004青春×檸檬果汁
「檸檬の主人公は作者本人みたいなものだね。京都の街を歩きながら『その頃の私』と『現在の私』を比べているんだ」
「昔は良かったなぁっていう懐古主義ッスか」
「そう言われると身も蓋もないな。うん、その通り。作者は若くして病に冒されていて、肉体的にも精神的にも弱っていたのさ。好みが変わってしまい、昔は好きだったものに今は興味が持てなくなってしまった。絢爛豪華で立派なものは今の自分には似つかわしくなく、もっとみすぼらしいものを好むようになったりね」
「あー、病気の時って不安になったり気が弱くなったりするッスね。高熱でうなされてる時なんてこの世の終わりだと思うこともあるッス」
「正確には熱に浮かされるだね、それ」
「シショーは国語の先生みたいッス。校閲官にでもなれば良いッス!」
「いわば物語の校閲官だけどね……」
「その回顧檸檬先生がフラフラっとこの辺りに出没するんスか?」
マナちゃんは自分が呼びやすいあだ名を勝手に付ける。
「作者の名前は梶井基次郎ね。その檸檬だけど、お店に立ち寄って目に入った檸檬が今の自分に似つかわしいと思ったんだ。みすぼらしくて美しいものを好んでいる今の自分にとってね」
「檸檬ってみすぼらしいッスか?」
「そっちを強調しなくていいから。まあ質素だけど強烈な黄色で印象に残る美しさがあるってことなんじゃないかな」
「雑誌の表紙でみんな檸檬持ってるのも印象を残そうとした結果ってことッスね」
「いや、あれは別の由来がある」
印象を残そうとしたってのはあるんだろうけど。
「そして『その頃の私』が好きだったものの象徴として丸善って書店があるんだけど、今の自分には似つかわしくないから避けてきたんだ。だけど檸檬を手にした今の私なら丸善にも立ち向かえるんじゃないかと思って、そのお店に向かうわけさ」
「スター取って無敵状態ッスね。歩行者みんなまとめてぶっ飛ばすッス」
「そういう妄想するけどさ」
「でも、それってなんか保健室登校の子が教室に向かうくらいの意気込みを感じるッス。担任の先生にそそのかされて「みんな君が戻ってくるのを待ち望んでいるから」って調子に乗って絶望するパターンッス」
「バッドエンドで終わらせちゃダメ。……でも実は半分当たっていて、確かに最初は調子良かったけど、お店の雰囲気に気圧されて段々心が沈んでしまうんだ。やっぱりここは今の自分が居て良い場所じゃないってね」
「じゃあ耳元で「逃げちゃダメだ」ってずっと囁いて励ましてあげるッス」
「うん、それは梶井基次郎が本当に逃げ出しそうになったときにお願い。彼はあることを思いついて檸檬を取り出す。本を積み上げて、その上に檸檬を置く。この檸檬を爆弾に見立てて、そのまま店を出る」
「は?」
「それを見つけた時の店員やお店の反応を想像すると気が晴れたのさ。それにまさか自分がそんなことをしておいて、何食わぬ顔でお店を後にしているなんて周りの人は思っても見ないだろうって。まあ、そんなお話だよ」
「ええ……なんスかそのカイコパス野郎」
マナちゃんの中で評価がダダ下がりだ。
「一応言うと作者は若いからね。社会人一年目が大学一年生の頃を思い出して昔は良かったなぁって感じで、若さゆえの全能感を感じさせる文学作品ってことだからね」
「己の限界を感じて落ち込んでいたけど、まだまだ可能性はあるぞって頑張る、そんな作品ってことッスね!」
「そうだね! まるで自分に言い聞かせてるみたいで結構胸に来るものがあるけど、抑うつ状態を抜け出したい人や今の自分に限界を覚えている人への打開策としては良い作品だと思うよ。青春は爆発だ! ってなもんさ」
「シショーがまるでどこかの出版社の回し者みたいッス」
「安心すると良い。著作権は切れているから無料で読めるのだ」
今なら無料。怪しさ満点の謳い文句だけどホントの話。