普通の人々1
河瀬 隼人は毎日、宇宙ステーションの最下層に位置するゴミ処理場で働いていた。そして、給与として、このステーションで生きるための酸素権と食料券を貰っていた。それ以外で必要な物を買う為の現金は、仕事中に見つける事がある廃棄物で未だ使えそうなものを、こっそりと売りに出して小銭を得るのが常だった。
河瀬の食料券の一枚はいつも「おふく」で茶漬けを食べる為に使われた。彼は何時もそれを掻きこむようにして食べた。
酒も何年も飲んでいない、惣菜も頼めもしない。この券で食えるのは、狭い通路の脇で売っている安物の弁当か、ここの茶漬けくらいしかない。
腹を膨らませるにはまだ弁当の方がよかったが、狭く殺風景な部屋で日に2度も冷たく不味い飯を食うのは、彼には耐えられなかった。仲間はそんな彼を贅沢者と言った。昔はよほど良い生活でもしてきたのだろうさと陰口を叩く者も居た。
この仕事を始めてから彼は、夕飯時になると何時もこの店に立ち寄っていたので、店の女中達は河瀬がくると「茶漬けが来た」と呼ぶようになっていた。店は一階がテーブル席であり、二階は座敷になっていた。
なので、一階は主に食事客が、二階は宴会の客と決まっていた。当然彼は、二階に上がったことは全くなかったが、その中に男女の逢瀬専用の部屋あるということは仕事仲間から聞いたことがあった。
その日も河瀬は、一番奥のテーブルに座った。彼の顔を見た瞬間に長尾 由美は伝票を書き、厨房に注文を入れた。そして河瀬は、テーブルに古ぼけたタブレットを置いてなにやら複雑な式をそこに書き始めた
由美は、煎茶風味の飲料を盆の上に乗せて河瀬のテーブルに置いた。「おふく」では全員着物を着ることになっていて、由美もそれに倣っていたが、この様な辺境の宇宙ステーションでは、布地が非常に少ないので数年も同じものばかり着ているしかない。
いくらナノテクノロジーによる糸や顔料の再生処理を施しても色が褪せ、ほつれも出きてしまう。そのほつれができた袖を隠す為ではないが、由美は手際よく白い襷を掛けて袖を上げ長い髪をアップに整えた、その所作の間にも、目は河瀬のタブレットを見ている。
「河瀬さん、なにそれ?」河瀬は、話しかけられた事がさも迷惑そうに目を細めながら頭をあげた。彼の服は、年がら年中灰色の作業服だ。髭はいつも不精髭のまま、頬はこけているが、ただ目だけは爛々とした猫の目のように光っていた。彼は由美を一瞥してからまた目をタブレットに戻し、「ロボットの感情制御開発に使うタブレット」とだけ言った。
「長尾さん」と厨房から声がかかり、由美は一旦戻ると、盆に茶漬けと香の物を入れた小鉢を乗せて戻ってきた。それをタブレットの邪魔にならないような位置に置くと、それに応じる様に河瀬はそっと一枚の茶色い皺だらけの紙をテーブルに置いた。食料券だった。
由美はそれを無造作に手に取ってから、また彼の前の席に座った。何か言いたげでいて、それを切り出せないでいる、そんな体を由美は見せていたが、河瀬は顔をあげて「何?」とも聞こうともせず茶漬けを一気にかきこむとまたタブレットに向かった。
結局、由美は盆に空になった茶漬けの茶碗を乗せて戻るしかなかった。それから何人もの客が来ては食事を済ませて帰って行った、しかし河瀬だけは、そのテーブルは自分のものであるかのように黙々と一人でタブレット上でペンを走らせていた。