お帰りにならない
なんてことだ。こんなに早く噂が広まることってある⁉︎
エイプリルと別れて教室に入っても、皆口々に本間先生の話をしている。なぜこんなに早く広まったのだろう。
「ねえねえ、園田さんも聞いた? 本間先生の話」
「いや、知らない……。皆話してるけどなんで?」
前の席の石塚さんに話しかけられる。彼女は椅子を私側に寄せると、ひそひそと話し始めた。
「誰かがね、本間先生が階段から落っこちるのを見たの。足を滑らせたのかと思うじゃん? でも本間先生の背中には蹴られた痕があったんだって!」
「それって……」
「そうそう! 心霊現象じゃないかって皆言っててさあ」
顔色を変えたのが話に怯えたからだと勘違いした石塚さんは、やけに楽しそうにしている。
噂が広まるスピードは驚異的だけど、もし西園寺さんが見た三つ編みの子が、その異様な現場を見て逃げ出しただけだったとしたら……。
でもまだ、自分で突き落としておきながら嘘を広めている可能性も否定できない。そうだったらますます意味が分からないけど。
「その話って誰から聞いたの?」
「ん、あたしは前田から聞いたんだけどー、野球部の男子が最初に一年に広げたらしいよ。三年の先輩に聞いたんだって」
「ふーん……でも、なんで本間先生だったんだろ」
そう呟くと、石塚さんが水を得た魚のように生き生きしだした。
「本間先生女子に嫌われてんじゃん? これは前から言われてるんだけど、セクハラで前の学校追い出されたんじゃないかって噂」
面白くなってきた所で、担任が入ってきてクラスが静まる。とにかく、これは北川さんに報告だ。
「それでうちのクラスでは、先生が自殺させた生徒の霊に殺されかけたんだって言われてました」
エイプリルのクラスは私のとこよりずっと酷い噂になっていたらしい。北川さんはメモを取りながら、細かい話を聞いている。
「園田さんもどうぞ」
「あ、はい。うちのクラスも、幽霊に突き落とされたって所までは同じで……でもそこで終わってるっぽいですね。だからエイプリルのクラスほど酷い発展はしてないんですけど、元々本間先生にはセクハラで前の学校を追い出された……という噂があったそうです」
「明確に繋げていないだけで、皆さん脳内で繋がりがあると思っているみたいですわね」
北川さんはメモを取る手を止め、ため息を吐きながら書いたそれを一瞥した。背後から扉が開く音がする。
「よお、三年に聞いてきたぞ」
「収穫はありましたの?」
「座ってからだ」
いきなり現れた秀さんは私の隣に腰を下ろすと、堂々と脚を組んだ。……和解したのかな?
「秀さん、いつの間にこっちについたんですか」
「ついたとかじゃねえよ! 言いたかねえが、協力だ。大人の事情はガキにゃ分からんだろうが」
「あたくしが解雇されたんですの」
「はっ……?」
時が止まる。……今、なんて……?
「ほらな、分かってねえだろ」
「混乱と理解できないのは別ですわ」
理解が追いつかない。でも、とにかく北川さんと秀さんが協力するということは、北川さんはまだ調査に関わるということ……。
「あたくしの方が、呼ばれたのが1日早かったんですの。今回の件で不信感が生まれ……というより、あたくしを目の敵にしている方がいまして、その方が理由を見つけて追い出そうとしたのですわ」
「ま、北川の方が金もかかるからな」
「でも、じゃ、じゃあどうして協力を?」
エイプリルが詰め寄る。
「北川を嫌ってる奴があたしを随分信頼してくれてるみたいでな。北川が機材の費用を自費で払う代わりに、あたしが北川を従業員っつーことにして賃金を増やしてもらったんだよ」
「学校側はそれで何も言わないんですか?」
「あたしが信用されてるからな」
「解決できなければ秀さんの信用が落ちる、それだけですわ」
「っていうか、北川さんはそれで経営……」
「後ろ盾がありますの」
エイプリルは納得したのかしてないのか、生返事をして黙り込んだ。なるほど、これで秀さんが優位に立ってるから機嫌が良いわけか。
「あれ、でも秀さんはいいんですか?」
私が聞くと秀さんはニヤッと笑う。
「こいつが大元を突き止めてくれたら、その分あたしの仕事が減るからな。後は除霊さえすればいいっつー話だ」
そっか。前みたいな状態だと、霊がどうして沸いたか分からなければ、除霊しても根本的な解決にはならない。そしたら意味がない訳で……。その謎を突き止めるには、機材がある分北川さんが有利だ。だから今の状況の方が秀さん的には美味しいってことか。
「とにかく、早く解決して終わらせますわよ」
「……それで、3年に聞いた話だが……なんでもこっくりさんが異常に流行ってるらしいな」
こっくりさん。私達の学年では特に流行ってないけど、3年では流行ってるんだ……。それじゃあ女子更衣室で度々動画に映る3人は3年生なんだろうか。
「今年の夏頃から急に流行りだしたらしいぜ、しかも女子の間だけで。ただ、例の女子更衣室の事件と職員室の事件とで続いたから、最近は一部のグループ以外やってないみたいだ」
「どなたから聞きましたの?」
「教室でこっくりさんやってた三人組だよ。そいつらは辞めてなかったけどな」
「名前を教えてくださいまし」
「近藤真紀、望月奈々美、永井由美」
田中先生も西園寺さんもいないのにここまで会話がスムーズに進むとは……。北川さんも昨日よりちょっとマイルドになった気がするのは気のせいだろうか。
「……あたくしを追い出した方のクラスですわね」
「お、加島美咲か」
「加島先生っ⁉︎」
エイプリルが立ち上がる――も、すぐに座り込んだ。加島先生はたまに来る先生(社会の先生が休んだ時にしか来ない)で、いかにも心霊系の話が好きそうな雰囲気の人である。重い印象の長い黒髪に、ジャラジャラと数珠やパワーストーンのブレスレットをつけ、そのくせ服装は喪服のように地味。声は小さいわネチネチしているわヒステリックだわで、生徒からは物凄い嫌われようだ。そんな人のクラスで、更に北川さんが加島先生に追い出された?
「ありゃ一番やっかいだぜ。自分に霊感があると思っていやがる」
エイプリルが元気よく、
「やっぱりそうなんですか? そういう噂は今までにも出てるんですけど」
「最悪だよ、生徒に妙なお札を持たせるわこっくりさんをやった奴を吊し上げるわ……」
「その話は聞いていませんわね」
秀さんはうんざりした様子だ。北川さんを追い出した人が加島先生なら、秀さんに絶大な信頼を寄せているのも加島先生なんだろう。あの人に好かれるのもそれはそれで面倒なのかもしれない……。
「教室でこっくりさんやってる三人組に話を聞いたっつっただろ? そいつらが、うちのクラスじゃこっくりさんは禁止されてるって言ったんだよ。詳しく聞くと、加島美咲はこっくりさんを低級霊を呼び出す危険な遊びだと思っているらしく、流行初期から禁止令が出されてたんだとさ。無視してやっている生徒を見つけて加島は激怒し、クラス全員の目の前で説教。その後妙なお札を配られてようやく一件落着らしいぜ」
「地獄絵図ですね……」
こんなことをする加島先生もえげつないし、めげずにこっくりさんをやっていた三人組も凄い。
「こっくりさんが危険なのは確かだが、ズブの素人が一発で呼べるわがない。あたしみたいな人間が何回かやれば別だろうが、ただの高校生でそれができるとは思えねえよ。だから言うほど危険じゃないとは思うけどな……やらないに越したことはないが」
「その一発というのが問題なんですわ。園田さんとエイプリルさんが撮影した動画には、毎回こっくりさんをする生徒が映ったそうです。もし1日3回やっていると仮定して、二ヶ月やったら186回。いくものグループが何度も何度もやれば、それは自ずと訓練になり、そのうち何かを呼び出すのに成功する生徒も出てくるかもしれませんわ」
そういえば、例の女子更衣室……。加島先生は美術部の副顧問だった。カメラに映らないから昨日今日とやってない訳だし、なんだかあの三人組が心配になってくる。見つかって酷いことになったりしなきゃいいけど。
「……そりゃあ、そのうちなるかもしれねえよ。でもどれだけかかる? 結局何百回やったってセンスのない奴はできないもんだ。それに呼び出せたとして……呼び出された霊がいつまでもそこに残ってくれると思うか」
北川さんは無言で俯いている。話の次元が違いすぎて、時々こういう空白がないと置いていかれそうだ。一旦頭を整理しよう。
要は秀さんは「素人がこっくりさんをした所で霊は呼べない。訓練して一部の人が呼べるようになっても、その霊がいつまでもそこに居座ってくれるとは限らない」って言っているんだ。北川さんの言ってたことは「これだけ何人もの生徒が何度もこっくりさんをしていれば、それがいつの間にか訓練になっていて、霊が呼び出せていてもおかしくはない」……ということ。
それで、どうして今黙ってるのかは分からない。そもそも霊が完全にいる前提で話が進んでいるのが、一般人の私にはどうも違和感で仕方がないのだ。いや、自ら調べてた奴が何言ってるんだって話だけど……。
エイプリルに小声で耳打ちする。
「ねえエイプリル、なんで……」
「だから、もし霊が学校にいないのなら、とりあえずこっくりさんを皆にやめてもらえばいいだけの話になっちゃうのよ。そしたら北川さんも秀さんも呼ばれた意味がなくなっちゃうでしょ? それで今考えてるの」
「質問してすらいないのに!」
「だって灯が質問したかったのはこういうことでしょ」
それにしても声が大き――言いかけた時、北川さんがため息を吐いた。うるさかったかな? まさか怒っちゃってたり……。
「秀さん、幽霊は見えまして?」
「んー、まあ、人よりは」
予想外の内容が来て度肝を抜かれる。こういう仕事の人達って、全員が幽霊を見れるわけじゃないの……?
「え、あの、北川さんは見えないんですか?」
「ええ。おそらく、あなた達のような普通の人と同じですわ。職業がこんなものでも、見える見えないは生まれつきですもの」
「お前はテレビで霊媒師とか見てきたクチだろ? みんながみんな見えるわけじゃねえよ。逆に見えるからって祓えるわけでもねえし」
「……別、ってことですか?」
「完全にそうかと言われると分かりませんが、必ずしも一緒について回るものではありませんわ。あたくしは見えませんから、起きた現象と何が原因かをしっかり見極めてから祓う必要がありますの。逆に秀さんなんかは、ある程度見える分感覚でできる……という所でしょう」
はあああ……知らなかった。というか、見えないのに存在を確信できているのが凄い。目に見えなくとも、そういう物がいるということを、自然に理解できるような体験をしたのだろうか。
「ねえ、エイプリルは知ってたの?」
「……えへ」
お茶目に舌を出す。
「で、秀さんから見てどうなんですの? まだ学校に霊はいまして?」
「多分」
「多分じゃ困ります」
「だってどうせ動物の霊とかだろ? それも弱っちい……なんとなく靄みたいな、薄い影がある気がするんだが……今朝見た時点では確かに女子更衣室のは濃かったし、職員室にもあったよ」
そう言いつつ秀さんは釈然としない様子である。
「そうですか。では、日程を決めて除霊を行いましょう」
じょ、除霊……! 一体どんな風にやるんだろうか。ちょっとだけ見てみたい。そう思った矢先に、北川さんが「園田さんとエイプリルさんは学校の敷地外にいてください」とぴしゃりと言い放った。まあ、そんなとこだとは思ったけどさ。
「何かあった時に対処できるよう、あたくしと秀さんの除霊の時間はずらします。よろしいですわね?」
「ああ」
「これも秀さんを信用して……」
「はいはい分かった分かった」
また言い争いを始めそうな雰囲気になったところで、田中先生と西園寺さんが入ってきた。西園寺さんはいつも通りな感じだったけど、田中先生は相当疲れている様子だ。入ってくるなり「疲れたー」と机に突っ伏した。
二人は色々話を聞いてきたらしい。北川さんはおもむろにこちらを見ると、私に何かを手渡した。
「お二人に仕事ですわ。教室の室温を測ってきてくださいまし」
リモコンに細い棒がくっついたような見た目の、温度計? ボタンを押すと温度を測ってくれて、1分ほどで結果が出るらしい。それをエイプリルにも渡すと、北川さんは更にメモ帳と鉛筆も持たせる。
「お二人で手分けして測ってきてくださいまし。一応、園田さんが3年1組から2年4組まで、エイプリルさんが1年6組から2年3組まででお願いします。先生方に何か言われても、秀さんが言ったということにしておいてくださいまし。もし生徒に絡まれるようなら、ここを案内してくださって構いませんわ」
「はい」
二人して返事して、多目的室を後にした。エイプリルとも別れ、私はそのまま3年1組へと向かう。
後ろから足音がついてきたから、エイプリルかと思って振り返るも誰もいなかった。……気のせいかな。
教室に足を踏み入れる。正確に測るため、教室に完全に入らなきゃいけないらしいんだけど、誰も私を気に留めていないようだった。3年生に絡まれたら最悪だし。
言われた通りボタンを押して待つ。
教室には数人の生徒しかいない。窓から差し込む夕日が教室を照らして、どことなく不穏な空気を醸し出している。
電子音が測定し終えたことを告げ、私はそれをメモすると、他の教室も回っていった。
3年4組に入ると、3人の生徒がちらりと私を見た。……こっくりさんをしている。もしかしてこの人達が秀さんの言っていた人かな? そうだとしたらよく懲りないなあ。
ボタンを押す指が微かに震えた。なんか、寒い気がする……。もしかしたらただ雰囲気に怖気付いているだけかもしれない。でも、それでもいいからここを出たい。ここにいちゃダメな気がする。ここを早く出ないと。早く、早く終わって……。
そのとき、後ろでドアが閉まった。
ガタガタガタガタ!
教室が激しく揺れ、椅子や机が床の上を滑る。
「ちょ、ちょっとねえ! ヤバいってこれ……なんなの⁉︎」
「指! 離しちゃダメだって……」
こっくりさんをやっていた子の一人が駆け出した。そうだ、扉を開ければ……。私も振り返って扉に手をかける。しかしどれだけ引っ張っても、激しくしても扉はびくともしない。そうこうしているうちに、後ろから「シャーッ」という無機質な音が聞こえた。それと同時に教室が暗くなる。
……カーテンを……閉められたんだ……。
吐く息が白い。恐怖で手が震える。これが、これが幽霊? これが心霊現象⁉︎
こっくりさんをやっていた生徒達は教室の真ん中で丸くなっている。お互い身を寄せ合って、10円玉から指を離さないように……。
ふと、その足元に黒い影が見えた。それが彼女達の足元をかすめた瞬間――教室は断末魔のような悲鳴で満たされた。