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此の身ひとつの贖罪  作者: 赤坂壱
本編
5/10

第五夜

 一度言葉を交わしてしまうと、交わせなかった頃にはもう戻れない。


 ふとした瞬間に、思い出す。


 せっせと宗右衛門の家に通う幼狐を、同じあやかしものは嗤い、咎めた。


『何にもならぬ』


 そう言ったのは誰だったか。


『うん、でもそれはしょうがないんだ。おれが悪いんだ』


『お前の罪も薄れぬ』


『……知ってる』


 誰からともわからぬ貢ぎ物、幼狐からではないのだ。そうえにしてみればただの幸運で、伝わらない限り、償いではない。だが幼狐は、二度とあのような宗右衛門の激昂を見たくなかった。だから幼狐は、ただ宗右衛門が幸いであればよかった。


 宗右衛門は幼狐を探しているようだったが、それでも姿を見せる気はなかった。


 


『人間に情を掛けすぎるな。身を滅ぼす』


 


『お前にとっては善意でも、人は決して、そうは思わぬものなのだから』


 


 ……しってる、とやはり幼狐はわらうだけだった。


 すべて承知で、幼狐は長い旅路を、都まで来た。


 

 △△ △△ △△ △△


 


 ――――掛かったのは狩猟用の罠。後ろ肢を捕られ、幼狐は怖くて震えることももがくこともできなかった。


 人里の方へはいくのではなかった。ちょっとの好奇心にかけられて、近寄ったのが間違いだった。罠にかかったら、殺されて皮を剥がれ、食べられてしまうと聞く。


 ああ、きっとおれもそうなってしまうと幼狐は恐怖の中で思った。息がうまく出来なくて苦しくて、声が出るのならば必死で叫んだ。


 ただ迫りくるものから守りたくて、身体を丸めるのが精一杯で。近づいてくる足音に請い願った。どうかどうか、お願い助けて。


『……なんだ、仔狐か?』


 ふと、頭上に影が差す。


 躯を丸めて怯えているだけの幼狐の肢の罠をほどき、男は幼狐の首根っこを掴まえて持ち上げた。皮膚が引き攣れて痛い、痛い。でもまだ生きていた。


『こんなに小さくては、食いでがないな』


 笑いかけてきた男の、表情の意味が幼狐にはわからない。かすかに持ちあがった口角。ほんの少し、緩ませられた目元。ひきつったようなそれはそれでも、獲物に対する笑みではなかった。


 男は尻から幼狐を地面に下ろし、血の滲んだ肢に布を巻きつけてくれる。どうやら怪我をしてしまっていたらしい。


 布を巻き終わると、さあ、と男は幼狐を森の奥へと押しやった。


『かあさんとこに、帰れ。もう村に近づくなよ。食われるぞ』


 逃がしてくれようとしている。幼狐はただぼうと男を見上げた。


『行けよ、食うぞ』


 再度押され、幼狐はようやっと萎えた後ろ肢を踏ん張って歩いた。振り返る。苦笑してひらひらと男は手を振りやった。


 真意がわからない。混乱するあたまで、よろよろ走りながら考える。


 幼いから、小さいから。


 食いでがない、やっとその言葉を思い出す。


 人間だ、人間で、きっとほかの動物なんかは撃ち殺して食っちまうんだろう。そうやって生きてきたんだろう。


 でも、それでも幼狐は助けられた。


 胸がいっぱいで、あつかった。


 彼を好きになるには、十分だった。


 それから何度も男の姿が脳裏に浮かんだ。逢いたくて逢いたくて仕方がなかった。そのたびに、食うぞ、という言葉が蘇る。けれど日に日に大きくなる想いは、いつしか食うぞ、この脅し文句を凌駕してしまった。それでも、それよりも逢いたかった。もう一度、一目逢ってみたかった。


 ぎこちなくも見せてくれた、きっと得意ではないのだろうあの笑顔を、また見せてほしかったのだ。


 ひとりぽっちの幼狐にそうやって笑ってくれるものなんて、今まで誰も、いなかったから。


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