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此の身ひとつの贖罪  作者: 赤坂壱
本編
3/10

第三夜

 外からでは何度も見たものだったが、中に入るのは勿論のこと初めてな宗右衛門の家で、膝を抱え躯を縮めて、幼狐は座っていた。


 離れた場所にある囲炉裏で、ぱちぱちと炎が踊っている。口から尻尾にかけて串で貫かれた秋刀魚が二本、表面を焦がしながらなにやら匂いをさせていた。


 生のままのほうがきっと美味しいのに。


 人間は色々なものを火に突っ込みたがるなあと幼狐は思った。


 幼狐はあやかし狐で、獣だから、あんまり火が得意ではない。いつなんどきぱちりとはぜて火の粉が飛んでくるかも分からないから、無意識に身体を縮めていた。


 宗右衛門は一枚しかない円座を幼狐に勧め、自分は素で床に胡座をかいた。


 手には酒を提げていて、それは先だって幼狐が持っていったものだったから、幼狐は恥ずかしくなって視線を下げる。


 秋刀魚もそうだけれど、自分が渡したものを目の前で食われるのは、少々居心地が悪い。


「独り酒は味気ないと思っていた。お前がいてくれると助かるな」


 ふわりと空気が緩む。


 ――嗚呼、そんな風に笑いかけないで


 優しい言葉をかけられる度に、己が心臓を抉り出し、宗右衛門に差し出して詫びたくなる。


「……何故、泣く?」


 涙の落ちた箇所の着物を、隠すように握りしめた。一度泣くと、そうそう止められるものではない。


 来なければよかった。罪悪感ばかりが内腑を食む。


 自分がそうえを慰めたいなんて、どれだけ思い上がれば気がすむのだ。


「……ごめんなさい、」


 ごめんなさい、ごめんなさいごめんなさい。


 今、宗右衛門を困らせていることに対する謝罪に二重の意味を混ぜて、幼狐は呟いた。


 頬を伝った涙の存在が疎ましく、ひとの姿などしないほうがいいと改めて思った。自分は狐の子なのだから、涙など本当は必要ないものなのだ。


 そんな幼狐に何を思ったか、宗右衛門は手にしていた杯になみなみと酒を注ぎ、ずいとつきだしてきた。柔らかな液体が、乱暴な動作にあわせて杯の縁から飛び上がって跳ねる。


「ほら、呑め。子どもでもたまにはいいだろう」


 成人する十三ほどになれば人は酒を呑むようになる。けれど幼狐はまだその年齢に達していなかったし、化け狐の幼狐は普通の狐より圧倒的に成長速度が遅かった。それこそ、人よりも。


 戸惑って宗右衛門を見つめ返したが、なおも男は盃を差し出したままだ。


 幼狐はおずおずと盃を手に取った。


 一杯くらいならば、多分、酔わないでいられるだろう。


 宗右衛門が幼狐のことを慰めようとしているのだと思うと、どうしようもなく申し訳なくて悲しくて、幼狐は顎を引いて俯き加減で盃に口をつけた。


 酒は苦くてますます涙がこぼれる。


 ぐっと喉を反らして飲み干した。


 一気に体温が上昇して顔がほてったが、よかったことに思考回路は正常なままだった。


「じゃ、じゃあ、今度はおれが酌をするよ!」


 幼狐はいろんなものを振り払う勢いでそう言い、猪口を宗右衛門に差し返した。


 おう、と男は返答し、受け取った盃で酒を受ける。


「……人から注いでもらう酒は旨いな」


 くいと煽った男の、たくましい喉を見つめながら幼狐はこころのなかで苦くわらった。


(ひとでは、ないのだけれど)


 本当は、世界で一番、宗右衛門が嫌っている、生き物なのだけれど。


 宗右衛門を騙している罪悪感に内腑をひたすらに食まれながら、幼狐はただ手にした徳利をもてあそぶだけだった。


 それなのにどこか幼狐はしあわせだった。


 昔みたいに宗右衛門が目の前にいて、笑ってくれる。こんなにも近くにいられる。それどころか、言葉まで交わせるのだ。村にいた頃、幼狐はいまよりずっと幼くて、人に化けることはできなかった。


 どうしよう。


 ……どうしよう。




 うれしくて、こわくて――――死んでしまう。



 △△ △△ △△ △△



「……」


 うっすらと目を開けると、端正な顔が目に飛び込んできた。そうえ、


 ばっと咄嗟に距離を取り、きょときょとと幼狐は周囲を見渡した。


 外はしばらくすると朝だった。まだ空は名残惜しげに夜の裾を残している。


 白々とした光が、狭い部屋に入り込んでこようとしていた。どこかで目覚めた烏たちが鳴いていた。


 朝、だった。


 昨夜は宗右衛門と一緒に眠ったのだと、遅ればせて幼狐は思い出していた。慌てて自分の身体を見回してみて、ちゃんと人間のままでいられたことにほっと息をつく。まだまだ幼狐は未熟だから、寝てしまっている間に変化が解けてしまっていても、まるきり不思議ではなかったから。


 幼狐と宗右衛門は単を分け合って眠っていたらしい。起きたときに幼狐は部屋の角に単を蹴飛ばしてしまっていて、寒かったのか、寝ぼけたように宗右衛門は手をさまよわせた。


 ぎくりとして、幼狐は固まる。


 起きてしまう?


 しかしその手はそのままぱたんと落ちて、男の寝息は深くなる。幼狐は安心して、抜き足差し足単を取りに行き、宗右衛門の上にそっと掛けた。


(……昨日は、夢みたい、だった、なあ……)


 きゅうと縮まる心臓の上を押えて、幼狐は思い出す。無邪気になつけていたころの、片鱗に、触れられた、気がした。


(……しああせって、思ってごめんなさい)


 でも、幼狐の罪があるかぎり、幼狐はそれを手放しで喜べはしない。


 あの頃には戻れない。


「……」


 幼狐は宗右衛門から視線を逸らし、踵を返した。


 扉を極力ゆっくりと開け、家の外へ。ぎしりときしむ扉に、幼狐は何度も後ろを見返って男が起きないか確認しなければならなかった。


 直接肌にあたった風は、朝の露を含んで少しばかり冷たい。


 きっと、もう二度と直接会うことも、言葉を交わすこともないだろう。


 だが、それでいい。


 込み上げる嗚咽を首を振って追い払い、幼狐は人のいない、朝焼けの中を駆け出した。変化を解いて、もっと速く。泣く暇なんて、ないように。


 


 泣きたい人が泣けないでいるのに、その原因がそれを赦されるわけがない。


 幼狐は罪を犯したのだ。


 罰されるのは当然で、それを嘆いていいはずがない。


 



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