リタイヤスイッチ
左隅に立体映像が現れた。
非常ベルのボタンのようなデザイン。
「リタイヤ」の文字の下にスイッチ。
左に向くと左隅に動く。
リタイヤスイッチを見ながら向くと正面に来た。
右手の指でさわると、きちんと触れられた。
押すとどうなるのか?
リタイヤとは。死?
何かのゲームを行うとか。
手で左に動かすとスイッチもその位置へ移動。
首にかけてあるヘッドセットタイプの携帯端末で
ニュースを見る。
全世界の人間70億人に各国語で「リタイヤスイッチ」が
立体映像で表示された。
利き腕とは逆の位置。
携帯端末を付けていなくても、裸の状態でも表示される。
「原因不明です。絶対にスイッチを押さないように」
とアナウンサーは話している。
しかし~するな、と言えば、やる者がいるに決まっている。
しばらく待つと。
「効果が判明しました。スイッチを押すと消えてしまいます。
服や靴も。テレポートのような感じです。蒸発ではないようです」
ほう・・・私は既に年寄り。夢も希望もない。
あの世に移っても全然構わない。
むしろ安楽に行けるなら望ましい。
安楽死は認められていないからだ。
私は町中を歩いているところ。
人々は仕事の手を止めて考え込んでいる。
それにしてもたとえば・・・。
アナウンサー
「脅迫で強要した場合、脅迫者が消えます。
というか、脅迫者のスイッチに変化するようです」
さっそくそういう事例が出たらしい。
「待て!泥棒!」
コンビニからチンピラ男が走り出てきた。
店員の男が追いかける。
追いついて格闘。
店員男は空手らしき技で泥棒男を叩きのめした。
「*****!」わからない言語でダーティワードらしき事を
喚いた外国人泥棒男は、倒れた状態で左側を押す真似をした。
泥棒男は、スッと消えてしまった。靴も服も。
リタイヤスイッチを押したらしい。
同様の事件が続発。
警察に捕まってもスイッチで逃げられると判断したらしい。
アナウンサー
「現在、消えた人間は再発見されていません。
各国は消えた人間のデータを共有して
捜索する取り決めを行いました。
刑務所では囚人の全員がスイッチを押して消えました。
脱出できると勝手に判断したようです」
それから1週間が経過した。
全世界の人口の5%がリタイヤして消えた。
再発見は1件も報告されていない。
世界宗教会議の結果が指導者たちから発表された。
「これは人知を超えた奇跡であり、神の御技である。
従って神の御意志に従ってスイッチを押すことをお勧めする」
そう言って指導者たちは消失した。
彼らに従って、信心深い多くの信者たちも消えた。
これで人類の50%が、いなくなった。
私はスイッチを押すかどうか迷った。
期間限定だったら押すだろう。
しかしいつでも死ねるなら、急いで行く必要もない。
ぼけ症状が出たら押す。安楽死の保証。すばらしい。
まあ、テレポートだから死ぬとは限らないが。
カンカンカンカンカン!
福引の鈴のような大きい音が響き渡った。
赤い虎のお化けと、青い半魚人のお化けが現れる。
人の目の前すべてに。精巧な立体映像らしい。
「YA!どうもどうも、ここまでですー!ご応募ありがとうございましたー!
人類の半数に達しました!ここで締め切ります!」
左側のリタイヤスイッチが消えた。
「いやー、どうなることかと思いましたが無事に済みましたねー」
「あ、まず自己紹介からしないと。私はトラです。虎でトラ、わかりやすい!」
「半魚人のバイです。特技は増殖、倍々に増える能力があります!」
トラ「我々は全宇宙細菌連合のエージェントです。
生き物には適切な人口分布が必要です。地球人は35億人です」
バイ「増えすぎたらパラレルワールドの地球へ移ってもらってるんですよ。
これまでも10回ほど行っています」
トラ「みなさんの記憶も変更して最初からその人数ってことにします」
バイ「つまり異世界に」
トラ「トラ」
バイ「バーユ!みたいな感じで」
トラ「そういうわけでしてスイッチを押さなかった皆さんは
元の世界で生存を続行してもらうということで」
バイ「皆さんは細菌を運ぶ車、繰り返す、リ、タイヤ!的な~」
トラ「スイッチを押した人は別世界で細菌を運んでもらうってことで」
バイは増殖して全員でコーラス。
「それではこれで~!また皆さんが70億人まで増殖した時に~
お会いしましょう~!バイバイ~!」
私は目を覚ました。
歩きながら気を失うとは。
いよいよ年か。腰痛もひどくなってきてる。
杖が必要か。安楽死する方法が許されれば。
何となく左側を見る。
簡単に死ぬ方法があったような。
・・思いつかない。
そういえば最近は急に人口が減ったような気もするが。
これも物忘れの勘違いだろう。
やっぱり安楽死センターはあった方がいい。
ソクラテスの飲んだような、眠るように
あの世に行ける薬を提供してくれれば。
法律で大きい病院では安楽死を許可すべきだと思う。
そういう政策をしてくれる政治家はいないのか。
彼らも高齢者で他人事ではないだろうに。
[終わり]