5話 痴漢冤罪とコンビニ
警察署を後にした俺は酔いもスッカリ冷めてしまいしっかりとした足取りで家路についた。残念なことに長い時間留置所に拘束されていたせいで丁度一般的な就業者達の帰宅ラッシュの時間と重なってしまっている。
最寄り駅の改札をスマートフォンの電子アプリを使い通り抜け電車へと乗り込むのだが、案の定車内は疲れ切った人々でひしめき合っていた。
正直見ず知らずの人間にパーソナルスペースを侵されるのは不快でしか無いのだがこんな都会で生活していたら人口密度云々の問題は慣れていくしか解決の道は無い。そしてもう一つ電車内というこの空間では成人した男性諸君ならば必ず懸念しておかなければいけない点がある。
駅を通り過ぎる毎に人を回収しどんどん太っていく電車。大概の人が降りるメインの駅にはまだ少し遠い、暫くのあいだこの暑苦しい空間は続くだろう。そして俺のいる車両も乗車した時よりも更に客が増え窮屈になった事は10年前怪物と戦っていた時など比べようも無いくらいの脅威と対面していた。
JOSEIKYAKU
俺の前にいるのは制服姿の女子高生だったがこの状況の危険度に変わりはない。
俺の心臓は高速で脈打ち、汗が滝の様に流れているが断じて情欲やその類で興奮しているわけでは無い。寧ろその心境は恐怖や焦りに彩られていた。
鮨詰め状態では場所を移動する事も叶わないので両手を吊革に固定し目を瞑り目的の駅に着くまでやり過ごす事に徹する。まるで釣り上げられたマグロみたいな間抜けな格好だが世界を救った英雄といえど今は痴漢冤罪に怯える哀れな中年サラリーマンでしか無いのだ。
目的地についたアナウンスが流れドアが解放される。人波が崩れ外へと流れだすのを身測り俺もヒーローとしての身体能力をフル活用し周りの客に触れない様電車を飛び出す。
「あ......」
後ろから聞き覚えのある声が聞こえた気がしたが面倒ごとになる前にさっさとその場を後にする。
「家、この近くなのかな...」
そう呟く女子高生の鞄には魔法少女のキーホルダーが付いていた。
「いらっしゃいませ」
唐揚げさん...おでん...肉まん...お菓子ツマミetc...魅力的な商品は沢山ある。
今俺は帰宅する時の日課であるコンビニに来ていた。入店した時顔は見なかったが今日の店員さんは鈴が鳴るような随分綺麗な声をしている。
後で会計の時にでも覗いてみようかと考えながらも商品を選ぶ目は真剣そのものだった。
面倒な事、憂鬱な事があった日は映画やアニメを眺めながらの晩酌に限る。気分良く酔うためならコンビニの適当な酒やツマミがあれば事足りる。5年くらい前ならテレビゲームなんかにもハマっていたりして充分時間も潰せていたのだが、いつの間にかやらなくなってしまっていた。何がキッカケかはもう忘れてしまったけど単純に面倒くさくなってしまったのかヒーロー業務と一緒でモチベーションが無くなったのか。
最近の趣味は専ら定額動画配信サービスでのアニメ視聴や小説投稿サイトでのお気に入りの発掘だ。この2つはダラダラ楽しみながら時間を潰すのにうってつけだ。正直永遠に暇つぶしができる。
「よし、今日の相棒は裂乱れるチーズと唐揚げさんだ」
いくつかの缶チューハイと一緒にツマミをカゴへと放り込む。
先程の綺麗な声の店員さんの顔を拝もうとレジに向かうがその前にお菓子が並ぶコーナーに足を踏み入れた。...どうしてコンビニというものは余計な物をついつい買ってしまいたくなるのだろうか。
目の前に陳列されているチョコレート等の甘い菓子に目を奪われ足を止める中年サラリーマン。
しょっぱい物を食べた後は甘いものが食べたくなるのはこの世の理である。
ポキポキと食べられる細い棒状のプレッツェルにチョコレートがコーティングされているパッキー。都派と田舎派に分かれて長く暗い戦争を繰り広げているキノコとタケノコのチョコ菓子。クッキー生地に板チョコが張り付いているアルフォンス。メジャーで美味しいチョコレート菓子は幾らでもあるが何を選択するかによって今日の晩酌の完成度は大きく変わってしまう。
しょっぱい物と甘い物を交互に食べ炭酸の効いた酒で流し込むのも悪く無いが今日は締めに甘いチョコ菓子を食べるつもりだ。終わりよければという言葉もあるように最後にケチがついてしまえばせっかく気分良く酔えていても台無しだ。
「...........................よし」
腹を決めた俺は選んだ商品を手に意気揚々とレジへと向かい先程羅列した商品が全て入ったカゴを置くのだった。
迷った時は全て買ってしまおう。余った分はいつでに食べれば良いのだ。社会人になって自由に使えるお金が増えてからこういった無駄使いが増えたきがしないでも無いが独身の内は楽しませてもらおう。
この時俺は先程考えていた鈴が鳴るような綺麗な声をした店員さんを見るという事を忘れてしまっていた。そしてその声の主は決して知らない相手では無いということを。まあ10年ぶりに会う相手だから即声のみで思い出せというのも酷な話なのだが。
「勇者?」
その声を聞いて俺は初めてレジにいる店員さんの顔を見た。
流れるような光を反射し輝く白髪。
透き通るような藤色の瞳。
日本人離れした高名な芸術家でさえ表現すること叶わない美貌。
俺みたいな冴えないサラリーマンとは縁が無さそうなこの絶世の美女に見覚えが無いわけではなかった。しかしそれは10年前に見た少女然とした姿だ。目の前の女性は確かにその頃の面影を残しているし勇者なんてふざけた呼び方をしてくる相手は限られてくる。
...つまり。
「.................魔王か?」
何とも間抜けな会話だがそれだけでお互いはお互いの正体を察してしまった。
「久し振りだな、息災だったか?」
凄艶な顔でこちらを覗き込んでくる彼女はゾッとするほど綺麗だった。
俺ことヒーロー乾真一は会社をサボりヴィランを殺し、ファミレスで文字通り煙たがられ、公園で不貞腐れながら酒を飲み、留置所から痴漢冤罪に怯えながら帰宅するという日常の中で10年ぶりに世界を征服しようとしていた絶大な力を持つ魔王と再会するのだった。
コンビニで。
魔王との再会で元々区切る予定だったのですが中途半端になってしまいした(汗)