5.奴ら
『こちら菱川。敵機確認しました。第三班が交戦中の模様です』
「戦況は」
『敵機は未だ撃破されていません。迎撃意志は見受けられませんが、こちらの攻撃は全く的中していない…厄介ですね』
「新入隊員が整い次第すぐに向かうよ。それまでは他班の援護を頼む」
『了解』
短く応えた菱川に、黄瀬は通信を切り替える。入力した番号は新入隊員たちのものである。
ファースト・フライトとあって、彼らは離陸から少し不安定だ。機体のバランスや速度の感覚を掴むにはまだ時間が必要なのだろう。
とはいえ、三人が優秀な隊員であることに疑いない。現に黄瀬の指示がなくとも宇宙まで問題なく飛んでいるのだ。
軽微とはいえ訓練時代より改良された機体を乗りこなすあたり、柔軟性も満点である。
「三人とも大丈夫そうだね。すぐに戦闘に入るけれど、準備はいいかい?」
少し強ばった声で返事がある。
当たり前だろう。黄瀬だってファースト・フライトを飛んだ時には手が震え、操縦桿を引き違えて敵に突っ込みそうになった。
聞く限り三人は四年前の自分よりもよっぽど落ち着いている。
「心配しなくても、今日は他班や僕らのサポートに回ってくれればいい。あちらにも迎撃意志はないというし、すぐに終わるよ」
少し離れた所では、仲間たちが敵機を追いかけて飛び回っている。
レーザーが空間を切り裂いて戦闘機へ連射されている。しかしそれらは当たることなく消える。
普段ならこんなことは有り得ない。黄瀬は考える。
大戦で現在最も優位に立っているのはこの国であるはずだ。よもや新型の戦闘機でも開発されたか。光速レーザーの感知、更には回避システムなど、今の科学技術に実現可能なのだろうか。
開発の内情を聞かされない一隊員には分からない話である。
にも関わらず、黄瀬には絶対に勝てるという自信があった。それは己が世界で最も優秀な東火宙軍という組織に認められた存在であるから。
そして彼ら新入隊員も同じく。
「それじゃあ行こうか」
ブーストを最大火力に設定し、操縦桿を捻る。戦場を前にしても新入隊員たちは止まらない。黄瀬は思わず口角を上げた。
敵機を撃ち落とす。それが東火宙軍Novasの使命。
さあ、戦闘開始だ。
敵機の一つを追って攻撃を仕掛ける。
目の前の空間を光線が走っていくけれど、それはどれも躱されてしまう。
今度は仲間の攻撃を避けてくるりと旋回し、上昇。
思わずため息をついてしまうほどに美しい身のこなしである。
一機に限ったことではない。追われる五機全て、Novasに属する隊員たちよりも優れた技術を持つことが見て取れる。
菱川は思わず操縦桿を握りしめた。
宙軍が敗北を見ないという訳ではない。一般隊員が犠牲になることも過去多くあった。
戦争とは命を奪うものである。犠牲を出さないなど不可能に近い。
しかしNovasにおいて、犠牲者はおろか、彼らが敵を倒さずに帰ってきた日があっただろうか。恐らく片手で数えるほどだろう。
それが彼らを世界最強たらしめ、彼らの士気を高めているのだから。
「…やっぱり、おかしい」
機体をどれだけ進めても、どれだけ照準を合わせても、敵は殲滅されない。
奇妙な焦燥が菱川を支配する。
否、それは彼女だけではないだろう。今敵機を前にする誰もがそうであるはずだ。
(一度離れるか)
このまま追い続けたところで捉えることはできないだろう。
操縦桿を捻り、渦中から抜け出す。
『こちら第三班広瀬。菱川、応答して』
「こちら菱川。何かあった?』
第三班の友人からの通信が入る。
広瀬とは訓練時代から親しく、基地内にある寮の部屋も隣だ。聞き覚えのある声に安堵し、菱川は強ばっていた表情を緩めた。
しかし普段朗々と響く広瀬の声にはノイズが混ざり、その不快感は菱川の不安を煽る。
『おかしいんだよ。おかしい』
「敵機に攻撃が入らないってこと?それなら私も』
『違うの。聞いて』
絞り出すような声にただならぬ様子を察する。
広瀬は震える声で言う。
『徽章が……国の識別徽章が、ない』
その意味を理解できないほどに阿呆ではない。
つまり、菱川にはそれが示すことなど一つしか思い当たらない。
『奴らが来た』
無線を通じた言葉が頭の中に渦を巻く。
真っ白になった思考が回らない。
指先が冷たくなり、操縦桿を握りしめているはずの感覚がなくなった。
「……第五班に、この事は」
『なぜか無線が通じない。菱川の無線も、さっきまでノイズだらけだったし、多分……』
辛うじて働いた脳が警鐘を鳴らしている。
もはや、これがただの奇襲でないことは明らかであった。
(でも、それなら何故こんなところに)
無徽章の戦闘機は十年前のあの日、開戦の原因となったあの事件以来一度も確認されていない。
開戦当初は尚のこと、開戦要因となった戦闘機には世界中が注目し、警戒していた。見逃すことなど無かろう。特にNovasは。
彼らの目的は、少なくとも穏便な話ではない。
ならば。
「まずい……!」
咄嗟に仲間たちを振り返る。
彼らは焦燥に駆られ、徽章など目に入らないのか。いや、菱川自身も徽章がないことに気がつかなかった。何か絡繰があるのかもしれない。
菱川は唇を噛み締めた。
己の注意不足か、こんなこと。
黄瀬には迎撃意志は見受けられないと言った。それが真実でなかったとしたら。
本当は、時期を伺っていただけだとしたら。
「逃げてッ!」
叫んだ声は仲間に届かず、機内に響くだけである。
いつの間にか広瀬との通信も切れている。
操縦席の厚い天蓋の向こう側、飛び回る仲間たちの真ん中で、敵機から何かが放たれたのが分かった。
そして。
一瞬にして視界が白く塗り潰された。
眩む世界に、菱川は強く目を瞑る。
奪われた視覚の中で無線のノイズだけが妙に耳に残る。
そして恐る恐る目を開いた時。敵機は既に遥か向こうを飛んでいた。
(閃光弾か……!)
光で相手を牽制するために用いられる武器。
すぐさま追撃しようとするも、菱川の両手は震え、操縦桿は思うように動かない。
混沌とした脳内。靄のかかったように思考回路は働かず、ただ小さくなる敵の影を見つめるだけ。
自分の存在すらも溶けてなくなっていくような感覚に陥る。
混乱する菱川を他所に、徐々に耳元のノイズは晴れ、第九班の仲間の声が聞こえる。
『菱川、聞こえる?』
「黄瀬さん!敵が、早く追わないと!」
『あれは捨ておくしかないよ。この状況で追撃したところで撒かれるのがオチだ』
変わらず冷静な黄瀬の声に悔しさが募る。
周りを見渡しても動いている機体は見られない。皆一様に立ち止まり、呆然と敵機を見送る。
黄瀬の言う通り、ここで動いたところで一隊員である菱川にはどうにもできまい。
焦燥感に歯を食いしばる、その時だった。
「……え」
菱川の横を掠めるようにして一機の戦闘機が飛んでいく。見慣れた白い機体は間違いなく東火宙軍のものである。
あっという間に敵との距離を詰め、それは一陣の光線を放った。不意打ちを食らった一機は翼を焼かれる。
しかし胴体部分を貫通することはなく、敵は今度こそ完全に姿を消した。
恐らく8Eにも搭載されている自動修復システムだろう。三十年ほど前に開発された素材を用いて、ある程度の傷ならば問題なく航行することができる。
しかし十数人が対峙して完敗したものに易々と攻撃を仕掛けるなど、彼は一体。
スコープに捉えられた翼の数字を見て、菱川は大きく目を剥いた。
(……どうして)
光る翼に印字された数字は91。
それはこのフライトに有り得ない数字である。
すぐさま菱川は黄瀬に無線を繋ぐ。
心臓の高鳴りは未だ収まらず、黄瀬へ繋いだ声は無様に震えている。
「先程の戦闘機の機体番号を確認しました」
大きく息を吸い込み、その名を告げる。
「91号機……東海班長です」