解決の兆し
「ノウマクサンマンダバザラダンカン!」
誰かの声が聞こえて、扉が急に開かれた。暖かい空気がたくさん流れ込んできて心地良い。ふと電子音が鳴って手元を見ると、温度計は10℃を示していた。
教室に入ってきた人は、小柄で和服で白髪の……ん? 秀さん?
秀さんは奥に進んでカーテンを開けると、教室の窓を全開にした。本来なら寒いはずなのに、教室の中が寒すぎて外の風が暖かく感じる。
「またお前らか……。お、園田も。災難だったな」
随分と軽い反応。
でも見知った人が来たおかげで、ようやく体から力が抜けた。そのとき唐突に右隣の扉が開いて思わず後ずさる。入ってきたのは北川さんだった。
「何があったか説明できますか?」
北川さんは私の持っている温度計を見て強張った顔をする。安全確認の前にこう聞くところが、北川さんらしくて(私が何を知ってるのかっつー話だけど)安心した。
「教室に入った時点でちょっと寒かったんです。向こうの三人組はずっとこっくりさんをしていて、私はここで温度を測っていました。そしたら急に背後の扉が閉まって……教室が揺れ始めたんです。カーテンも閉まって、息が白くなるくらい寒くなりました。……向こうの三人の足元に黒い影が見えて、多分それが誰かの足をかすめたと思ったんですけど……それで、誰かが悲鳴をあげました」
「扉は開きませんでしたの?」
「はい。びくともしませんでした」
「影の大きさはどのくらいでしたか」
「高さは膝より下くらいで……猫みたいな大きさだったと思います。曖昧ですけど」
「ありがとうございます」
北川さんに温度を記録したメモ帳を渡そうとして、持っていないことに気がつく。落としたのかな?
しゃがんでドアと掃除ロッカーの隙間を除いた時――確かにメモ帳もあったのだけど、奥の壁に、何か貼ってあるのが見えた。
「あれ……?」
「どうしましたの」
北川さんが上から覗く。指を差してみると「取ってくださいまし」と言われた。セロハンテープでくっついているけど、埃っぽいから簡単にペリペリ剥がれる。
「これ、お札……?」
「…………お札、ですわね」
薄い黄ばんだ紙に描かれたうねうねした模様。北川さんはさっきよりも険しい顔をしている。
「……まさか……」
そう呟いた途端北川さんは秀さんの方に行って、話し込んでしまった。私はただそれを見ているしかない。
真冬の屋外から暖かい家に入ったときのような疲労感だ。自分の呼吸の音とか、じんわり温まってくる体に生きてる実感が湧く。
少しすると田中先生と西園寺さんも教室に入ってきた。その二人の他にも、外に先生方がわらわら集まっている。どうやら悲鳴を聞きつけて人が沢山来ているようだ。
三人組は秀さんから先生達に引き渡されている。……いつの間にか机の上の紙と10円玉が片付けられていた。もしかしたら加島先生に見つかる前に、秀さんが隠したのかもしれない。
気がつくと田中先生が心配そうにして隣に立っていた。
「灯ちゃん大丈夫?」
「あ、はい……。どうなることかと思いましたけど、皆さんがすぐ駆けつけてくれたおかげで」
「良かったあ……!」
泣きそうな顔をしたかと思えば、抱きしめられた。身長が高すぎて何も見えない。
「ちょっ、田中先生! 苦しいですって」
「あ、ごめんね」
溢れそうな涙を手で拭っている。なるほどこれが西園寺さんの言っていたやつか。確かに嫌な人は嫌だろう……けど、今の私はなんだか安心していた。それに、泣くほど心配されて嫌な気はしない。
田中先生が腕を解こうとした時――誰かが顔を出して――。
「あ、灯⁉︎」
「エイプリル……」
「あっ、エイプリルちゃん!」
目が合う。……これは、修羅場?
「何をしてるのよ」
「……勘違いだと思うよ」
エイプリルは頬を膨らませる。うう、ごめんって、私からじゃないんだから。
「灯ちゃんがなんか危ないのに巻き込まれちゃったみたいでね、大丈夫みたいで安心したから……」
いつものくりくりした瞳でキッと私を睨みつけると、私と田中先生に横から抱きついた。
「灯! そういうことなら言えばいいのよ! 知らない間に巻き込まれて知らない間に立ち直っちゃって……」
しばらく三人でわちゃわちゃやっていると、北川さんが戻ってきた。……手に、四枚のお札を持って。
「何をじゃれあっているんですの」
「あ、北川さん、それなんですか?」
無邪気にエイプリルが聞く。
「護符ですわ。教室の四隅に貼ってありましたの。それでは皆さん、一度多目的室に戻ってから、次は護符を探しますわよ。エイプリルさんは途中で来ましたの?」
「あ……えーっと、一年生の教室は全部できました。二年をやろうと思った時に、下の階がざわざわしてたので来てみたんですけど」
「分かりましたわ。残りの教室は田中先生と西園寺さんに任せます。除霊を済ませるまで、ここ三年四組と女子更衣室、職員室には必ずあたくしか秀さんと一緒に来るようにしてくださいまし。職員室はこの後秀さんが除霊します」
事態は、唐突に動いたのだった……。
「ねえ、美保ちゃんは護符って言ってたよね」
田中先生が机に腰を下ろしながら言う。西園寺さんより一足先に室温を測り終わったらしい。
「はい、言ってましたよ」
エイプリルが不思議そうにすると、田中先生は「いや、ね?」と説明を始めた。
「護符ってことは、要は守ってくれるお札ってわけじゃん。なのに手に持ってたってことは、きっと剥がしたんだよね。次は護符を探すって言ってたし、見つけたら剥がすんだろうけど……どうしてわざわざ護符を外すかな」
「ほんとだー、剥がしちゃったらダメな気がしますよね」
「……じゃあ護符があったら逆効果とか?」
試しに呟いてみると、思いがけず「それ!」と反応された。
「それ俺も考えたの! たまにさ、本物か偽か分からないような拝み屋が『盛り塩は霊を閉じ込めることもある』って言うから、まさかそういうことかなって思ったんだけど」
「そんなことを言ってる人がいるんですか?」
「あはは、秀さんに行き着くまでは何人もの偽に当たったんだよー。でね、もし護符が霊を閉じ込める役割をしていたなら……納得できることが多いと思うんだ」
あの北川さんの強張った顔。護符は四枚。確かに、四隅に貼って霊の流出を防いでいたと考えるなら辻褄が合う。
……今までに心霊現象が起こった場所。女子更衣室、職員室、最後にさっきの三年四組。これって全部加島先生が関わっている場所なんじゃ……。
「もしかして加島先生ですか」
「そう! やっぱそう思うよね。本人は善意のつもりで、あくまで教室を霊から守る為に貼っているのかもしれない。それがかえって逆効果だったら……」
嫌な気分になる。生徒達に押し付けがましくお札を渡した加島先生なら充分やりそうな気がした。
「美保ちゃんと秀さんで女子更衣室、職員室、三年四組を除霊して、加島先生にはもう余計なことをしないように言って、更に生徒達のこっくりさんブームも止めて……って、多忙すぎるよ」
「…………あっ」
エイプリルが何か言ったかと思うと、勢いよく立ち上がる。
「た、た、田中先生! 校舎……っていうか、敷地もです!」
「敷地?」
田中先生はきょとんとしている。私も同じ感想だった。
「きっと、学校の敷地にも護符が貼られてるんですよ。だから……っ」
虫が敷地に入ってこれない……?
「でもそんなことって……別に虫って幽霊じゃないのに」
「ちょっと待ってよー、全然何言ってるか分かんない」
田中先生は例の虫の話を知らないようだった。エイプリルも特に根拠はないのか、自分がやった実験の話をしようとあわあわしている。
「エイプリルさん、その通りですわ」
「えっ、北川さん?」
「これを見てくださいまし」
北川さんが手帳に貼った護符と、その横の文字を見せる。厭……蛇……虫作諸怪祟符? なんだこれは。エイプリルと田中先生もよく分かっていないようだった。
「これは虫や蛇を寄せ付けない為のものですわ。こちらは教室にあったものです。まだ確認はしていませんが、おそらくこの護符が敷地内にいくつか貼られているはずですわ」
……だから、虫が入ってこれなかった……。
「かなり形が崩れていますから、種類に関しては推測の範囲を出ませんが……。そこに行き着いたということは護符が霊を閉じ込めているということに辿り着きましたのね」
「そうなんだけど、その虫の話ってなんなの?」
「学校で虫を見ないことについて、エイプリルさんが実験しましたの。学校の敷地内と敷地外を跨ぐように虫を引き寄せる糖蜜を撒いて、あたかも壁で隔てたかのように虫は敷地内に入って来なかったそうですわ。殺虫剤を撒いているわけでもないのに……」
「そういうことかあー。俺は誰に聞いてもそんな話聞かなかったから……。エイプリルちゃんだけが気づいてたってことだね」
田中先生に褒められてエイプリルがデレデレしている。北川さんはそれを無視して、
「本来虫と蛇に効くはずのものが、明らかにそうではない霊を閉じ込めていたということは、敷地に貼られている護符もそうである可能性が高まりますわ」
「つまり、学校の敷地内にこっくりさんによって呼び出された霊がいっぱいいるってこと?」
「もし呼び出せていればの話ですが。女子更衣室や三年四組の前例がありますから、早いうちに探して処分してしまう方が良いでしょう」
北川さんは機材の隣に行くとてきぱきと温度計やらを片付け、今から全員で護符を探しに行くと言い出した。
「1時間探して見つからなければ撤収しますわ。それまでに見つかれば、今日は解散です」
「はーい」
日陰は寒いからグレーのカーディガンを羽織る。田中先生とエイプリルが階段を降りながら仲良く話し始めたので、私は北川さんの隣に行った。
特に話すこともなく、ただただ足音を響かせる。
すると唐突に北川さんが口を開いた。
「園田さん、先程は申し訳ありませんでしたわ」
思わず顔を見てしまう。急にそんなことを言われても……混乱する。
「えっ? な、なんの話ですか」
「園田さんも充分怖かったはずですのに、心配の前に何があったか聞いてしまって……。ですが、助かりましたわ。園田さんがあの場にいてくれたおかげで、何があったかすぐに把握することができましたの。あの三人は、しばらくはまともに話せませんでしたから」
き、北川さんに、謝られて……お礼、されている……?
やけに目を見てまっすぐ話すもんだから、私も目を離せない。嬉しいような気恥ずかしいような、変な感じ。
「……私が、もし、あの黒い影に触れられてたら……私も、ダメだったと思います」
言葉がうまく出てこない。何を言ってるんだろう。せっかくこんな風に言ってもらえたんだから、「ありがとうございます、気にしてません」だけでも言えたらいいのに……。
でも北川さんは優しく微笑んでくれて、じわじわ目が熱くなってくる。
「怖くないはずがありませんわ。あたくしは対抗手段があるからまだ冷静でいられますが、それでも怖いものは怖いと思います」
北川さんでも……怖くなることあるんですか?
背中が暖かくなって、手を添えられていることに気がついた。さっきの体験が生々しく蘇ってきて、抑え込んでいた恐怖がどっと流れ出てくる。泣き出した私を庇うように北川さんは抱きしめてくれて、その暖かさにただ安心した。
「……北川さん、ありがとうございます……。でも私、あの時北川さんがいつも通りだったから……それはそれで、安心したんですよ」
あ。北川さんが冷たいこと言ったと思ってるのに、「いつも通り」なんて言っちゃったら、いつも冷たいって言ってるみたいかも……。
「あたくしをなんだと思っていますの」
そう言って背中をさすってくれる北川さんは、ちょっと笑っていた。
「遅かったじゃない」
「ごめん、ちょっと色々あって」
「1枚見つかっちゃったのよ」
私が落ち着いてから向かったから遅くなってしまった。エイプリルが見つけたお札は、確かに北川さんが持っていたものと似ている。
「やはり同じものが貼られていましたのね」
北川さんは護符をエイプリルから受け取って手帳に挟むと、「どこで見つけましたの?」と続ける。
「あそこです。石が上に置かれていました」
エイプリルが指差したのは校庭の角。あそこにあったということは、他のも角にあると思っていいだろう。しかも隠そうとはしていないようだし。
「あたくしと園田さんで向こうを見ますから、お二人は引き続きこちらで探してくださいまし。まあ、すぐに見つかると思います」
「はーい。美保ちゃん、見つけたらそっち行けばいい?」
「そうですわね。少々手間がかかるかと思いますが、お願いします」
「了解!」
田中先生とエイプリルは随分仲良くなったようだ。田中先生のフレンドリーな性格とエイプリルの人好きする性格が丁度良かったのかもしれない。今はエイプリルも普通に話せるみたいだし……。
「園田さん、行きますわよ」
「あ、はい」
それになんとなく、私も北川さんが苦手じゃなくなった。ちょっと一緒にいただけだけど、刺々しい感じがなくなったというか、なんというか……でもそれは私もそうかも。元から怒りっぽい性格だけど、最初はちょっと神経質になり過ぎていたと思う。
これが解決したら、皆とは離れ離れになるのか。
せっかくちょっと打ち解けてきただけに、寂しいものがある。でもこんなこと、今朝の私なら考えもしなかったな。
今はそんなこと考えてる場合じゃないか。ふいに冷たい風が吹き抜けて、私は我に返った。
校庭の角に進み、体育倉庫の裏あたりを探すことにする。枯れかけのまばらに生えた雑草と、昨夜の雨でぐちょぐちょになった枯葉が邪魔して中々見つからない。なんとなく爪先立ちになりながら見ていると、体育倉庫の上の方に紙が見えた。まさかあれが護符?
目を凝らしてもよく分からない。爪先立ち立ちして手を伸ばしても、ジャンプしても届かなかった。
田中先生に取ってもらおうかな……。
「見つけましたのね」
「わあっ⁉︎」
いつの間にか北川さんが隣にいて飛び上がる。その手にはペラペラの護符が握られていた。
「これは……田中先生に取ってもらうのが早いですわ」
「呼んできます」
倉庫の裏から出ると、校庭の真ん中辺りでうろうろしている田中先生とエイプリルが見えた。これなら手っ取り早い。
「田中先生ー! 護符を見つけたんですけど、高くて取れないんです! 取ってください!」
出来るだけ大きな声で叫んだ。少し驚いた様子でこちらを見ると、手でOKサインを出している。
「何も叫ぶ必要ありませんでしたのに」
「えへへ、歩くの面倒で……」
そうこう言っている間にすぐ到着して、エイプリルがもう1枚の護符を北川さんに手渡した。これで田中先生があの護符を取ってくれれば合計4枚。
田中先生と北川さんが体育倉庫の裏に入っていった。
「ねえエイプリル、私北川さんのこと結構好きかも」
「何かあったの?」
「秘密ー」
エイプリルが頬を膨らませる。その頬がなぜか赤い。急に緊張した様子で私を見ると、言いにくそうに口を開いた。
「……ねえ灯、私結構本気で田中先生のこと好きかも」
「…………マジで?」
頷いている。どうやら……マジっぽい。
「それって――」
「取れたよー!」
急に出て来ないでよ皆! 突然出てくるのが流行ってるのか⁉︎
「どうかした?」
「い、いえ、なんでも……」
エイプリルに至っては全く話せる気配がしない。田中先生はきょんとした顔をすると、「見つかったから今日は解散だって」と笑った。……良かった、多分聞かれてないっぽい。
「園田さん、エイプリルさん、明日の朝は普段の登校時間になるまで来ないでくださいまし。昼休みに多目的室で集まりますわよ」
「はーい。でもどうして朝は無しなんですか?」
無邪気なエイプリル。きっと……
「除霊をしますの」
案の定そうだった。それを聞いてエイプリルはキラキラと目を輝かせる。
「すみません、絶対行かせないようにしますから」
「……お願いします」
北川さん達と別れた帰り道。エイプリルと二人だけで道を歩く。
「もしさ、明日解決したらどうする?」
「どうするって……どういうことよ」
「……なんか、せっかくちょっと打ち解けられたのに、また会えなくなっちゃうのかと思うと……」
「そういうことね。それじゃあ私も、田中先生のこと……どうしようかしら」
「連絡先交換したら?」
「聞けると思う⁉︎ 人気作家よ、取材のたびに教えられる訳ないじゃない」
「秀さんに聞くとか」
「それはそれで申し訳ないわよっ。でも秀さんいいなー、いちファンからあんな普通に話せる仲になれて」
エイプリルはうつむく。確かにそうなんだけど、連絡先交換ぐらいなら、田中先生はしてくれそうだけどなあ。でもあの人にあっさり断られたら、普通の人に断られるよりダメージが凄そうな気もする。
「そもそもね、あんな素敵な人だったら既に恋人がいたっておかしくないわ。既婚者ではない、と、思うんだけど……」
「エイプリルの年齢じゃ恋愛対象にすらならないでしょ」
「そうよ! どーせ私なんてその程度なの! 田中先生を犯罪者にするわけにもいかないし……あーあ、悩ましい」
「仮にエイプリルが成人してたとして、もし付き合えても苦労しそうだと思うけどなあ」
「……まあ、それは……そう、なんだけど」
「それに何考えてるか分かんないし」
エイプリルの恋愛相談をしながら、私達は家に帰ったのだった。