ある奥方の英断 ~こんな家族でも良いですか?~
「もう一度仰ってくださいませ」
「.....以前別れた女性が子供を産んでいた」
何時なら獅子の鬣の如く靡く金髪を萎れさせ、お通夜のような顔で宣うのは、夫であるオーギュスト。成り上がり男爵ではあるが、仕事は出来るし誠実な男性でもある。
そんな夫に隠し子発覚とは.....。世はままならないモノだと、サフィーは思った。
「お付き合いはいつ頃?」
「十年ほど前か..... 私が振られたのだ」
聞けば、二股、三股と殿方を渡り歩く女性だったらしく、適齢期に一番条件の良い伯爵を結婚相手として選んだらしい。
なんというか、まあ、逞しい女性だこと。
早々に子供にも恵まれ、幸せな家庭を築いていたのだが、その長男が赤毛で周囲は訝っていたのだと言う。
件の女性はブルネット。結婚相手の伯爵は青銀の髪で、赤毛が生まれる要素は薄かったからだ。
ただ、伯爵側の曾祖母に茶髪の方がいて、隔世遺伝かもしれないと夫婦は納得していたと言う。
「私も金髪だし、まさか、あのような事になろうとは.....」
他の御相手にも赤毛はおらず、件の女性自身も伯爵の曾祖母に似た子供が生まれただけだろうと思っていたらしいが、ここにきて、十歳の洗礼を受けた子供が、氷の魔力を発現し、さらには髪が金髪に変わってきたという。
伯爵家は焔の魔力の家系。まれに土や風の魔力を発現した者もいるが、まかり間違っても氷の魔力は発現しない。
赤毛が金髪に、金髪が赤毛に変貌することはままある現象だ。そして極めつけは氷の魔力。
オーギュストが成り上がった理由である。
極々稀にしか生まれない氷の魔力を保持していたがために、貧乏子爵家の四男坊だった彼は爵位を得た。
だから、その女性の息子は間違いなくオーギュストの子供なのだろう。
そして女性は不義の子を産んだとして伯爵家を息子と共に追い出され、ただいま路頭に迷う寸前なのだとか。
女性の実家も恥知らずな娘を受け入れず、絶縁されてしまったらしい。
そんなの、もう他に方法がないではないか。
「わたくしと結婚して三年ですか。短くも儚い結婚生活でしたわね」
「サフィーっっ?!」
血相を変えるオーギュストを抑え、サフィーは現実的な話を始めた。
「宜しいですか? 相手は貴方の子供を連れているのです。しかも氷の魔力を発現している。これで男爵家は安泰でしょう。.....そんな我が子を、貴方は見捨てられまして?」
至極真っ当な妻の言葉に、ぐっと詰まりつつも、オーギュストは果敢に勇気をふりしぼる。
「私達の養子として引き取れば良いではないか。彼女には悪いが、生活の面倒は見よう。しかし私は妾を迎えるつもりはない」
確かに、そのような方法もあるだろう。だがサフィーは女性という生き物をよく知っていた。そして隠し子の母親という方は、オーギュストの話に齟齬がない限り、十中八九、サフィーが最悪だと感じる女性に違いない。
素直に囲われるタイプではなさそうだ。子供を盾に正妻の座を狙うタイプにサフィーは思った。
ふうっと溜め息を吐き、彼女は申し訳なさげなオーギュストを上目遣いに見る。
「まあ、お好きに頑張ってごらんなさいませ。もし引き取れるのならば、母親がわりに育てることは吝かでありませんわ」
サフィーの言葉に満面の笑みを浮かべるオーギュスト。
不貞でも裏切りでもない。サフィーと結婚するずっと前に終わった関係だったのだ。オーギュストを罵るなどは出来ない。
だけど、馬鹿な女に引っ掛かったものね。
かくしてオーギュストは件の女性に話し合いを持ち掛けた。
場所は男爵家。居間にはオーギュストとサフィー、それと問題の女性とその息子。
落ち着かない様子で座る男の子に御菓子を与え、オーギュストは使用人達を下がらせる。
「一言よろしいかしら?」
話し合いが始まる前にサフィーが軽く右手を挙げた。
頷く二人を一瞥し、サフィーは淡々と言葉を紡ぐ。
「わたくしは、どのような結果になろうとも従います。ただひとつ。子供の未来を最優先で話し合ってくださいませ」
妻の座を寄越せというなら差し上げよう。別居で自由に暮らしたいというなら、それでも良い。ただ、子供を疎かにする事だけは許さない。
そう断言し、サフィーは二人に話し合ってもらうことにした。
「随分と.....物分かりの宜しい奥方様ですこと」
「サフィー.....」
信じられないモノを見る眼で瞠目する女性と、すがるような眼差しのオーギュスト。
「子供は親を選べないのです。なれば、大人が子供のために最大限努力すべきでしょう」
聞けば母子は手切れ金にもらったお金を使い果たし、今は宝飾品を切り売りして安宿を転々としているという。
そんな最悪の環境に子供を置いておける訳はないか。
薄汚れ、オドオドとサフィーを見上げる可愛らしい子供。
「御名前は?」
微笑むサフィーに男の子は答えた。
「.....ラウールです」
「そう。お利口ね。お話が終わるまで待っていてね」
柔らかな声音に安心したのか、ラウールはポリポリと御菓子を食べ始めた。
そんな暢気なサフィーとラウールを余所に、オーギュストと女性のゴングが高らかに鳴り響く。
「だからっ! 何不自由ない生活は約束すると言っているのだっ!! 代わりにラウールを私達の養子として引き取りたいっ!!」
「わたくしには何の権利も持つなと仰りたいの? わたくしの息子です、母親として傍にありたいのは当然でありましょう?」
二人の意見は堂々巡り。
オーギュストはサフィーと別れる気はなく、女性を妾にする気もなく、ラウールのみを引き取りたい。
その対価として十分な金子を支払うの一点張り。
女性側は我が子と暮らしたい。常に共にありたい。妻とまでは言わない、妾でも良い。別邸に住むのでも良い。とにかく息子と別れたくはないと主張している。
「だが、現実的に君がラウールを育てるのは無理だろうっ?」
「だから養育費を御願いしているのですわっ! 貴方々の間に割り込もうなどとは思っておりませんっ! ただ、親子で安心して暮らせるだけの援助を下されば宜しいと申しておりますのよっ!!」
耳を欹だてていたサフィーは、何故か頭が混乱していた。
てっきりオーギュストの妻の座か、妾だとしても多額の金子を要求してくるものだと思っていたからだ。
彼から聞いた話から想像した女性とはかなり違う。サフィーが見るに堅実でしっかり者のような印象を受けた。
そんなサフィーの冷静な分析を余所に、二人の口論は白熱していく。
「そんな勝手が通るものかっ! 息子は渡さないけど金は欲しい? どうせ、自分の贅沢に使うつもりだろうっ! 私の子を人質にして男爵家から搾り取るつもりなのが見え見えだっ! 息子を渡さないなら、金子も出さんっ!!」
それも確かに有り得る。
激昂してはいるが、まだオーギュストは理性的だった。
御互いに譲らない言い争いが続き、しばらくして、とうとう女性が泣き出してしまう。
「子供と一緒に暮らしたいというのが、そんなに贅沢な事なのですか? わたくしだって、まさか貴方の子を宿しているなんて思いもしなかったのですよ?」
それはそうだろう。だが複数と関係を持っていたこと自体が宜しくない。
女性は結果的に嫁ぎ先の伯爵も、オーギュストも騙した形になってしまったのだ。
二人の言い分は其々が理にかなっており、落としどころを見つけられず、サフィーも頭が痛くなってくる。
そんな大人達の間で蠢く人影。
すすり泣く女性にラウールがしがみついていた。不安げに自分を見上げてくるラウールに、サフィーは首を傾げる。
「お姉さん..... お願いします、お母様を苛めないで?」
何故に、わたくしに?
「この際、もう使用人でもかまいません、ラウールと暮らせるならば何でも良いっ!」
必死な母子を睨みつけつつ、それでも首を縦に振らないオーギュスト。
一度騙された形になっているのだから、おいそれと彼女を信用出来ないのだろう。
ラウールは大きな瞳を揺らして、じっとサフィーを凝視している。
しばし考え込んでから、ふとサフィーは気がついた。眼から鱗がポロポロ落ちる。
なんということでしょう。
女性はラウールと安心して暮らせる事だけを望んでいるのだ。他には何も要らないと。
安心して暮らすには金子が必要。だが、女性にはそれを得る手だてがない。だから、それだけを援助して欲しいと望んでいる。
木を見て森が見えなくなっていたのだ。よくあることだった。
最初から、何も問題はなかったんじゃない。
ふうぅぅーっと長い溜め息をつき、サフィーは肺の中の淀んだ空気を全て吐き出すと、優美に微笑む。
「旦那様」
しっとりとした口調で呼ばれ、オーギュストは隣にサフィーが座っていた事を思い出した。
「あ..... ごめん、忘れてて。酷い姿を君に見せたね?」
「そんなことは、どうでも宜しいのよ。取り敢えず解決してしまいましょう?」
女性とオーギュストが、ばっとサフィーに視線を振る。ラウールも期待に満ちた眼差しでサフィーを見つめていた。
「同居いたしましょうっ!」
にっこり笑って宣う妻にオーギュストは絶句し、思わぬ提案で女性も涙が引っ込んだ。
「同居って.....?」
訳が分からないという顔の夫に苦笑し、サフィーは説明した。
オーギュストはサフィーと別れる気はなく、妾を囲う気もない。だが息子の面倒はみたい。
女性は安心して子供と暮らせるだけで良い。妻の座も妾にもならなくて構わない。
「使用人でも良いから子供の傍に置いてくれと仰るのですよ? 貴方は鬼ですか? オーギュスト」
ピシャリと言い放たれ、オーギュストは言葉に詰まる。
「だから同居いたしましょう? 衣食住と毎月のお小遣いを保証しますわ。代わりにラウールの親権を旦那様にくださいませ。同じ屋敷で仲良く暮らしましょう」
男爵夫妻とラウール親子が同居するだけ。どちらも望み通りの生活を送れるではないか。
「よろしいの?」
再び涙を溢して嗚咽をあげる女性に、サフィーは快く頷いた。
「わたくしの中では、最悪、離婚まで考えておりましたから。居候の一人や二人、どんとこいですわ」
そしてオーギュストをチラ見し、サフィーはわざとらしく咳払いをする。
「うちの旦那様は、居候の一人や二人を養えないほど甲斐性なしではございませんもの」
ねぇ? と目配せされ、慌ててオーギュストは襟を正した。
「無論だ。.....サフィーがそれで良いのならば」
「.....ありがとう存じます」
泣き崩れる母親にすがりつくラウール。
こうして夫婦の危機は去り、奇妙な家族関係が始まった。
サフィーは母屋に同居で構わないと言ったのだが、女性は離れに住むことを望み、結局は別世帯のように暮らしている。
そんなこんなで数日がたち、二つの家族の経過は良好。元気に母屋と離れを行き来していたラウールに、ふとサフィーは疑問が浮かんだ。
「そういえば、あの話し合いの時わたくしをずっと見てたわよね? どうして?」
軽く眼を見開き、ラウールはもじもじと指を絡ませる。
はにかむ笑顔が可愛らしい。
「お姉さんが一番強そうに見えたから.....」
はい?
思わず呆けるサフィーの後ろでオーギュストが大きく頷いた。
「間違いない。.....離婚を仄めかされ、私は生きた心地がしなかったしな」
過去の事とはいえ、隠し子がいたと聞いても狼狽えず、むしろその子供のために離婚すべきと言わんばかりの妻の剣幕に、オーギュストは全身が凍りついた。
ここで、しっかりと相手を突き放さねばサフィーに見捨てられるかもしれない恐怖から、死に物狂いで女性と対峙したのである。
「ホント..... 怖かったよ、うん」
はいぃぃ?
眼を点にして固まるサフィーに噴き出して、男爵親子は楽しそうに笑っている。
「君が妻でなくば、この結果はなかっただろうな。こんな家族でも良いじゃないか」
確かに。終わり良ければ全てよしかな。
奇妙な二世帯の住む男爵家は、密やかな噂の的となるが、本人達は気楽なもの。
ラウールは母親をお母様と呼び、サフィーを母上と呼んで、今日も周囲を混乱に陥れている。
後に氷結の悪魔と呼ばれる少年の複雑な生い立ちは、ここから始まったのだった。
とっぴんぱらりのぷぅ♪