第八夜
不幸というものは重なるもので。
数日後、宗右衛門は都に衛士として召集された。任期はおよそ三年間。
妻をなくし、母も恐らく長くはないであろう宗右衛門。もう、母と見えるのも最後かもしれない。
幼狐ももう、宗右衛門とは逢えない。
逢えるはずもない、合わす顔もない。
けれど、決して逢えずとも都へ向かったのは、あるうわさを聞いたからだった。
『任期を勤めあげ、帰ってくるものは少ない』
それはつまり、途中で死んでしまうということ。
ならばきっと、彼を村に帰してあげよう。
恩人であるべき宗右衛門に裏切りしかなせなかった幼狐の、せめてもの償いだ。
そうしてやっとの思いで辿りついた都で、宗右衛門を見つけた。こっそりこっそり、食べ物を運び続けた。
見つからないように。
遠くからであれ、宗右衛門の姿が見られること。彼の役に立っているという自覚。それだけが唯一幼狐を生かし続けた。
△△ △△ △△ △△
昨夜は雨が降った。濡れた地面はまだ乾かない。空には雲が幾重にも重なって垂れ込み、晴れ間になる気配はなかった。しばらくすると、また降り出すかもしれない。風も冷たくなりつつあり、いよいよ季節は冬に移る。
秋刀魚を刺した枝を口に銜え、いつものように幼狐は遠くから門を伺った。獣の姿で。宗右衛門がまだちゃんと、そこにいてくれているか確認しないといけなかったので。
(……?)
しかしそこには、男の姿はなかった。
幼狐は首を傾ける。
確認とは言いつつ、実際幼狐は宗右衛門がいない事態など想像していなかったのだ。この時間帯ならば大体、宗右衛門は門の傍にいた。
どうしたんだろう。
訝しみつつ、幼狐は少しだけ門番に近づいた。宗右衛門の代わりなのか、一人、見知らぬ男が加わっている。
遅れてしまったなら、今日は用心して届けなくてはならない。家にいるとすれば、見つかる可能性は高くなる。
彼らは他愛ない話に興じていた。
伏せて、じりじりと幼狐は待った。
「宗右衛門のこと、知ってるか」
す――っと、男の声が低くなった。密談をするように。
幼狐はぴんと耳を立てる。
かすかに歩を進め、続きを待った。
「貢ぎ物を、もらっているという話は聞いただろう。どこの誰とも知らない子どもに。どうやら奴はその子どもを探しているようだ」
幼狐は顔を俯けた。
探してくれているらしい、というのは日々の会話で知っていた。
そのたびに降り積もっていくのは後悔だ。どうしてあの日、逢ってしまったのだろう。
……どうしてそうえは、一度遇ったきりの仔どもを探すのだろう。
「探したところで、見つかるものでもないだろう」
そうだ、その通りだ。
それに、そうえ。その仔どもが贈り主だと、決まったわけでもないでしょう。
しかしそのことは宗右衛門も承知しているのだ。
誰とも知らぬ貢ぎ主を、いつかは探し当てるつもりだったのだと彼は言っていた。子どもに出逢って、もしやという気持ちが湧いた。もしこの子ならば、もう一度、と。
「そうなんだがな、毎晩出回っているようで。……美しい子どもだったと聞く。しかし、ああも熱心に探しているのを見ると、」
言いよどむ同僚の言葉を継ぎ、出される核心。
「――妖怪変化の類の間違いではないかと? 宗右衛門が化かされているというのか。確かにそういった話はよく聞くが」
「可能性があると言ったんだ。……神仙よりは、納得がいく」
化かしてなんか、いない。
幼狐は呟く。
化け狐であることは間違いない。それは否定しない。
けれど、そうえを騙したりなんて、絶対にしない。
「、まあ、見つけてしまえば分かる話だろうさ。人か神か、それとも妖か。……だが見つける前に風邪を拗らせては意味がないだろう」
風邪だって!?
思わず幼狐は銜えた秋刀魚を落としてしまった。
どういうことだ、それは、そうえは!
駆け寄ろうとした幼狐は、そこで肢を止めた。自分の失態にようやく気づいた。よっつの目が、幼狐を見る。
じり、と後ずさる。全身が冷えた。
「……やはり、狐か」
よく、宗右衛門と組んでいた男だった。彼は低くそう言った。すらりと背中から取り出したのは、先のとがった矢。
それを弓に番え、ぎりぎりと絞る。
「宗右衛門を謀ったか」
(……っ「謀ってない!」
幼狐は叫んだ。声を振り絞って。無意識に、変化していた。それだけは否定したい。どうして、おれがそうえを騙す。
しかしこれは間違いだ。獣の姿を見られていてはもう遅い。そうは思ってなど、もらえない。
「化け物め」
左肩を、矢が貫いた。痛みで息が詰まる。眩む視界。衝撃に息がつまり、あっという間に変化は解けた。
(――――――ころされる)
幼狐は咄嗟に踵を返した。足元に落としてしまっていた、今年最後の秋刀魚を拾う。
感覚のない左の前足を、先へ。ぼたりと地面に血がにじむ。先へ。
無我夢中で駆けた。今までにないくらい、早く。
どうせ死ぬなら、死んでしまうなら。
「待て!」
制止の声も、途中で受けた矢も、気になんかならなかった。
それよりも、意識を支配していたのは、宗右衛門のことだけだった。
追いかけてきている気配は感じていたけれど、きっと、それより幼狐は速い。大丈夫、……きっとだいじょうぶ。
(……しんでも、しねないよ)
諦めに似た心地で、幼狐は思った。
そうえにこれを届けるまで。
元気になってもらわなければ。風邪を引いているのなら、秋刀魚はきっと栄養になるよ。