誰がやった?
「どこか強打しまして?」
震えながら起き上がる男性に、北川さんが手を差し伸べる。倒れていた人間は、うちの教師の本間良和先生だった。中年で、女子生徒から嫌われている先生である。
「い、いや……。大丈夫です」
「その背中、誰かに蹴り落とされましたわね。何か心当たりは」
本間先生が僅かに視線をずらした。何か、やましいことでもあるんだろうか。ふと私と目が合った。
「君達は1年の園田灯さんとエイプリルさんだね。最近変なことが多いでしょ? 僕のこれもまさかそのせいだったり……」
「可能性が低いですわ。今まで起きてきた現象で人命に関わるものはありませんから、急にこのようなことにはならないはずです。そもそも、学校が妙な雰囲気に支配されているというだけで、明確な事件は10月からたったの2回でしょう?」
北川さんの指摘は相変わらずきびしい。だけどもっともだ。私としても、これは人の仕業だと思う。「……ただ」北川さんは続ける。
「あたくし達がそう思っても、生徒達はどうでしょう。いたずらに恐怖心を煽ってもいいことはありませんわ。このことは生徒達に広めないでくださいまし」
「分かりました。とりあえず、校長に伝えます」
「お願いします」
本間先生は足跡の付いたジャケットを脱ぎ、何か忌々しいもののように見ている。ちらりとこちらの様子を伺うと、駆け足で一階まで行ってしまった。
「……蹴り落とされた時、後ろを見なかったのかしら」
エイプリルが呟く。まさか、本間先生は犯人を見たのに事情があって言えなかった……とか。
「今考えても仕方ありませんわ。早く運びましょう」
「はーい」
人にしても、霊にしても……なんだか嫌な感じがする。
私達は階段を上り切って左にある、一番端の部屋――多目的室を使わせてもらうことになった。
「ここかあ。結構広いね」
田中先生が扉を開ける。で、なぜかまた閉めた。
「ど、どうしたんですか?」
話しかけるチャンスとばかりにエイプリルが言うも、田中先生は難しい顔をする。
「美保ちゃん大丈夫?」
「何がですの」
「……多分、調査の拠点……俺達と美保ちゃん達共有だと思う」
と、いうことは?
「今中に秀さんいるんだよねー……」
北川さんが顔をしかめ、引き戸に手をかけると扉を開けた。そこには秀さんと昨日見かけたスーツの青年がいる。
「あっ、あっちのスーツ着てるのが、俺の編集やってるうたちゃん」
「初めまして、西園寺うたと申します。僕は付き添いで来ているだけですので、お気になさらず……」
座っていたのをわざわざ立ってお辞儀までしてくれた。ちょっと変わった名前だけど、いかにも好青年! って感じの西園寺さんに合っている気がした。
この様子を見るに西園寺さんはまともな人っぽい。別に北川さんや田中先生、秀さんをまともじゃないと言うつもりはないけど……あの人達とは別の人種な気がする。
「ったく、部屋狭くすんじゃねえぞ」
北川さんは秀さんの発言を華麗にスルーし、ど真ん中に機材をセッティングし始めた。私とエイプリルは一応秀さんと西園寺さんに会釈はしたけど、秀さんが完全無視(西園寺さんは会釈してくれたし、ちょっと秀さんに怒ってた)。机と椅子をどけて中心に空間を作り出した北川さんは、そこに何やら大きな画面がついた機材と、スピーカーのようなものを置く。私達はコードを持たされ、あそこに繋いでくれだの踏むなだの散々言われた。
田中先生は甲斐甲斐しく付き合ってくれる。西園寺さんと秀さんは、扉の近くでなにか喋っていた。
「園田さん、新校舎が建ったのは何年ほど前ですの?」
「確か20年くらい前って聞きましたけど……細かいところは」
北川さんはどこか考え込んでいる風だ。
「この辺りに当時通っていた方は住んでいまして?」
「ここら辺に住んでたら大抵はここに来ますからね、昔なら余計にそうだったと思いますよ。この辺りに今どれくらい残ってるかは分かりませんけど……」
北川さんは少し俯く。
「……ありがとうございます。お二人は休憩してくださいまし。もうすぐ授業ですから」
「あっ本当、それじゃお言葉に甘えて休憩させてもらいますね」
「お先失礼します」
とは言ったものの、まだ生徒が登校してくるまで時間がある。どうしようかとエイプリルに尋ねると、意味深に笑った。
「ねえ、今ならお話中だし、混ぜてもらえないかしら」
エイプリルが指差した先――には、秀さんと西園寺さん。
「秀さん怒るって」
「大丈夫よ、さっきも西園寺さんがなだめてたから。それに田中先生もガンガン行けって言ってたじゃない」
なだめてたってことは怒ってたんだよ!
「だけどさあ」
「私は行くわよ」
こう言い出すと止まらない。そう言えば調査を始めた時も、こうだったっけ……。
「私は怒られたら帰るから」
「はいはい」
エイプリルに連れられて机の間を縫って行く。小さな秀さんの背中が近づいていて、エイプリルが「すみませーん」と明るい声を発した。
「あっ、園田灯さんとエイプリルさんですね」
秀さんが何か言う前に西園寺さんが答える。
「あれ? どうして私の名前知ってるんですか?」
「さっき秀さんから聞きましたよ」
「覚えててくれたんだあ! 嬉しー、ありがとうございます」
……まさか、覚えててくれて、それを西園寺さんに伝えてるとは。思わず秀さんの顔をまじまじ見ていると、「なんだよ」と突っかかられる。もしかしてちょっと無愛想なだけ?
「覚えててくれたんですか……?」
「馬鹿にしてんのか」
「してませんけど、いや、西園寺さんに言ったことの方が驚きで」
秀さんは不満気な顔をする。
「あたしだって別に子供が嫌いなわけじゃねえよ、ただ自衛もできないのに――」
「それ北川さんに言われました」
「ほらあ、やっぱりいい人じゃない」
秀さんは大きくため息をつくと、そっぽを向いた。
「お前ら自分達で調査してたんだってな。多分あいつ、好奇心旺盛なガキを抑え込むともっと危険なことになるっつーのを知ってるから協力させたんだろ」
「ちょっと秀さん、ガキなんて言っちゃ駄目ですよ。名前知ってるなら名前で呼んでください」
西園寺さんがすかさず止めるので、秀さんはちょっとやりずらそうである。
「あたしはこいつら庇って自分が負傷するくらいなら最初から関わらねえけどな」
「そういうこと言わない!」
昨日の北川さんの刺々しさより、秀さんの方が単純な分イライラしない。多分こういう憎まれ口をきいちゃう人なんだろうなあ……。しかも言ってることが痛いくらい正論なので刺さる。
「別にこれは怪我するほど危険じゃないだろうが……お前らも、これで懲りたら変なことに首突っ込まないようにしろよ」
「秀さんなりに心配してくれてるんですよねっ。もうこれが終わったらやりませんから」
エイプリルは変わらずにこにこしている。こういう人懐っこい所が人に好かれるんだろう。
「あの、秀さんも田中先生のファンって聞いたんですけど……」
「悪いか」
おお、意外とあっさり。
「そんな、私もファンなんです! そのですね、身近に田中先生の作品を読んでる人がいなくて……話せないかなって」
秀さんは一瞬、ほんのちょっとだけはにかむと、それを隠すように口元に手をやった。
「おい、時間あとどれくらいある?」
「ええっと、灯ちょっと腕時計」
「20分」
「20分らしいです!」
「聞こえてるからお前まで言うな。分かったよ、ただあたしが言ってたこと明久には言うなよ」
「言いません!」
秀さんは微笑ましく見ている私と西園寺さんを一瞥すると、エイプリルに「ちょっと移動するぞ」と告げた。
「読者の感想は参考になるんですけど」
「あたしのなんていつでも聞けるだろ。後でこいつから聞け」
「こいつじゃなくてエイプリルでーす」
二人は席を立つと、会話が聞こえないくらい離れた所に座った。その瞬間からエイプリルが積極的に話しているのが分かる。
「西園寺さんは田中先生の付き添いで?」
「ええ、そうなんです。なにか、迷惑かけてませんか?」
「むしろ助けられちゃってます。私はその……エイプリルみたいに明るくないので、田中先生みたいな人がいてくれると助かるなって」
「今日はいい方に働いたみたいでよかったです。先生は本当に距離の詰め方が極端ですから、嫌われることも多いんですよ。本人はハートが強いんでめげませんけど、その分相手が……」
「大変なんですね」
「大変ですよ、秀さんは猫被れるだけマシです」
色々話題が移り変わり、私が本間先生が階段から突き落とされた話をしたときだった。西園寺さんの表情が暗くなる。
「それ……人為的なものだと、思います」
「西園寺さんもそう思いますか? 私も、突き落とした犯人を知っておきながら言えない事情があるのかなって――」
西園寺さんはゆっくりと首を横に振った。
「ちょうど僕が多目的室に向かっている時、階段を女子生徒が駆け上がって来たんです。僕に見向きもせず廊下をダッシュして、反対側の階段に消えたんですが……もしかしたら、突き落とした犯人だったのかもしれません」
「その女子生徒の顔は……」
「駄目ですね……俯いていたので分かりません。ただ、長い黒髪を後ろで一本の三つ編みにしていました」
「三つ編みですか」
私の脳裏には、女子更衣室でこっくりさんをやる女子生徒達の姿が浮かんだ。あの中に一人、三つ編みの子がいたはずだ。
「一応突き落とされた本間先生には、生徒達には言わないように約束したんですけど」
「……もしかしたら広まるかもしれませんね」
「え?」
西園寺さんはやけに神妙な面持ちをしている。内緒話をするように体を乗り出して、続きを語り始めた。
「もしもですよ? 僕が見た生徒が犯人だったら、その子が噂を広める可能性があります。するとどうでしょう、犯人探しを始める子が出てきたり、心霊現象を連想して怯える子が出てきたり、とにかく空気が悪くなることは確実です。――それに、最終的な被害は僕達の方に来るんですよ」
「私達も……ですか」
「ええ。なぜならその本間先生が突き落とされた前日に、心霊現象の調査なんて名目で怪しい大人達が来ているんですから」
北川さんや秀さんの方をちらりと見やる。これは確かに、生徒受けする感じじゃないよな。西園寺さんは自嘲的に笑うと、
「僕達からしたら何も関係ありませんけど、生徒達からしたら僕達は一番怪しいじゃないですか。不信感だけで終わればいいですけど、僕達が来たからこうなったとか言われたら最悪ですよ」
「……調査がやりづらくなる上、その不信感が教師にまで移ったら解雇されかねないと」
西園寺さんは頷く。神妙な面持ちをコロッと笑顔に変えると、「でも」と続けた。
「今のはあくまで妄想みたいなものですから、あんまり気にしなくてもいいですよ。もしこうなったら嫌だなってだけで……」
「……皆さんが来たのを知らなくて、偶然今日やっちゃっただけかもしれませんしね」
そこからは、なんてことない世間話に戻った。時間が来て、北川さん達に挨拶してから、なんだかほくほくしているエイプリルと廊下に出る。その頃には生徒達がぞろぞろと登校して来る時間帯だった。
教室に行くのに三階まで登った時、生徒達が妙に騒がしいことに気がついた。
それは、西園寺さんが考えていた最悪の展開……。
本間先生が階段から突き落とされた噂が、早くも流出していたのである。