第四夜
あれから、幼狐は宗右衛門に会ってはいない。
あのときは不注意だったのだ。幼狐はそれから一層用心して行動するようになった。
今までは宗右衛門がいつも帰る時刻より早ければそのまま家に届けていたのだけれど、今は万が一にも遭遇したりはしないように、必ず仕事中か確認することにしていた。
今日は小倉山で果物をいくつか取ってきた。背中にくくりつけて都まで戻り、とおくからそっといつも宗右衛門が守っている門を伺う。
いつもは人型で気づかれないまでももう少し近くで様子を見ていた。なぜならこちらは左京だ。人通りが少なくなった時間帯とはいえ、狐の仔がいれば怯えられるか、追っ払われるのか、とにかくろくな目に遭わないのは確かだ。狐はあやかしと同じ扱いをされるから、殺されることだって覚悟しなければいけない。本来、都は狐が出てくる場所ではない。あやかしと思われても仕様がないし、人には見分けるすべもない。特に幼狐は本物だ。本物のあやかし狐。人に害をなすつもりはないけれど、人は決してそうは思ってくれない。
人の姿になれば視界もぼやけるし声も聞こえづらくなるが、ひどい目に遇うよりましだった。だからいつも、人の姿を取っていた。けれど今は、遠くから、見つからない位置から。
あのとき宗右衛門が出逢った人の子も、恨んでいる狐の仔にも決して出遇わないように。
しかし離れていても幼狐の聞こえのいい耳は、宗右衛門の声を拾った。
いつも警備は二人組。
まだ仕事を納める様子はない。
事件もそうあるわけでなし、男二人は話に興じている。
盗み聞きをするつもりはなかったけれど、ぴんと幼狐に耳は立った。
話題が幼狐のことだったからだ。
「昨日も貢ぎ物は来たのかい?」
「……ああ。秋刀魚が何匹か。その前もその前も、色々と届く」
宗右衛門はがしがしと頭を掻きながら、ため息を吐いた。
「ありがたいことは、ありがたい。だがなぜ俺なのかとも、思う」
それは幼狐が罪を犯したからだ。宗右衛門に対して、赦しがたい罪を。
幼狐はそれを、一生を掛けて男に償っていかなければならない。
「それはお前が妻をなくして、あわれに思ったからだろう?」
「そんな人間は、いくらでもいる。俺だけではなし、そんなことをできるような余裕のある人間がいるとは思えない」
「……人でないなら神だろうか、それとも、」
隣の男が言った言葉に、ぎょっとしたように宗右衛門は目を見開いた。
しかし神ィ!? とすっとんきょうな声を上げた彼も、驚きの波が去ってしまうとどうやらその説に納得してしまったものらしい。
神、神か、と口内で咀嚼するように呟く。
「確かに、そのようなものだったのかもしれない。この前、童に逢った。秋刀魚を俺にくれて、しかしその日に限って何も家には置かれていなかった。もしかしたらあの童が、神か仏かの遣いだったのやもしれぬ。浮世離れした、綺麗な子どもだった」
隠れながら、……そんな、すごいものではないのにな、と幼狐は悲しくなった。幼狐は罪を償うだけの、ただのあやかし狐だ。善意で宗右衛門のもとへ通うわけではない。
でも、まあ、それでもいいかなあ、と幼狐は思った。
それで少しでも宗右衛門の傷が癒されるなら、幼狐はそれで、すごく嬉しい。
ちくりと胸を刺す痛みには気づかない振りをして、ただ宗右衛門の幸せを想像して、幼狐はわらった。
幼狐もそれでしあわせだったから。
(じゃあ、いまのうちに届けておこう)
宗右衛門はまだしばらく仕事らしい。幼狐はそっと場を離れようとした。
「……また、逢いたいものだ」
「……っ」
びくりと幼狐は肩を跳ねさせた。背中に投げられた言葉が信じられない。
(あの、童に。――――おれ、に)
いいや、幼狐は首を振る。
おれに、ではない。あの童に、だ。これらを別に考えている宗右衛門にしてみれば、幼狐を主軸に置くのはおかしなはなしだ。
それでも本当は同じ生き物だから、会いたいと、願ってくれた声には俯くしかなかった。
……絶対に、もう姿は見せないよ、そうえ。
だからずっとおれを恨んでいて。
「――礼が、言いたい」
泣きたくなるようなことを、ゆわないで。