者の惑星を目指した。当然そこで必要になる筈のロボットのメンテナンスの仕事を当て込んでという事もあったが、なによりそこで<奇妙な現象>が見つかったという知らせに、好奇心を煽られたことが「逃げる」という言葉を使うことなく二人の前を去るのに良い口実になった。
足止めを食っても最初の内は、彼もステーション内でも仕事にありつけた。そうでない奴は、タンスターフルという叫び声に飲まれて宇宙に放り出された。
遠い昔にSFで生まれた言葉がここでは現実だった。生きるための全てがここでは有料だ。酸素も擬似重力もその恩恵に与かる者は全てこれを税で収めなければならない。ここを動かしているのは、ステーションの政府ではない。経済と情報が全てを包み込んで。彼らの生活を日々動かしている以上、経済活動の中に居ない者は即座に排除される。
しかし、一山を当てようと目指してやってくるものは、戦乱の情報を知らないのか単に無謀なのか跡を絶たず増えるばかりだった。そして、戦乱を逃れて戻ってきた人々も、このステーションから更に戻るための金銭が無いために、このステーションで腐っていた。
帰る術も仕事も無い人々を流石に放りだしてばかりも行かず、ステーションを維持する側としてもなんらかの仕事を与えるしか無くなった。そこでロボットの多くが停止させられ、その仕事を人間に回した。しかしその反面ロボット技術者は職を失った。それが彼だった。
それでも、このタブレットだけは捨て切れなかった。これさえも捨ててしまったら、自分に残るものは何もない。