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3.サイレン

「そっちに行ってはいけないよ」

「……なぜ?私はもう、こんなところに居たくない」

「なぜって。分かっているんだろう?君が歩くべきは、こちらの道だからね」


無味乾燥(むみかんそう)の思い出たちの中で唯一鮮やかに残る記憶。

校舎の屋上、その縁に立って見た景色。


風に浮かんだカーディガンの裾を掴み、青年は柔らかい笑顔を浮かべた。


「僕たちと一緒に、宇宙を飛ばないか」


あの日から変わってしまった景色。

ぼやけた世界は輪郭を取り戻し、日常が眩しく輝き始めた。


今、目の前を飛ぶ一機の戦闘機は、彼を乗せて暗い宇宙を駆けていく。





Novas第九班の隊員である菱川蛍(ひしかわほたる)一尉は、上官である黄瀬の命を受けて新入隊員探しに出た。

東火宙軍のターミナル内は複雑な構造ゆえ、毎年上官が新入隊員たちを探すというのがお決まりである。


とはいえ、多くのエリアは専用のパスがなければ入ることすらできない。

彼らが行き着く場所なんてたかが知れている。


(ホール、食堂、図書室……あとは発着場(はっちゃくじょう)の方かな)


パスなしで入れるエリアを脳内でリストアップし、人の少ない廊下を小走りで急ぐ。


視界の端で自らの金髪が踊る。


戦闘力では上官たちに劣るが、頭のキレは悪くない。

だから、黄瀬たちはいつもこういう仕事を菱川に任せるのだろう。


「すみません、この辺りでNovasの新入隊員見ませんでした?迷ってるみたいで」

「はは、今年もか。新入隊員かは分からないが、発着場の入口にNovasの奴が一人いたと思うよ」


発着場へ繋がる階段を上ってきた上官は、どうやら彼を見たらしい。

短く感謝を伝えて階段を下りる。


発着場には東火宙軍で現在使われている最新鋭の戦闘機であるLAb-408Eが並んでいる。

ほとんどは格納庫にあるはずだが、着陸直後や離陸前の機体は発着場に引き出される。


(こんな所まで下ってくる新入隊員なんて見たこともないけど)


ショートブーツが高い音を響かせる。


「菊田くん?」


黄瀬に教えられた名前を口にしつつ、階段の踊り場から発着場の方を覗き込む。

先程の上官が言った入口には彼の姿はない。


中に入ったのかも、と最後の十段を駆け下りた


ーーーー刹那。


「ッ!?」


ドンと耳を(つんざ)くような音の後、発着場の入口から炎が吹き出す。


一瞬にして周りの空気が熱くなり、菱川は咄嗟(とっさ)に身を屈める。


(まさか敵襲?)


戦争が始まって十年。この基地が攻撃を受けたことはなかったはずだ。


それが一体、なぜ。


(いや、今はそれどころじゃない)


新入隊員の彼はここにいるはずである。

発着場の中にいたのだとしたら、彼は。


そんなことは考えたくないが。


「菊田くんッ!」


菱川の叫び声を掻き消すように敵襲を知らせるサイレンが鳴る。

(くも)った視界に炎がちらつく。


甲高い音に混じって、誰かの足音が菱川に近づく。


黒煙の中、軍服が姿を現した。





「あれ、この写真に写ってるの、黄瀬さんじゃないですか」


真と同じく新入隊員の黒島日向(くろしまひなた)はセミロングの黒髪を揺らした。

暇を持て余した彼女は、どうやらデスクに置かれた写真立てに目をつけたらしい。


(中学生くらいだろうか。まだ少し幼いな)


フレームの中で笑うのは二人の少年だ。


一人は日向の言うように黄瀬だろう。もう一人は分からないが、無邪気な笑顔を浮かべた二人の背景に写っているのは間違いなく横浜である。


「そうだよ。普段の僕のデスクはそっちだからね。ここは本来班長の席だけど、今彼は不在で。その写真は中学の時のものだよ」


タブレットから顔を上げて笑みを浮かべる。


(やはり班長は不在なのか)


東京へ出張にでも行っているのだろうか。


ここ横浜は東火宙軍の本部基地だが、東京にも宙軍関連施設はいくつか存在する。

そちらに行ったのならば、横浜に戻るのは少なくとも今日ではない。


「へぇ、じゃあ黄瀬さんって横浜育ちなんですね」


日向の明るい声に黄瀬が笑って頷く。


「中学もすぐそこでね。よく友人と(おお)さん(ばし)なんかに出かけたよ。そうだ、たしか藍沢と同じ中学だと思ったけど」


告げられた名前は間違いなく真の母校のものである。懐かしいその場所に通わなくなってもう一月が経つ。


「いいなぁ。私は田舎の出身だから、観光地の生まれって羨ましいです。あっ、もしかして、その友人っていうのが隣の人ですか?」

「うん、そうだよ」


「もしかして、東火に所属してたりして」


日向の言葉に、ふいにキンと空気が張り詰めた。

終始柔らかい笑顔だった黄瀬の表情に(かげ)りが差す。


「……うん、そうだよ」


しかしそれも一瞬のことで、黄瀬は再び口角を上げる。貼り付けたような笑顔で笑う。


(偽るのが上手いのか。(あなど)れないな)


ただの優しい上官ではないようである。


触れれば途切れそうな空気の中で、三人の間に沈黙が落ちた、その瞬間。


空間を断つように、けたたましい非常ベルが鳴り響いた。


ガタリと音を立てて黄瀬が立ち上がる。

その顔に先程までの笑顔はない。


(敵襲のサイレン、か……?)


『発着場で爆発を確認。敵襲の可能性あり。Novas全班は至急発着場へ集合せよ。繰り返す……』


耳を劈く音に混じったアナウンスは緊迫していて、きっとこれは訓練ではない。


新入隊員が困惑する中、黄瀬の行動は早かった。


「藍沢、黒島。これ付けて」


投げられた小さなバッジは、Novasの徽章(きしょう)だった。真の手の中で輝く徽章は新入隊員たちの憧れである。

黄瀬の胸元で光るものと同じ。


東火宙軍のバッジと並べて、真と日向は徽章を軍服に付ける。


「この徽章を付けた君たちは、もう僕らと同じ。Novasに属する宙軍きっての精鋭としての技量を求められる」


鳴り続けるサイレンの中にあっても、黄瀬の声ははっきりと澄んで、真たちに届く。


「そして、本当に敵襲なのだとすれば、君たちも飛ぶことになるかもしれない。ファースト・フライトにしては随分とハードだけど」


東火の新入隊員は基本的に、幾度かのシミュレーション・フライトを経て戦場へ赴く。

訓練もなしにいきなり飛ぶというのは本来ならば有り得ないことである。


(それほどに、敵襲という事態が特殊だということだろうか)


二人の顔に緊張が走ったのを見て、黄瀬は少し頬を緩ませる。

「大丈夫、藍沢と黒島には僕たちが付いているから」


外のホールにたくさんの足音が駆け回るのが聞こえる。きっと発着場へ向かうのだろう。


黄瀬の視線が二人を貫く。

心の内側から溶かされてしまいそうなほど、その視線は熱を孕んでいる。


「だから、Novasの名に恥じないフライトを」


揺れる空気を吸い込んで二人は応える。


「了解しました」


Novasという名を冠するに最も相応(ふさわ)しい者たち。

その表情に、黄瀬は満足げな表情を浮かべた。


「健闘を期待しているよ」

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