新校舎の謎
乾燥した風が枯葉を舞い上げる。腕時計を見ると、6時45分だった。結局私一人だけ早く来すぎたようだ。
家から学校に着くまで30分、遅くて40分ぐらいかかるから、私は結構早めに来ないといけない。当たり前だけど信号待ちや私の歩く速度が関係して、もっと遅くなったりもっと早く着いてしまったりするわけで。で、今日がその早く着いてしまった例だ。
まだ時間あるし、エイプリル迎えにいこっかな……。
そう思って体の向きを変えた時、昨日見かけた身長が高いポニーテールの男と鉢合わせた。サラッサラの長い髪の毛を風に揺らしている。
「あ……お、おはようございます」
男はきょとんとした顔をして、すぐににっこりと笑う。
「おはよう」
そのままふらふらと校内に入っていった。……だ、誰なんだあいつは⁉︎
……それに、今になって気づいたけど恐ろしく美形である。鼻が高くて彫りが深くて、結構男性的な顔立ちだった。あんなに特徴的な人は学校で見たことないし、最近来始めたのは間違いないだろう。
昨日見たスーツの人はまだしも、和服のおじさんとこの人は校長先生に呼ばれたんじゃないか? つまり北川さんと同じく怪現象の調査で……?
結局エイプリルを迎えに行かないまま10分ほど経って、遠くに見慣れた茶髪が見えた。エイプリルだ。
「早く来てたのね、私遅れちゃったかしら」
「いや、大丈夫だよ。まだ5分前」
「北川さんはまだ来てないの?」
「うん……あの人なら5分前行動しろとか言いそうなのにね」
「そこに関してはぴったりじゃないとダメ派の人もいるでしょ」
「でもあの人厳しそうだからなあ」
ぐだぐだ喋って、エイプリルの好きな作家の話になってきた所で7時になる。
「園田さんエイプリルさん、おはようございます。車に機材を用意していますから、それを運びますわよ」
北川さんが学校の中から現れた。返事をする間もなく行ってしまうので、急いで追いかける。学校の駐車場には黒い車が止まっていて、それが北川さんの車らしかった。荷台から大きな機材を出している。
「これを女子更衣室までお願いしますわ」
「えっ」
「運んでくださりましたら、設置はあたくしがします」
「これ運ぶんですか? 二人で?」
「できることが少ないんですから、力仕事くらいやってくださいまし」
はああ? できることが? 少ないからあ⁉︎
「……エイプリル、そっち持って」
「はーい」
北川さんはとっても軽そーなコードを持って、先に行ってしまった。私達は重い重い機材を持たされ、のろのろと後ろをついていく。女子更衣室が一階にあることだけが救いだ。
「女子更衣室は新校舎なんですの?」
「はい。でも校舎の一階同士は繋がってないので、このまま新校舎の玄関まで行きましょう」
イライラが口調に出ないよう、なるべく淡々と返事をする。
これでうっかり校舎に入ってしまうと、二階(と三階)の渡り廊下までわざわざ行かなければならない。これがまた面倒で分かりにくいのだ。うちの学校は旧校舎の方が改装が繰り返されて綺麗で、1年から3年までの教室は全て旧校舎にある。新校舎の方が、一般的に「旧校舎」と呼ばれるような見た目をしており、薄汚い。よって旧校舎は旧校舎と呼ばれておらず、新校舎だけ「新校舎」と呼ばれて区別されているのだ。
先頭の北川さんが鍵を取り出す。扉を開けてもらい、ガラス張りの玄関に入ると、なんだか埃臭かった。
「ここ出て目の前にありますから」
「分かっていますわ」
相変わらずカチンとくるな。憎まれ口しか叩けねえのかっ……と、言いたくなるくらい。でも表に出すわけにもいかず、当然スルーした。
新校舎が建った当初は奥に格技場が繋がっていたらしい。何があったのかは知らないけど、もう取り壊されている。だから女子更衣室は用無しなのだ(男子更衣室は格技場と一緒に壊されたらしい)。新校舎一階は、左から女子更衣室、美術室、美術準備室となっている。美術室のちょうど向かいにトイレ、その隣――美術準備室の向かいに手洗い場。この通りめったに使わない教室ばかり入っているのだ。おまけに校舎は幽霊のひとつやふたつ出てきそうな雰囲気をしている。今までそういう噂がなかったのが不思議なくらいに。
北川さんが埃臭い玄関を奥に進み、一人で廊下に出る。私達も重たい機材を運びながら後を追いかけた。
「確かに鍵はかかっていませんのね」
「ええ――あの事件から数日はかけてたらしいんですけど、今は全然です。あれ以降は何も出てませんからね」
エイプリルが説明しながら機材を廊下に下ろす。北川さんは一人、女子更衣室に入っていった。
「昨日お二人に見せていただいた動画では、女子生徒三人がここでこっくりさんをしていましたわ」
せっかく置いた機材を持って、狭い室内に運び込む。埃にむせながら、私は答えた。
「あれ毎回映るんですよ」
「頻度は?」
「ほぼ毎日です。充電切れになっちゃって撮れないこともありますけど」
北川さんは考え込む素振りをする。何も言わずに私たちの置いた機材をずらし、物陰に隠した。そのほとんどを隠しながらも、カメラが中央の机を捉えるように設置している。その後自ら四つん這いになってコードを繋ぎ、埃だらけになりながら振り向いた。不思議なことに埃を払う仕草まで優雅に映る。
「先生方に拠点を用意していただけましたわ。二階の多目的室です。今ここのカメラにマイクを設置しましたから、映像と音声を遠隔で確認できる機材をそこに運びますわよ」
「は、はい!」
思わず返事をしていた。案の定、エイプリルは目をキラキラさせている。私もなんか……ワクワクしてきた。
北川さんは常にピリピリした感じで合わないけど、私達には到底できないことをやる所がやっぱり本職の人だという感じがする。北川さんとは合わないけど。
「それでは園田さん、エイプリルさん、車に戻りましょう」
機材を運ぶのも死ぬほど疲れるけど……。
「エイプリル早く……エイプリル?」
入り口から出ようとした時、後ろにいたエイプリルにぶつかった。エイプリルは細い通路を塞いだまま動かない。私よりも身長が高いもんだから、ちょっと背伸びしたくらいじゃ向こうが見えないのだ。
「……あ、あの人」
エイプリルの震えた声。
「田中、明久さん……じゃ、ないですか?」
ピンと来た。エイプリルが大好きな作家さんだ。今日もめちゃくちゃ話してたし――ん?
あれれ?
大きな人影がエイプリルの上から覗く。めちゃくちゃ大きな影。
「あ、朝の子だ」
天井にくっつきそうな程高い身長。胸まである長いポニーテール。……で、美形……。
「……どうも」
まさか今朝会った人って、エイプリルが大ファンの作家さんなの?
「えっ? えっ、なによお、二人知り合いなの?」
「今朝会ったの。挨拶しただけ……。まさかエイプリルが好きな人だとは思わなかったけど」
「ずるいわよ! もうちょっと早く来てたら私も会えたかもしれないのにー!」
飛び跳ねるエイプリルを田中明久さんがきょとんとした顔で見ている。また今朝のようににっこり微笑んだ。
「俺のこと知ってるの?」
エイプリルが電流を流されたように飛び上がる。耳から首まで真っ赤だった。
「あ……はっ、はい! たた、田中明久先生……で、合ってますよね? 私ファンで……その、えーっと……」
「ありがとー! 俺の顔写真そんなに有名でもないのに、よく分かったね」
「ふぁ……ファンなのでえ」
顔は見えないけど、エイプリルがでれでれ笑っていることだけは分かる。
「お話終わりましたか? 時間がありませんの。早く行ってくださいまし」
「えーっ、もうちょっとお話くらい……」
私ごと北川さんに後ろから押されて廊下に出た。そのまま北川さんが玄関に行こうとした時、例の和服のおじさんと鉢合わせた。
鋭い目つきに、小柄でガリガリの体とは不釣り合いな威圧感がある。
「ガキ巻き込んでんじゃねえぞ」
「秀さんこそ、祓われる側にならないよう気をつけてくださいまし」
「お前なあ、あたしが親切で言ってるのがわかんねえか? そんな言い方ねえだろ」
「女子高校生を『ガキ』呼ばわりが親切には聞こえませんけど」
この職業の人ってみんなこうなの? 関わってしまったことをちょっとだけ後悔し始めている。なんだか鉛を飲み込んだように重ーい気分だ。私としてはどう考えても北川さんの言ってることの方が過激だと思うんだけど。
それでその秀さんという人は、北川さんと相性が悪いらしい。何やらずっとバチバチやってる。ということは私とも合わない気がする。
そんな二人を見かねて、田中さん……先生? が私達に話しかけた。
「ごめんね二人とも、俺達別々に依頼されててさ。あの二人がずっと仲悪いんだよね」
「へー、……あの人なんて名前なんですか?」
北川さんに言い負かされて、ぐちぐち言っている和服のおじさん――秀さんとやらを指差す
「柏原秀さん。拝み屋やっててー、主に聞き込みとお祓いでやってる感じ。美保ちゃんは機械とか使うじゃん? 秀さんは使わないんだよね」
「言っちゃ悪いですけど、あれで成り立ちます?」
田中先生は明るく笑う。
「猫かぶるの」
「ええ……」
「今は俺にもあんな感じなんだけど、初対面の時は『ファンです』って言ってしおらしくてね、それが時の流れでこれだよ」
でもホントにファンだったらしい。北川さんにも初対面ではニコニコ振る舞ってたらしいけど、二人共化けの皮が剥がされて……こんな調子だという。北川さんもナチュラルに口が悪いからイライラするのも分かる……けど、ねえ? ここまで言い合いになるのは流石に大人気なくないか。
「私、もしかしたら仲良くできるかもです」
まあ、確かに田中先生のファンだっていうなら、エイプリルと話は合うかもしれない。でもマジで言ってんの? 思わず口にしそうになるのを抑える。
「本当? あ、そだ、二人の名前教えてよ」
途端にエイプリルの顔が引き攣った。たまにエイプリルのことを初対面でいじる人がいるから、自己紹介は憂鬱なのだ。
「私が園田灯で、こっちがエイプリルです」
返事が来るまでの時間が一番緊張する。
「灯ちゃんにエイプリルちゃんね、よろしく。もう知ってるかもしれないけど、俺は田中明久。好きに呼んでくれたらいいから」
「た、田中先生ー……!」
エイプリルが明らかにメロメロになっている。自然な流れで田中先生が秀さんを引き寄せて、私達の前に置いた。
「この子達、そっちの黒髪の子が園田灯ちゃんで、茶髪の子がエイプリルちゃんだって。あとこの人のことは秀さんって呼んでね」
秀さんは「名前覚えるまでもねえよ」と悪態をついている。
それにしても、なんで女子更衣室に来たんだろう?
「ごめんね二人とも。秀さんにはガンガン行っちゃっていいから。もう苗字も忘れちゃっていいし」
「忘れんなよ!」
「って言ってるから、仲良くしたいんだと思うよ」
「したくねーよ!」
このやり取りを見る限り、秀さんはあまり口喧嘩に強くないんだろう。そして結構丸め込まれやすいと見た。
北川さんが私達の肩に触れて早く行けとせかしてくる。
「美保ちゃん機材重いでしょ? 秀さんがここ見るの終わったら手伝うからさ、待っててくれない?」
美保ちゃんだって……。それに重い機材を運ぶのは私とエイプリルですけどね。
「……仕方ありませんわね」
そうして私達は、二人を待つことになった。
「ごめんね、遅くなって」
ちょっとすると田中先生が出てくる。その後から秀さんが出てきて扉を閉めた。
「あたしは行かねえからな」
「はいはい、じゃあ秀さんは先行っててよ」
田中先生は私達を振り返ると、明るく「行こ」と催促するのだった。来たときのように玄関を通り、北川さんの車へ向かう。機嫌が悪いのか、北川さんは一人でぐんぐん進んでいた。
「田中先生って作家さんですよね。どうしてこんな学校にいるんですか?」
「俺は秀さんの付き添い。秀さんは霊的なものから自分を守れても、普通に腕力が無いからね」
「腕力無いんですねえ」
気性の荒い小型犬みたいなものか。
「あっ、取材も兼ねてるよ。俺はこういう裏側は知らないから」
エイプリルに貸してもらって田中先生の本を読んだことがあるけど、心霊系の話は特に面白かった。参考文献の多さに度肝を抜かれた記憶がある。文献じゃないけど、その参考に秀さんもいると思うと面白い。
「ていうかエイプリル、今のうちに田中先生と話しときなよ」
「う。そ、そうなんだけど……」
目が泳ぐ。顔をポッと赤くして、「緊張しちゃうの」と走って行ってしまった。
「行っちゃったね」
「すみません、緊張してるみたいで……」
「緊張してもらえるなんてありがたいよ。そういう作品が書けてたと思うと嬉しいな」
エイプリルは前方で北川さんと話している。
なんてったってエイプリルをこの道に引き込んだのは田中先生の作品なんだから。その張本人が目の前にいて、緊張するのは当然だ。
「あの、どうして女子更衣室へ?」
「生徒達に聞いたんだよ。あそこで色々あったって……。それに今はこっくりさんをする場所にも使われてるんだってね」
「それも誰かに聞いたんですか」
「うん、3年生の女の子かな。あそこでやると当たるんだって」
「当たるって……」
その時、車の前に着いた私と田中先生は機材を押し付けられ、結局その話はうやむやになった。私達四人はせっせと機材を運ばされる。キツい階段をのぼってなんとか踊り場に到着した所で――誰かが倒れていた。
スーツの背中に、まるで靴で蹴られたかのような痕を浮かび上がらせて……。