閑話 アレスⅡ ②
すごい勢いで食べるフェンリルやマイペースなアクエ、奇想天外な食い方をするユラに驚きながらも俺はきっちりと手を合わせていただきますと感謝を唱えてからいなり寿司を頬張った。
あぁ、早紀の手料理だ・・・。
「アレスさん。お口に合いませんでした?」
感慨深い思いに浸って手が止まっていた俺を見て、料理が口に合わなかったのかと心配した早紀が恐る恐るといった様子で口を開いた。
我に返った俺は慌てて、
「そうじゃない。そうじゃなくて・・・その・・・何というか・・・すごく懐かしい味がしたんだ」
「懐かしい?この国にもいなり寿司ってあるんですか?」
「いや。俺も(この世界に生まれてから)今初めて食べた」
よくわからないと首を傾げる早紀に何と説明すればいいか・・・。
説明するということは全てを話すということだ。
どうすればいい?
結論を出す前にフェンリルの『おかわり』の声がして、結果そんな空気じゃなくなった。
助かったと言うべきか。
いや、むしろまた助けられたのか。
その後は終始和やかに食事は進んだ。
食事の間中、早紀の笑顔が見れて幸せだった。
食い終えた後、早紀が入れてくれたお茶で喉を潤していたら、突然早紀が言った。
「それでアレスさんが私にした酷いことって何ですか?」
思わず手に持っていたカップを落とした。
油断した。
早紀はジッと俺を見つめて動かない。
俺がちゃんと話すまで帰さないつもりなんだろう。
俺も覚悟を決めるしかない。
ゆっくり深呼吸した後、俺を見つめる早紀の目を見つめ返しながら、俺は重い口を開いた。
「俺は早紀を悲しませるつもりじゃなくてただ・・・」
『サキ』
覚悟を決めて本当のことを話そうとした俺の言葉を遮って、フェンリルが早紀を呼んだ。
「イヴァン。本当に今大事な話をしているの。お願いだから少し黙ってて」
『サキ。お前は今不幸なのか?」
「だからちょっと待って・・・って、えっ?不幸?」
『そうだ。お前は自分を不幸だと思っているのか?』
「そんなことはないわ。でも今はアレスさんの話の方が大事だから」
『こっちも大事な話だ。ちゃんと答えろ。お前は不幸なのか?』
何だかよくわからない展開に俺はついて行けず、見守るしかなかった。
『どうなのだ、サキ』
「不幸だなんて思ったこと、一度もないわよ。あの人が死んだときだって不幸だなんて思わなかった。すごく悲しかったけど。ここに来たときもそう。環境の変化が大きすぎて不安ではあったけど、最初からイヴァンがいてくれたでしょ。もしあの時イヴァンに出会わなかったらずっと泣いてたかもしれないけど、あの日イヴァンは私と出会ってくれた。それからずっと一緒にいてくれた。だから私は少しも不幸だと思ってない。むしろ幸か不幸かハラハラドキドキの毎日でとても楽しいわ。ということでイヴァンの質問の答えはNOね。私はとっても幸せよ」
それだけ言うと早紀はフェンリルに抱きついた。
その顔に嘘はない。
本当に幸せそうな早紀を見て、俺の中にあったいろんな感情が全て消えていった。
「じゃあ、そろそろアレスさんとの会話に戻っていい?
ごめんなさい。話の腰を折ってしまって・・・。えーっと何でしたっけ?悲しませるつもりじゃなかったとかなんとか・・・」
俺に向きなおった早紀に何と言おうか迷う。
散々迷った挙句口から出たのは、
「早紀は今幸せなのか?」
「そうですね。幸か不幸かと聞かれれば幸せだと思います」
怪訝そうにしながらも何のためらいもなく答える早紀に、少し緊張しながら俺はさらに聞いた。
「例えば早紀をこんな状況・・・つまりこんな特殊な環境に身を置かなくちゃならねえ状況にした奴がどこかにいたとしたら、そいつを恨んだりしないのか?」
少しの逡巡を見せた後、早紀はきっぱり言った。
「正直なところ、誰かを恨むという気はないです。そりゃ多少失ったものもありますが、代わりにここで得た大切なものだとかここでしか経験できない楽しいこともたくさんありますから」
嘘偽りのない早紀の言葉に俺はいつの間にか止めていた息を吐いた。
「アレスさんが私を避ける理由は私が幸せかどうかにあるんですか?確かに領主様の城ではみっともないくらい大泣きしましたけど、おかげで今はスッキリしてますし、ここでちゃんと生きていこうってすごく前向きに考えてますよ」
「そうか。早紀が幸せならそれでいい」
早紀の言葉に俺は久しぶりに心から笑った。
すると早紀も笑った。
俺の好きな太陽のような笑顔で。
大事なのは過去じゃない。
これからの未来だ。
俺の身勝手なわがままのせいで早紀を泣かせたのならこの先早紀が泣かずにいられるように俺が早紀を幸せにしよう。
早紀がずっと笑顔でいられるように俺が守ればいいだけだ。
何でこんな簡単なことに気づかなかったんだろう。
俺はこんなうじうじと女々しい男じゃなかったはずなのに。
これもフェンリルのおかげ・・・か。
でもどうしてフェンリルは俺が本当のことを言おうとするたびに邪魔をしたんだ?
視線をずらすと当のフェンリルと目が合った。
フェンリルはニヤリと口元を歪めて言った。
『決まっておろう。サキに、番いだったお前より我の世話を優先させるためだ』
今まで悩んでいたのがバカらしくなったのは言うまでもない。
それからしばらく早紀と二人でたわいない話をして過ごした。
フェンリルたちはいつの間にかいなくなっていた。
二人きりで過ごす何気ない昼下がり。
遥か昔、当たり前のように在った日常。
少し切なさを感じたが、早紀と二人で過ごすこんな日常をいつか必ず手に入れると俺は心に誓った。
日が沈みかかる頃になって、ようやく重い腰を上げた。
帰りたくねえ。
本心だがそういうわけにもいかねえから今日はこれで我慢する。
「また来てもいいか?」
「もちろんです。私の手料理でよければ作りますから、また一緒にご飯を食べましょう。モリドさんも誘っているので、都合がよければ一緒にどうですか?」
一瞬自分の耳を疑った。
「モリドっ!?何でモリドが出てくるんだ!?」
警備隊の若造の顔を思い出す。
十分、イケメンの部類に入るだろうが、まあその辺は心配ない。
むしろ心配なのは・・・。
「この家を探すとき、モリドさんに手伝ってもらったんです。その後、ずっと行きたかった市場を案内してもらって、美味しい屋台も教えていただいたのでそのお礼に」
あの野郎、いつの間に早紀と。
そうなのだ。
むしろ心配なのはあいつの人の良さだ。
イケメンで、性格も良くて、エド一押しの若手で将来性もあるからモテないはずがない。
そんな好青年なら早紀だって気になるかもしれない。
くそっ、許せんっ。
小声でブツブツと怒る俺に、早紀は重ねて言った。
「モリドさんはとってもいい人です」
「な、何を・・・」
ショックの余り声も出ない俺に、早紀はこれ以上ないくらいの笑顔で、
「それ以上にアレスさんもとってもいい人ですよ」
早紀の言葉が少しずつ心に染みていく。
いい人というのが少し引っかかるが・・・。
早紀とフェンリルのおかげで吹っ切れた俺は、家の隙間から見える真っ赤に染まる空を久しぶりに綺麗だと思えた。
そうして俺は晴れ晴れとした気分で帰途についた。




