名とは肩書が全て
『この世界は所詮、力と金だ』
俺が幼い頃から言い聞かされてきた言葉。
最初は意味の分からなかったその言葉も二十年聞き続ければ、そういう環境に置かれていれば、それも理解する。
愛だの信頼だのは結局、力と金の上に成り立っている体裁に過ぎない。
力やお金がなくたって、愛や信頼できる相手がいればそれでいい。
……本当にそれでいいのか、否。
愛や信頼がなくとも、力と金でそれに勝るものを買えばいい。
結局、目に見えないものを信じようとするのは、それしか信じられるものがないから。
それにすがることでしか、自分の身を守ることが出来ないからだ。
「お待たせしました、始めましょうか」
巨大で重そうな扉が開かれた先で待っているのは、四者四様の格好をした男女四人。
彼らが座っている豪華絢爛な椅子の空いている最後の一つに座る。
「では私から。 朱杏一族がかねてより出資していた製薬会社での臨床実験が最終段階に入りましたの。 榛一族との共同出資ですから、協力していただきたいのですが」
「当てはまりそうな人物をリストアップしておく。 事前説明頼めるか、蒼汰」
「わかりました」
「はーい。 みぃのところで管理している港で、変なものを持ち込もうとしている人たちがいるんだってぇ」
「こちらで調べたところ、晴翠家の管理下の土地に住まう、裏社会のところが密輸先でした。 目的も知りたいので交渉の場を作って欲しいのですが、可能ですか」
「整い次第、そちらに連絡させていただきます」
話しながら、同じタイミングでそれに関する資料が手元に送られてくる。
一通り目を通した後は、そのままここにはいない部下へメールを通じて指示を出す。
「蒼汰んとこは何もないのか」
「以前の会議で頼まれていた交渉の件で、返答が済んでいなかったものの詳細を送らせて頂きます。 今回の交渉は最重要案件および特殊案件ではないと判断し、立ち合いは私以外の者になります。 何かあれば私が立ち会いますが」
「弥白一族が調べてくださった情報から、あなたが必要ないと判断なされたのであれば、疑う余地などありませんわ」
「それからもう一つ。 国から重要特殊会議の立ち合い要請が入りました」
「げっ……、名ばかりのただの宴会だろ」
「みぃもお家に居たいなぁ」
「僕らが二十歳になりましたからね。 ようやく全員と、お酒の力も併せて話し合えるという魂胆でしょう」
ただ、俺のその操作が異常に速いというわけではない。
ここに座っている他の四人も、話しながら同じ速さで自分のパソコンを操作している。
「他に何か気になったことがある方はいらっしゃいますか」
「ないな。 いつもより早いが今日は解散とするか」
「わぁい!」
開会も閉会も本人たちの意思一つ。話し合うことがなければ今日のように五分で終わることもあり、逆に一日中部屋にこもっている日もある。
「新しいお茶菓子が手に入りましたの。 皆様もよければどうですか?」
朱杏一族長女、朱杏 花緒里。日本で経営する会社のほとんどは、朱杏一族の出資を受けている。
「みぃもおいしそうな紅茶持ってきたよぉ」
由宇青一族長女、由宇青 美来。諸外国との繋がりを利用し、日本の貿易産業の全権を得ていると言っても過言ではない。
「新しい大学病院を建てようとしてんだよ、どっかいい所紹介してくれ」
榛一族長男、榛 彰。医療界への巨大出資を行い、日本の医療界を世界と渡り合える最先端へと押上げた。
「またですか。 晴翠家から建物も買い上げるというのであれば、案内しますよ」
晴翠一族長男、晴翠 尚親。建築・不動産業界の頂点に君臨し、もはや晴翠一族が手に入れていない土地を探すほうが困難と言われている。
今の日本は、この四つに俺がいる弥白一族を含めた五台貴族で回っている。この会議はそんな巨大一族の次期長たちで開かれる定例会議だ。
「すみませんが、私はこれで失礼させて頂きます。 少し用事がありまして」
パソコンを閉じ、会釈をして部屋を出る。部屋を出たところで、何か言いたそうに俺を見る他の一族の従者たちだったが、生憎かまっている暇などない。
入口で待っていた車に乗り込むと、何も言わずとも車は走り出す。
用事などない。ただ早く家に帰りたい。
家が居心地の良いものであるというわけではない。それでも、自分でいられる場所のほうがまだ良い。
「おかえりなさいませ」
「部屋にいますので、なにかあれば連絡を」
「かしこまりました」
会議していた時と全く変わらない控えめな抑揚。貼り付けた笑顔も、それが本当だったのかもしれないと自分で錯覚できるくらいには、上手くなった。敬語も誰と話すときでも、自然に出てくるものになった。
「おかえりなさい! 宇宙お兄様」
名前でさえも。他人の名前で呼ばれても、疑うこともなくなった。
俺のことを本当の名前で呼んでくれるのは、もはや彼女だけだった。
意図して呼ばない者、むしろ弥白宇宙という人物を知らない者。後者が多くなってきた頃には、抗うことを一切やめた。
「ただいま、葵」
笑顔で俺に飛びつく大切な妹を優しく抱きしめる。自分という存在がどんなに認められていない世界でも、彼女がいれば耐えることが出来た。どんな理不尽も耐えてきた、それがいつか自分や彼女のためになると信じていたから。
「蒼汰様、お客様がお見えです」
「わかりました。 行ってきますね、葵さん」
少し悲しそうな顔をしたが、彼女も行ってらっしゃいませと言ってくれた。
他人の名前で呼ばれることを喜んで了承する者などいない、では俺はいったい何なのか。
日本を支える五大貴族の一つ、弥白一族。弥白蒼汰はそこの長男であり、弥白一族の次期長である。五大貴族における弥白一族の役割は、要望する人物との交渉の場を提供し、代理で交渉を行うかその交渉の証人となること。交渉相手は国の重要人物から裏世界の大物まで。どんな人物でも積み上げたコネクションと、培われた権力を使ってその場を用意する。
そうして成立した交渉の場にどのような立場であっても居合わせるということは、それだけ多くの秘密を各方面から手に入れられるということだ。
そのような立場にいる弥白一族の長は命を狙われやすい。そこで育てられたのが、次男の俺だった。
簡単に言えば影武者。危険な場所には影武者である俺が出向き、兄である蒼汰は正式に弥白一族を継ぐ。
そう言われながら俺は育てられた、……兄が姿を消すその日までは。
殺されたわけではない、誘拐でもない。ある日突然、姿を消した。
『お前が蒼汰としてこの家を守れ』
喜んだわけじゃない。ただ一つもそういう気持ちがなかったかと問われれば、素直に頷けない。
兄が死んでいなくなれば、俺がこの家を継ぐことになるのではないか。そうすれば、蒼汰としてではなく宇宙として俺を見てくれるのではないか。
そんなことはなかった。世間には俺が思っていたよりもずっと、俺の存在がなかった。
『次期長は弥白蒼汰である』
一瞬でも兄の死を願ってしまった、自分への罰なのだと。
「貴様ぁ! 何者だぁぁ!」
「長にご連絡を! 侵入者をとらえろ!!」
目を閉じるといつでも思い出せる、長であるある父からの言葉。
その闇から浮かび上がることに時間をとってしまったことと、珍しく過去の事を鮮明に思い出してしまったこと。
今日の会議のためにここ最近、徹夜が続いていたこと。
一瞬でも、どうにでもなってしまえと思ってしまったこと。
「弥白家次期長、弥白蒼汰! 貴様が無能で強欲なせいで、俺たちは全てを奪われたんだ!!! その命を持って償え!!!!」
俺たちと言ったからには、一人で乗り込んできたわけではないのだろう。話している最中も、二度ほど俺から目線が外れた。
そして気配を隠すつもりはないのかと、疑いたくなるほど感じる、俺の背後からの気配。
俺は誰かが一方的に、不幸になるような仕事はしない。少なくとも、目の前にいる一般人から恨まれるようなことは。
ということは、おそらく本物の弥白蒼汰が行ったことの犠牲者なのだろう。……五年以上前から、復讐の機会を伺っていたということか。
謝って許されることではない。
俺ができる償いといえば振り下ろす刃物を止め、事を穏便に済まし、その者の願いを聞くことくらいだろう。俺の命など軽すぎる償いだ。
そこまで考えていた、考えることが出来た。
「蒼汰様っ!!!」
その名前を聞いた瞬間全ての思考が止まり、スローモーションのように見えていた世界は突然終わりを迎え、代りに自分の体がスローモーションになった。
やけにはっきりと感じた、冷たい刃物の感触と生温かい血液。
前からも後ろからも刺されているはずなのに、なぜか痛みは感じない。
従者が俺を心配する声を上げるのは、俺が弥白蒼汰だから。誰も弥白宇宙の心配をしている者などいない。緊急のこの状況の時でさえ、俺をその名で呼べるのだから。
俺は疲れてしまった。
弥白蒼汰を演じることに、誰も弥白宇宙を見てくれない現実に。
意識を手放そうとした俺の手を、誰かに引っ張られた気がした。
初めに読んでいただきありがとうございます。
この小説はすでに投稿している自分の小説の設定を使いながら投稿しております。そちらは、少しづつ消していきますので、かぶっている内容などがあってもスルーしていただけると嬉しいです。