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此の身ひとつの贖罪  作者: 赤坂壱
本編
8/10

第八夜

 不幸というものは重なるもので。


 数日後、宗右衛門は都に衛士として召集された。任期はおよそ三年間。


 妻をなくし、母も恐らく長くはないであろう宗右衛門。もう、母と見えるのも最後かもしれない。


 幼狐ももう、宗右衛門とは逢えない。


 逢えるはずもない、合わす顔もない。


 けれど、決して逢えずとも都へ向かったのは、あるうわさを聞いたからだった。


『任期を勤めあげ、帰ってくるものは少ない』


 それはつまり、途中で死んでしまうということ。


 ならばきっと、彼を村に帰してあげよう。


 恩人であるべき宗右衛門に裏切りしかなせなかった幼狐の、せめてもの償いだ。


 そうしてやっとの思いで辿りついた都で、宗右衛門を見つけた。こっそりこっそり、食べ物を運び続けた。


 見つからないように。


 遠くからであれ、宗右衛門の姿が見られること。彼の役に立っているという自覚。それだけが唯一幼狐を生かし続けた。



 △△ △△ △△ △△



 昨夜は雨が降った。濡れた地面はまだ乾かない。空には雲が幾重にも重なって垂れ込み、晴れ間になる気配はなかった。しばらくすると、また降り出すかもしれない。風も冷たくなりつつあり、いよいよ季節は冬に移る。


 秋刀魚を刺した枝を口に銜え、いつものように幼狐は遠くから門を伺った。獣の姿で。宗右衛門がまだちゃんと、そこにいてくれているか確認しないといけなかったので。


(……?)


 しかしそこには、男の姿はなかった。


 幼狐は首を傾ける。


 確認とは言いつつ、実際幼狐は宗右衛門がいない事態など想像していなかったのだ。この時間帯ならば大体、宗右衛門は門の傍にいた。


 どうしたんだろう。


 訝しみつつ、幼狐は少しだけ門番に近づいた。宗右衛門の代わりなのか、一人、見知らぬ男が加わっている。


 遅れてしまったなら、今日は用心して届けなくてはならない。家にいるとすれば、見つかる可能性は高くなる。


 彼らは他愛ない話に興じていた。


 伏せて、じりじりと幼狐は待った。


「宗右衛門のこと、知ってるか」


 す――っと、男の声が低くなった。密談をするように。


 幼狐はぴんと耳を立てる。


 かすかに歩を進め、続きを待った。


「貢ぎ物を、もらっているという話は聞いただろう。どこの誰とも知らない子どもに。どうやら奴はその子どもを探しているようだ」


 幼狐は顔を俯けた。


 探してくれているらしい、というのは日々の会話で知っていた。


 そのたびに降り積もっていくのは後悔だ。どうしてあの日、逢ってしまったのだろう。


 ……どうしてそうえは、一度遇ったきりの仔どもを探すのだろう。


「探したところで、見つかるものでもないだろう」


 そうだ、その通りだ。


 それに、そうえ。その仔どもが贈り主だと、決まったわけでもないでしょう。


 しかしそのことは宗右衛門も承知しているのだ。


 誰とも知らぬ貢ぎ主を、いつかは探し当てるつもりだったのだと彼は言っていた。子どもに出逢って、もしやという気持ちが湧いた。もしこの子ならば、もう一度、と。


「そうなんだがな、毎晩出回っているようで。……美しい子どもだったと聞く。しかし、ああも熱心に探しているのを見ると、」


 言いよどむ同僚の言葉を継ぎ、出される核心。


「――妖怪変化の類の間違いではないかと? 宗右衛門が化かされているというのか。確かにそういった話はよく聞くが」


「可能性があると言ったんだ。……神仙よりは、納得がいく」


 化かしてなんか、いない。


 幼狐は呟く。


 化け狐であることは間違いない。それは否定しない。


 けれど、そうえを騙したりなんて、絶対にしない。


「、まあ、見つけてしまえば分かる話だろうさ。人か神か、それとも妖か。……だが見つける前に風邪を拗らせては意味がないだろう」


 風邪だって!?


 思わず幼狐は銜えた秋刀魚を落としてしまった。


 どういうことだ、それは、そうえは!


 駆け寄ろうとした幼狐は、そこで肢を止めた。自分の失態にようやく気づいた。よっつの目が、幼狐を見る。


 じり、と後ずさる。全身が冷えた。


「……やはり、狐か」


 よく、宗右衛門と組んでいた男だった。彼は低くそう言った。すらりと背中から取り出したのは、先のとがった矢。


 それを弓に番え、ぎりぎりと絞る。


「宗右衛門を謀ったか」


(……っ「謀ってない!」


 幼狐は叫んだ。声を振り絞って。無意識に、変化していた。それだけは否定したい。どうして、おれがそうえを騙す。


 しかしこれは間違いだ。獣の姿を見られていてはもう遅い。そうは思ってなど、もらえない。


「化け物め」


 左肩を、矢が貫いた。痛みで息が詰まる。眩む視界。衝撃に息がつまり、あっという間に変化は解けた。


(――――――ころされる)


 幼狐は咄嗟に踵を返した。足元に落としてしまっていた、今年最後の秋刀魚を拾う。


 感覚のない左の前足を、先へ。ぼたりと地面に血がにじむ。先へ。


 無我夢中で駆けた。今までにないくらい、早く。


 どうせ死ぬなら、死んでしまうなら。


「待て!」


 制止の声も、途中で受けた矢も、気になんかならなかった。


 それよりも、意識を支配していたのは、宗右衛門のことだけだった。


 追いかけてきている気配は感じていたけれど、きっと、それより幼狐は速い。大丈夫、……きっとだいじょうぶ。


(……しんでも、しねないよ)


 諦めに似た心地で、幼狐は思った。


 そうえにこれを届けるまで。


 元気になってもらわなければ。風邪を引いているのなら、秋刀魚はきっと栄養になるよ。



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